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| 「泣かない人は鬼!?」くらいに言われた感動作「ニュー・シネマ・パラダイス」で絶大な人気を誇るジュゼッペ・トルナトーレ監督が、6年ぶりに放った新作が「題名のない子守唄」だ |
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| 監督から、この映画を楽しむための面白いヒントをいただいた。劇中、主人公が見ている映画のタイトルを教えてもらったのだ。ロマン・ポランスキー監督の「オリバー・ツイスト」(2005)である。映画を見終わった後、ストーリーを比べると、監督の真の狙いが見える。かも |
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| 業を背負った主人公のイレーナを演じた、新たな監督のミューズ、クセニヤ・ラポポルト。ほとんど無名だったロシア生まれの舞台俳優だが、本作で一気に注目を浴びた! |
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実生活でも母親である彼女が、迫真の演技を魅せる! ■「題名のない子守唄」は9月15日(土)よりシネスイッチ銀座、新宿バルト9他にて全国公開 |
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【ジュゼッペ・トルナトーレ プロフィール】 1956年イタリア、バゲリーア生まれ。16歳でアマチュア劇団でピランデッロとデ・フィリッポの芝居を相次いで演出。ドキュメンタリー映画を手がけた後、1979年からイタリア国営放送RAIと仕事を始め、ネットワーク用の映画やテレビ番組を制作。そのうちの1本「LE MINORANZE ETNICHE IN SICILIA」は、1982年サレルノ映画祭で、最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。1986年30歳にして初長編作品「”教授“と呼ばれた男」を発表し、イタリア映画記者協会最優秀新人監督賞を受賞。監督第2作目「ニュー・シネマ・パラダイス」(’89)で、カンヌ映画祭審査員特別賞、アカデミー賞外国語映画賞を獲得し、脚光を浴びる。続いて、「みんな元気」(’90)、オムニバス映画「夜ごとの夢 イタリア幻想譚」(’91)の中のワン・エピソード「青い犬」、「記憶の扉」(’94)、「明日を夢見て』(’95)、「海の上のピアニスト」(’98)、「マレーナ」(2000)を発表。2007年第79回アカデミー賞授賞式では、外国語映画賞の発表前に上映された歴代受賞作品場面集の編集を手がけた。現在、故郷バゲーリアを舞台にした「BAARIA」を準備中
STAFF&CAST 監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ 音楽:エンニオ・モリコーネ 出演:クセニア・ラパポルト アンヘラ・モリーナ マルゲリータ・ブイ クラウディア・ジェリーニ(2006伊/ハピネット)121分・R-15

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「人生の最大の愛の対象は、 女性と、映画」

ジュゼッペ・トルナトーレ監督は、意外と若い。16歳から映画の世界に足を踏み入れ、映画史に刻まれた「ニュー・シネマ・パラダイス」(’89)を撮ったのは若干33歳だった。30代で“世界的巨匠”と冠されたため、どうも御大のイメージがつきまとうが、ひげをたくわえ、大学教授のような空気がただよう監督は、それでもまだ51歳。監督の年齢としては、まだ中堅に位置するだろう。監督は、若くして手にいれた地位や名声にまどわされることなく、その後も自分のペースで人間賛歌を撮り続けてきた。そして今回、6年ぶりの新作「題名のない子守唄」ができあがった。
監督にとっては、「みんな元気」(’90)のプロモーション以来、2度目の来日となる。短い滞在期間にぎっしり詰めこまれた取材スケジュールにもかかわらず、イタリア人らしいサービス精神を発揮しつつも、自らを「ペシミスト」と称するように思索的な言葉をあやつって、誠実に映画の魅力を語ってくれた。
「題名のない子守唄」は、監督にとって、初めて女性を主人公に据えたミステリーだ。 北イタリアの町に流れ着いた女、イレーナの不可解な行動。ありあまるほどの大金を手にしながら、なぜ、彼女は地味な服装に身を包むのか? リスクを犯してまで、なぜメイドの仕事をしたがるのか? 彼女のせっぱつまった表情、ときおり垣間見える壮絶な過去に引きずられて物語にのめり込むと、ストーリーは驚くべき方向へと転がっていく。
全篇を通して、イレーナは、寡黙でありながら、気高く、美しく、力強い。同性が見ても、女性というのは、こんなに素晴らしい生き物だったのか、と感嘆する。 「私の映画の女性像を誉めてくれて、ありがとう。でも映画を撮り始めた頃は、イタリアの批評家によく叩かれたものです。『トルナトーレは、女性が描けない』と。『女嫌いなんじゃないか』と、噂する人さえいた(笑)。自分としては、ずっと心外だったんだ(笑)。だって、私の人生の最大の愛の対象は、女性と映画なんですから」
最大の愛の対象とまでたたえられる女性、その魅力は? 「映画の主人公にしても、男性より、女性のほうが面白いと思っています。たとえば、女性のほうが苦痛や苦悩に立ち向かう力が、男性よりも優れているでしょう? また男性は、何か教えるためには言葉を費やすものですが、女性は何も言わないで、物事を伝えたり、人に教える能力があるのではないでしょうか?」 なるほど。この鋭い人間観察力こそ、監督が監督たるゆえん。トルナトーレの言う「愛」とは、ちまたで乱発される、お手軽なソレとは違うようだ。 |
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「主人公は、無名だけれど、 本物の女優で、本物の母親に演じて欲しかった」

この映画は、トルナトーレの原案・脚本である。発想の元となったのは、20年前に読んだ新聞記事。南イタリアの若い女性が、夫とともに逮捕された事件だったという。 「彼女は、自分が産んだ子どもを、他人に売り渡した。それで罪に問われたのでした。私は、もし彼女が逮捕されなかったらどうなっていたか、ずっと想像していました。彼女は、お金と引き換えに手放したわが子に、どんな感情を抱いていたのか? その後、彼女の心にどんな変化が現れたのか?」
ずばり、この映画のキーワードは、女性と、女性だけがもつ母性という感情のようだ。 「今度の映画では、一度は否定した母性という感情を取り戻そうとしてあがく女性の姿を描きたかったんです」
業を背負った主人公のイレーナを演じたクセニヤ・ラポポルトは、ロシア生まれの舞台俳優で、世界的にみると、ほぼ無名に近かった。主役にネーム・バリューのない俳優をキャスティングするのは、興行的にはリスクがあり、周囲の反対は想像にかたくない。だが、監督は、この一点だけは譲らなかった。 「この映画では、世界的には無名で、なおかつ、本物の俳優を使いたかったんです」
有名女優をキャスティングすると、たしかに集客はのぞめるが、スターがもっているイメージが先行し、劇中のキャラクターが変容してしまうことがある。監督は、そこにこだわったようだ。このあたりにも、監督の人生を注ぎ込むのに価するもうひとつの対象、映画に対する並々ならぬ覚悟を感じる。 「初めてラポポルトに会ったとき『彼女がイレーナだ』と、直感したんですが、フィルムテストを繰り返してカメラ越しに彼女を見ているうちに、生まれながらに女優の資質をもっている人だと改めて気がつきました」
監督の直感を裏付けるかのように、彼女は、この映画で演技賞を得た。これで、名実ともに世界的女優の仲間入りだ。 「この役は、演技力とは別に、実生活で母親の経験がある人に演じてもらいたかったのですが、彼女は、演技力だけでなく、実際に母親でもあったんです! これは、人生のなかでも、数少ない、素晴らしい出会いでした」 監督が彼女を絶賛するわけは、スクリーンのなかのラポポルトを見れば、すぐわかる。彼女の存在があってこそ、生粋の女映画ができあがったのだから。
この映画に限らず、トルナトーレ作品に登場する人物が与えられた課題は、果てしなく過酷で、そのぶん、ひとしずくの優しさが映画をファンタジーへと導く。この確固たるヒューマニズムは、どこから来るのか? 「自転車泥棒」(’48)で知られるビットリオ・デ・シーカを敬愛するトルナトーレ、イタリア・ネオリアリズムの血筋であることはもちろんだが、作風からは、中世イタリアで起こった芸術運動の匂いすら感じる。ルネッサンスには、文化・芸術だけにとどまらず人間そのものの復興――人間性を取り戻す――という目的もあったといえば、ニュアンスは伝わるだろうか。
たとえば、「ニュー・シネマ・パラダイス」のキス・シーンがいまだに語り継がるように、トルナトーレ監督はラスト・カットがうまい。この映画でも、最後に待っているのは、思わず拍手を送りたくなるヒューマニズムだ。人生のなかで起こったすべての出来事を許し、あらゆる感情を解き放つ。そんな、心がゆさぶられる瞬間を、たったひとつの映像でしめくくる。これぞ、映画。少なくとも、このラストだけでも、この作品を見てよかったと思える。
(取材・文 サイト−トモコ) |
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