【連載第1回】進化する21世紀の銭湯!銭湯の歴史を振り返る

東京ウォーカー(全国版)

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日本人ほど入浴好きな民族は、世界を探しても他にいないのではないか。それは、単に日本の風土が高温多湿で水源に恵まれているというだけではなく、お風呂は身も心も清める場所として保養や社交の場としての役割を担い、独自の文化として発展してからだと考えられる。

日本人の身近な入浴施設「銭湯」


そして、日本人の生活に古くから結びついてきた身近な入浴施設「銭湯」は、大衆の憩いの場として時代とともに変化を遂げてきた。しかしながら、近年、老朽化や代替わりの問題、家庭用風呂の普及などを理由に、年50軒ペースで銭湯が減少し続けているという。

そのような背景でも、心とからだの疲れやストレスをリセットするために、内風呂では味わえない大衆浴場の必要性はあるのではないか。また、近年では薄れがちな、地域の人との繋がりを持つことをもっと考える必要があるのではないだろうか。

そのような視点から日本の銭湯の歴史を振り返るとともに、時代やライフスタイルの変化に対応する21世紀の銭湯に焦点をあて、その魅力を知ろう!という、連載企画をスタートする。それにあたり、今まで15軒もの銭湯の設計に携わってきた銭湯建築家・今井健太郎さんとともに21世紀の銭湯について考える。

銭湯の歴史はいつから


洗い場や浴槽がタイル張りになった銭湯


まず、初めに銭湯はいつから日本に存在するのだろうか。始まりは、6世紀。仏教の伝来とともに、沐浴の功徳を説いた仏教の教えが広まり、寺が布教を目的として、境内に「湯屋」というものを建て、庶民に無料で入浴(蒸し風呂)の機会を与えていた。

このような施浴の普及が銭湯文化につながり、平安時代になると、料金を徴収して入浴させる公衆浴場と呼ばれる「湯浴」「湯銭」が登場する。江戸時代になると、お風呂の習慣が広く認識され、銭湯が庶民の憩いの場所として繁盛するようになったそうだ。その後、明治、大正時代と近代化が進み、木造であった洗い場や浴槽がタイル張りになり、私たちがイメージする今日の銭湯と進化していく。

宮造りに富士山!代表的な銭湯のイメージは、東京から誕生した


神社仏閣のような立派な宮造り様式である「東京型銭湯様式」


東京の銭湯といえば、神社仏閣のような立派な宮造り様式が定番となっている。このような建築、実は、地方の銭湯には見られず、東京周辺に限られているようだ。

理由として、関東大震災の復興の際、宮大工の技術のある大工が、人々の元気が出るようにと、質素な造りだった銭湯を「唐破風(からはふ)様式」と言われる豪華な宮造りにしたことから始まったとされている。それが多くの大衆の心を捉え評判となり、そこから「東京型銭湯様式」が誕生した。

大きな富士山の背景画


また、銭湯と言えば、大きな富士山が思い浮かぶ。浴室正面に背景画として描かれることが多い富士山。なぜモチーフに選ばれるのかというと、こちらにも理由がある。

発祥は大正元年(1912)、東京の神田猿楽町にあった「キカイ湯」であったとされる。銭湯のご主人が、客の子供に喜んでもらおうと、洋画家の川越広四郎に依頼し、彼の故郷である静岡県の富士山の絵を描いたことがはじまり。ペンキ絵と呼ばれるこれらの背景画は、いつも時代も私たちの心を掴んで離さない魅力がある。

湯船と一体となった富士山の絵を眺めながらお湯に浸かると、日常とは離れた別世界にいるかのような不思議な気持ちにさせてくれる。一説には、古来から伝わる富士山清められた水の中に身をゆだね、体を清める、という日本の「禊(みそぎ)」の思想が根底にあるとも言われている。

【写真を見る】奥深い世界観を持つ銭湯文化


歴史を振り返れば、一般的な銭湯のイメージとなった富士山にも奥深い世界観を感じることができる。知れば知るほど魅力的な銭湯。次回は、銭湯文化の普及活動にも取り組んでいる人気銭湯建築家・今井健太郎さんに、進化する21世紀の銭湯ついてお話を伺う。【ウォーカープラス編集部】

しおグル

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