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| 京橋の映画美学校で撮影の動機、心境を語ってくれた加藤治代監督。「チーズとうじ虫」の撮影とほぼ同時に映画美学校のドキュメンタリー・コースに通い始めたそうだ。「実は今も通っているんです。母以上の題材を見つけることは難しいので、新しいテーマはしばらく勉強しながら考えていきたいですね」 |
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| 加藤監督と母親の直美さん(右)。リリー・フランキーのベストセラー小説「東京タワー」にも通じる濃厚な親子関係が描かれている。「東京で舞台をやっていましたが、母の病気を知って帰郷しました。他にも役者はいますけど、母の娘は私ひとりですから」と加藤監督 |
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| なにげない日常生活の描写の合間に挿入される裏の畑に咲くヒマワリと青空。「チーズとうじ虫」は、あらゆる場面に“生命力”が溢れている作品だ。また北関東特有の乾いた空気感も作品からウエットさをうまく消し去っている |
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加藤監督の祖母にあたる小林ふくさん。「母もそうでしたが、祖母も強い女性でした。典型的な上州女ですね。不思議なくらい涙のない家庭でした」と加藤監督は最愛の家族を振り返る。 ■「チーズとうじ虫」は7月8日(土)よりポレポレ東中野にてモーニング&レイトショー公開。7月8日(土)、9日(日)、16日(日)、17日(月)、22日(土)、23日(日)、29日(土)、30日(日)は、上映後に加藤治代監督ほか関係者、ドキュメンタリー作家たちによるトークショーあり。詳しくは劇場にお問い合わせを |
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【加藤治代監督プロフィール】 1966年生まれ、群馬県太田市在住。多摩美術大学美術学部芸術学科卒業後、スチールカメラマンのアシスタントを経験。劇団「黒テント」に役者として2年間在籍。母・直美さんの発病(骨髄性異形成症候群)で帰郷。看病の傍ら、京橋の映画美学校のドキュメンタリーコースに通い、「阿賀に生きる」(’92)で知られる佐藤真監督に師事する。初監督作品となる「チーズとうじ虫」は2005年山形国際ドキュメンタリー映画祭で国際批評家連盟賞と“アジア千波万波部門”グランプリである小川紳介賞のW受賞に輝く。さらにフランス・ナント三大陸映画祭ドキュメンタリー部門最高賞を受賞。その他、2006年Doc Pointヘルシンキ ドキュメンタリー映画祭、イタリア・アルバ国際映画祭、スイス・ビジョンドリール映画祭などに招待された。母・直美さん、祖母・小林ふくさんを失ったが、加藤監督は2005年に結婚し、太田市の実家で新たな家庭を築いている。
STAFF&CAST 監督:加藤治代 撮影:加藤治代 加藤直美 栗田昌徳 中嶋憲夫 整音:菊池信之 早川一馬 久世圭子 編曲:須賀大郎 出演:加藤直美 小林ふく(2005/『チーズとうじ虫』上映委員会)98分

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「くだらない場面ばかり撮ってますね(笑) でも、そんな日常に“幸せ”を感じるんです」

フランソワ・トリュフォー監督はファニー・アルダン主演の「日曜日が待ち遠しい!」(’82)を撮り、ジョン・カサベテス監督はジーナ・ローランズ主演の「グロリア」(’80)を撮った。カメラは物語だけでなく、監督と主演女優との濃厚な関係を映し出している。2005年山形国際ドキュメンタリー映画祭で小川紳介賞と国際批評家連盟賞のダブル受賞に輝いた「チーズとうじ虫」も、「日曜日が待ち遠しい!」や「グロリア」同様に狂おしいばかりの愛情が映し出されている。違いがあるとすれば、「チーズとうじ虫」はドキュメンタリー作品であり、描かれているのは男女の恋愛ではなく、監督でありカメラマンでもある加藤治代さんと母・直美さんとの“家族愛”であるということだ。 6月23日の午後、都内の映画美学校で加藤監督へのインタビューは行なわれた。この日は早朝、サッカーW杯で日本代表がブラジル代表に破れ、1次リーグ敗退が決まった。日本中が奇跡を願ったが、その夢は叶わなかった。 「私もテレビ中継を前半は観てましたが、逆転された後半は観るのが辛くて…。途中で寝ちゃいました」 加藤監督は静かに笑った。とても自然体で、柔らかい空気をまとった人だ。
「チーズとうじ虫」の舞台となっているのは、加藤監督が母親の直美さん、祖母の小林ふくさんと3人で暮らす群馬県太田市の実家。すぐ隣には加藤監督のお兄さん一家が住んでいる。北関東特有の乾いた風が吹き、濃い青空が広がる。ナレーションによる説明は一切ないが、観客は観ているうちに小学校の教員を勤めていた直美さんが医者からがんの告知をされ、あと1〜2年の命と宣告されていることが分かる。 しかし、闘病ものでありながら、作品全体に流れているのは不思議な温かさだ。がん保険で新車を購入し、ニコニコ顔の直美さん。カメラを向けられ、照れながら歯を磨く直美さん。やんちゃな孫(加藤監督の甥っ子)と楽しげに相撲を取る直美さん。シリアスな場面は少なく、直美さんが微笑む何気ない日常風景が大半を占めている。 「辛いシーンが撮れなかったのは私の弱さ。でも、それが私らしさになったのかもしれません。母の体調が悪いときはカメラを向けるのが辛いし、看病でそれどころではなかったし。母が元気なときしかカメラを回すことができなかったんです。それでビデオに映っているのは母の元気な姿しかないんです(微笑)。イヤなことや強烈なことって、ずっと記憶に残っていますよね。でも、母が歯を磨いている様子やブリ大根をつくっている姿はどうしても時間とともに忘れていってしまう。ホームビデオって子供の成長を撮ったりすることが多いでしょうけど、埋没していく記憶をきちんと記録していく力もあるんだなと思いました。くだらない場面ばかり撮っていますが、そういう日常のシーンを観ることで『自分は幸せだったんだな』と改めて感じるんです」
「チーズとうじ虫」というユニークな題名は、イタリア出身のカルロ・ギンズブルグの歴史書「チーズとうじ虫 16世紀の一粉挽屋の世界像」(みすず書房)から付けられた。16世紀のイタリアに実在し、独自の宇宙論を説いたため処刑された粉挽屋メノッキオの物語だ。メノッキオの説に従えば、牛乳が固まってチーズになるように、カオスから地球は生まれたことになる。チーズに突然沸いてくるうじ虫は天使なのだ。加藤監督は牛乳が発酵・熟成してチーズになる過程を追うように、静かに静かにカメラを回し続ける。果たして、うじ虫という名の天使は現われるのか? 観る者は息を潜めて見届けるしか術はない。 |
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「願っていた奇跡は起きなかったけど、 負けたままではいたくなかったんです」

学生時代に8ミリやビデオ撮影は経験していた加藤監督だが、ドキュメンタリーは「チーズとうじ虫」が初めて。撮影を始めたきっかけは何だったのだろう? 「母が発病して3年ほど経ってから撮り始めたんです。田舎なもので、母の体調のいいときは私がやることもなかったので、退屈しのぎに撮り始めた部分があります。それに医者からは『もう長くない』と宣告されたんですが、自分は『母は治る』と勝手に思い込んでいたんです。そう思い込んでいないと耐えられなかった。テレビや映画のドラマで最後に奇跡が起きるように、自分たちにも奇跡が起きて、母が元気になる物語を記録するつもりでいたんです」
作品中の会話から加藤監督は小さい頃(2歳)に父親を病気で失い、以来、母親の直美さんと強い愛情で結ばれていたことが伺える。 「何かあったとき、例えば私が失恋したときとかでも、母はご飯をつくって、私の話を聞いて、『大丈夫だよ。頑張りなさい』と励ましてくれた。その一言で、とりあえず頑張ってみようと思えたんですね。母は私にとって、なくてはならない存在だったんです」 仲は良かったが、ベタベタと甘える関係ではなかったようだ。地元の高校卒業後は加藤監督は東京の美術大学に進学し、その後もカメラマンのアシスタント、劇団「黒テント」で役者活動など、実家を離れ自分の道を模索し続けていた。 「自分にとって帰る家があるというのは大事なことですよね。待ってくれている人がいる、困ったときには実家があるという安心感がありました。でも、そんな居心地の良さは、若い頃は退屈さでもあったんです。20代の頃は日常があんなにも温かいものだとは気付かなかったんです。若いときは自分のために時間もお金も使っていたけど、なんだか楽しくなかったんですね。母の病気を知って実家に戻ったわけですが、自分の時間もなく働く暇もないからお金もなかったけど、東京でひとりで暮らしているよりも幸せであることを実感できたんです。これは多分、20代の頃だったら気付いていなかったことだと思います」 |
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闘病や涙のシーンがない代わりに、「チーズとうじ虫」では直美さんの手に触れた様々な物が映し出される。保険で買った車や耕耘機、直美さんが病気になってから描き始めた絵と絵筆。そして直美さんが1か月先まで記入していたスケジュール帳。その中には直美さんが大好きだった大相撲の観戦予定が記されていた。 「母はスポーツ観戦が好きで、特に相撲が好きでしたね。千代大海や魁皇といった心意気で勝負する力士を応援していました。相撲観戦は母と兄と3人で行くつもりだったんです。『チーズとうじ虫』のラスト・シーンにするつもりでした。4年近くビデオを撮っていたけど、奇跡は起きそうになく、このままでは母の死をじっと待っているようでイヤだったんです。病院を退院して、大好きな相撲観戦もできてよかったね〜という終わりにしたかったんです」
残念なことに、加藤監督が考えていたラスト・シーンは撮ることができなかった。最愛の人との別れを加藤監督はどう受け入れたのか? 「結局、奇跡は起きず、納得できなかった気持ちと同時にどこかで安心した部分もあったんです。母の死は、やはり辛い体験でした。母が治る様子を撮るつもりでビデオを回していたので、そのままでは病気に負けちゃったことになる。それできちんと作品に仕上げようと思ったんです。仕上げながら自分の気持ちを整理していたようですね。編集作業って、どこか他人の視線でないとできませんから。渦中の人間だけど他の人が見たらどう思うだろうと考えていました。多分、あ〜悲しいと塞いでいるよりも、ビデオの編集をすることで母を失ったこととの折り合いがつけられたように思います」
完成した「チーズとうじ虫」はシンプルなテーマゆえ、海外の映画祭でも理解され、高い評価を得ている。しかし、母・直美さんに続いて、祖母の小林ふくさんも2006年1月に他界された。加藤監督が母親と祖母から受け継いだものはなんだろう。 「そうですね。強くなったと思います。母が発病したときは泣くことしかできなかったのに、葬儀のときには泣きながらもやるべきことはやれるようになりましたから。自分にとって一番大切な人を失うことを経験したことで、これから生きていく上でどんなことが起きても、ひとつの物差になると思うんです。いい経験でしたと言ったら安直ですが(笑)、とても大切な時間を過ごせたように思います」
撮影中、加藤監督が願っていた奇跡は起きなかった。しかし、「チーズとうじ虫」は観客にある種の奇跡をもたらす。決して肉眼では見ることができないはずの“親子の絆”がありありと映し出されているのだ。観客はまるで“天使”になったかのような立場で、直美さんと治代さん親子の日常生活を見守ることになる。そして親子の絆がこんなにも温かいことを知った“天使”は、ただただうじ虫のようにのたうち回るしかない。
(取材・文/ライター長野辰次) |
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