「阿部定さんが撮影直後まで 私に憑依していたの」

「花と蛇」(2003)、「花と蛇2 パリ 静子」(2005)で満天下をうならせ、“性の改革者”として自他共に認める存在となった杉本彩さん。筆者もまた熱心な“杉本信者”のひとりのつもりだが、ここ最近、“ご本尊様”はテレビ方面などに露出が多くなり、「もう映画は後回し? エロスも封印?」と正直言ってやきもきしていたが、要らぬ心配はするものではない。
さすが、杉本彩さん! やるときはやる。やるからには手加減なし、とことんまで魅せてくれた。彼女が満を持して挑んだ「JOHNEN 定の愛」は身ぶるいするほどである。
昭和11年に起こった“阿部定事件”(愛する男を絞殺し、その分身を切り取って所有し逮捕された女・定の一件)を題材にしただけあって、当然ながら一筋縄ではいかない“スゴイ”映画であった。
冒頭から、フルヌードの彼女が演じる定が、「おめえにならこのまま絞め殺されたって本望だ」と口にする吉蔵(中山一也)と騎乗位でつながり、快感をむさぼる“首絞めセックス”で始まるのだから何とも強烈至極なのだが、これはまだほんの序の口。全編まさに阿部定になりきった凄絶な演技、艶技が貫かれるサマに観る者は感服するほかはないだろう。
完成披露試写会が行われた都内某所、舞台挨拶を目前に控え、高揚感たっぷりの中での単独インタビューに、セクシーなドレスに身を包み、颯爽と現れた他の誰でもない“杉本彩”は、圧倒的なオーラを放ちつつ、真摯に、情熱的に、映画について、阿部定について、そして愛について語ってくれた!
オーラと言えば、先日、某テレビ局の人気スピリチュアル番組に彼女が出演したのをご覧になり、そこで、語られた阿部定に対する彼女の浅からぬ因縁に興味を抱いた方も多かろう。まずは、そのへんから聞いてみること
にした。「花と蛇」の次に“阿部定”を演じるというのは、彼女にとって必然的だったのだろうか、と。
「実は、20代のころから阿部定さんには興味があり、歌の歌詞にまで書いたことがあります。こうして、演じることになるとは…。それでも2年ぐらい前だったらまだ演じ切れなかったかもしれない。今、このタイミングだから
出来たという気持ちが強いですね。だから、必然的、運命的なものを感じます。自分が霊媒体質だってことが最近になってやっと分かったんですよ」
自身が体験した憑依体験をこう語る。
「撮影中はもちろん、そして撮影が終わってからもしばらくは阿部定さんが私に憑依している感じでした。今、ですか? もう私から離れて上に行かれたので大丈夫ですけど(笑)。素顔の定さんは華奢な人、下町の粋な女性で、ひたすら純粋に好きな男を愛した、私には少女のような可愛い側面があると感じます」
呼び捨てにせず、阿部定さん、とちゃんと“さん付け”で呼ぶところに彼女の熱い思いと礼儀がこめられていて実にチャーミングではないか。 |
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「フェリーニ映画のタッチだと思って下されば」

ところで、“阿部定もの”といえば、かつて大島渚監督の「愛のコリーダ」('76)や宮下順子主演の「実録・阿部定」('75)といった名作が有名だが、今回の杉本版もまた、それらに勝るとも劣らない出来であり、決して
リメイクではない新たなオリジナリティを醸し出しているところに注目したい。
昭和11年と平成20年の時空を往還し、アバンギャルドな演出は往年の前衛演劇のように弾け飛んでいる。監督は「鬼火」('97)などで知られ、1997年のキネマ旬報監督賞にも輝いた鬼才・望月六郎で、「贋作・春琴抄」など前衛的な舞台演出も得意としているだけに、今回の作品にもその要素が存分に取り入れられている。そのへんは当然、彼女も納得済みである。
「望月監督と十分話し合って、私もこのアバンギャルドな形が一番イイと。時空すら超えて、定の愛を極めるんですから。ご覧になる方もこういうユニークな演出に面食らわないで下さい。そうですね、例えば、イタリアのフェデリコ・フェリーニ監督のタッチと思っていただいて、そんな気分で観て下されば幸いです。頭の中で考える理屈じゃなく、心の感性で受け止めてください」
そうか、フェリーニ・タッチか、目からウロコが落ちるような形容ではないか。女性への惜しみない賛歌という点でもフェリーニと通底する部分も十分にありそうだ。 |
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「タブーへの挑戦は表現者として大切なことね」

面を食らうといえば、野外ファック、公開セックスなど激しいからみの連続で、ヘアヌードもあり、疑似男性器への口唇愛撫もたっぷり、さらにP音ナシではなかなか言えない禁断の四つ文字言葉もそのまま連呼される。このへんをごまかさない見事な“確信犯”ぶりも杉本彩の真骨頂だろう。これは“小さな革命”ではないのか。
「今の日本社会で通常タブーといわれていることへの挑戦は、表現者として大切なことですし、ある種の快感もありますね。確かに禁断用語をそのままセリフにしたのは“小さな革命”かもしれません(笑)」 |
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「エロスとはニュアンスが違う 猥褻は美しい日本語よ」

映画のプレスに“これは上級で上質な猥褻”と彼女がコメントしているのが印象に残った。なぜエロスと表現せず、あえて“猥褻(わいせつ)”というやや古めかしい日本語なのか。ぜひ聞いてみたかった。
「最近は、ひと口にエロス、エロチシズムと言っても、とってもライトなものからヘビーなものまで含まれてしまうでしょ。でも“猥褻”という日本語には日陰のイメージ、隠花植物のイメージがありますし、定さんの持つ色香とエロチシズムをもっと濃厚に表現したいと思ったとき、猥褻という言葉がしっくりくるんです。“美しい日本語”でしょ、猥褻って(笑)」
実に痛快、明快、爽快な答えが返ってきた。こうなると、次もまたすぐ映画を、とねだりたくなるのが“杉本信者”の悪い癖だろうか。
「前作から3年も映画でブランクがあったのは、私、ほかにも色々とやっているでしょ。映画をやるとなれば、当然ハードな撮影になるので、『これなら!』と思う作品でモチベーションがはっきりしないとやるパワーが沸いてきません。次の映画もすでに考えているものはあるんですが、まだ言える段階ではないので。もちろん、テーマは“究極の愛”です。色んな側面から愛を表現したいと思います。まずは『JOHNEN 定の愛』をぜひ観てください」 |
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最後に、女性ユーザーも多いこのMovieWalkerのために、究極の愛を手に入れた阿部定を演じ切った“愛の達人”杉本彩さんが、恋愛に対する特別コメントをくれました。
「恋愛とは何か?」、「女性が愛する男性を自分だけのものにするための一番大切な要素は?」、「愛を成就させるためには、男女間に何が必要か?」といった質問にズバリの“快答”を頂いております。一層、杉本彩さんに、そして映画「JOHNEN 定の愛」に興味が湧いてきた方は、ぜひ特設サイトも併せてご覧下さい。
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(取材・文/秋本鉄次) |