ゼロとイチの世界で割り切れないもの【いきものがかり山下穂尊の『いつでも心は放牧中』Vol.9】

2017年10月27日 11:00更新

東京ウォーカー(全国版) 編集部

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人の話を聞くのが好きだ。

とくに、上でも下でもいいのだが、自分とは年の離れた人の話を聞くと、それまで知ったふうに思っていたことが、じつは違うんだっていうことに気づかされたりすることがある。

僕はお酒が好きなので、飲み屋とかでたまたま近くにいた人と仲良くなって話を聞いて、ということがよくある。

人に不快感を与えず、本音を聞き出したりするのが得意なようだ。人見知りだったはずなんだが、旅に出かけたり、音楽をやったりするうちに自然に克服していたのかもしれない。

若い頃、旅に出て、そこで出会って話したりする相手は大抵年上の人だった。彼らの話に耳を傾けながら、そこに自分の興味も織り交ぜながら突っ込んだりしていく。たとえば、60〜70年代に青春を送った人であれば、学生運動とかフォーク、ベトナム戦争といったことをこちらから訊くと、すごく乗って話をしてくれる。

僕も、僕の知らない近い過去に何があったのかというのはすごく興味があるので、戦後の社会史関連の本はよく読んでいる。でも、本で得られる知識や情報はあくまで文字や写真であって、そこに体温や実感みたいなものは伴わない。だから常に、そこに書いてあることが本当かどうかというのはわからないよな、というスタンスは大切にしている。

それもこれも、いろんな人たちから実際に話を聞いてみたら、僕の知っている知識とは少し違う、ということが多くあるからだ。

学生運動がものすごい勢いで社会を呑み込んでいた60年代や70年代に実際に学生だった人たちと飲み屋で会って話を聞くと、もちろん学生運動をやっているやつはたくさんいたけど、それと同じくらいノンポリのやつはいて、わりと自由な学生生活を送っていた、というような話を聞いた。

あるいは、バブル絶頂期に社会人として過ごした人たちに話を聞くと、実際はもっと普通のサラリーマンや労働者ばかりで、派手にお金を使うような人たちはほんの一握りだったということがわかったりする。もちろんバブルと言えば、僕らのイメージでは、札束を握りしめて夜の街に繰り出したり、とにかく方々でばら撒くようにお金を使っていたという感じなのだが。

同じように、僕らの世代が経験したことも……阪神淡路大震災や9・11、それに東日本大震災など……決して、こうだったとひとくくりにはできない。それを実際に経験した人と、経験はしていないけれど見ていた人とではもちろん違うわけだし、あの時代はこうだったという言い切りは、なかなか難しい。

僕の世代は、いわゆる「酒鬼薔薇聖斗」と同じ世代で、マスコミからは「キレる17歳」と呼ばれた。先生からも冗談で「お前らキレるなよ」なんて言われた。でも、人を傷つけるほどキレるということが、世代でひとくくりにできるのだろうか?

もしかしたら、そういう経験もあって、僕は自分の世代と自分とは違う世代の人たちが実際にはどのように生き、考えていたのかを知って、比較をしたいのかもしれない。本当はどうだったんだろう、と。

 

とにかく、ひとくくりにされる違和感というものに僕は抵抗を覚える。それは、ネットが発達したデジタルの世界への違和感にも繋がっている。

どこかで僕は、なんでもかんでもゼロとイチで割り切れるわけはないと思っていて、SNSなんかにも消極的だったりする。もちろん否定はしない。

でも、ゼロとイチの世界だけでは風邪も治せないし、空腹も満たせない。ネット上で生きていくのも面白いかもしれないが、僕の人格は今はまだそこにはないなと思っている。やっぱり直接会いたいし、面と向かって話をして、その人の声や仕草から様々なことを感じ取りたいと思ってしまうのだ。

もし僕が、あと5年遅く生まれていたら、そんなことは言っていなかったのかもしれないが。

 

そんなわけで、僕はやっぱり人の話を直接聞くのが大好きだ。

そこにはやはり、直に両手で掬い取ることができる、重みと温かみを感じるリアリティがあるからだろう。

この連載もいよいよ次回が最終回。前回もこの連載が11月11日に単行本となって発売されることはお話ししましたが、ここでは伝えきれなかったこともたくさん書いてあるので、楽しみにしてくださいね。また、11月1日にも、本にまつわる新しい情報を出せそうな予感が……。決まったらお知らせします! 最後までお付き合いのほどお願いします!

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