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| 夫婦だった頃の、マリリン・モンローと、アーサー・ミラー |
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| 「お熱いのがお好き」('59)撮影中のアーサー・ミラーと、マリリン |
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| 仲睦まじいフォト・セッション |
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| プレミア・パーティ会場で食事しながら、マリリンの胸元を覗き込むアーサー・ミラー |
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| セクシーというより、キュートな笑顔が、マリリンの本来の魅力。アーサー・ミラーとの蜜月時代に撮影された、サム・ショウの写真が、その魅力を最も伝えている。 |
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(C)GLOBE PHOTOS

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「美と頭脳」カップルの結婚生活は、約4年半

「セールスマンの死」などの戯曲でアメリカ現代演劇を代表する劇作家であり、マリリン・モンローの3番目の夫としても知られるアーサー・ミラーが、2月10日(米時間)癌による心不全のため、死去した。享年は89歳。娘は舞台女優のレベッカ・ミラーで、彼女が1996年に結婚したアカデミー賞俳優ダニエル・デイ=ルイスは娘婿にあたる。
アーサー・ミラーは、1915年米ニューヨーク生まれ。ミシガン大学で演劇を学び、在学中からラジオドラマの脚本を皮切りに劇作を始めた。1944年「幸運な男」でブロードウェーに進出。1947年「みんな我が子」がヒットし、ニューヨーク演劇批評家賞を受賞、注目を集める。1949年「セールスマンの死」ではエリア・カザンが演出を担当し、トニー賞、ピューリッツァー賞を受賞。また、米ソ冷戦下の赤狩り時代に発表した1953年の「るつぼ」(1996年に「クルーシブル」として娘婿のダニエル・デイ=ルイス主演で再映画化)では、魔女狩りを素材にマッカーシズムへの警鐘を鳴らして、劇作家としての地位を確立し、テネシー・ウィリアムズとともに“アメリカ現代演劇の旗手”に躍り出ていた。
1926年生まれで当時28歳のマリリン・モンローは、1954年9月、「七年目の浮気」の“地下鉄の通気口の上でスカートがめくれるシーン”がきっかけで、元ニューヨーク・ヤンキースのスター選手ジョー・ディマジオと、9ヶ月の結婚生活にピリオドを打っていた。既に、ハリウッド女優として、名声を得ているにもかかわらず、1955年からニューヨークのアクターズ・スタジオで本格的に演劇の勉強を始めていたマリリンが、NYブロードウェイで活躍中の“アメリカ現代演劇の旗手”と親密になるのに時間はかからなかった。マリリンは、彼に一目ぼれしたといわれている。マリリンは、ルックスのいい俳優よりも年上で才能ある作家や映画監督の方が好みだったとか。1956年6月29日、アーサー・ミラーとマリリンは結婚。ゴシップ誌は、「美と頭脳」(ビューティ&ブレイン)のカップルの誕生、と書きたてた。
しかし、様々な行き違いが重なった上に、2度の流産もあり、ふたりは、彼が脚本を執筆した映画「荒馬と女」の公開直前の1961年1月24日に正式離婚。マリリンは、それからわずか約1年半後の1962年8月5日に死亡した。享年は36歳だった。
映画「荒馬と女」なども名作だが、マリリンとアーサー・ミラーのカップルが生み出した最高の“表現”は、ふたりの親友のカメラマン、サム・ショウが、結婚当初の仲の良かったふたりの様子を撮影した、プライベート写真だった。約200点以上の、親友だからこそ撮影できたプライベート写真を集めた、写真集「マリリンと友だち」(「Marilyn Among Friends」'87)(日本版:文藝春秋/'89)は、他の写真集とはレベルが違う傑作。映画や、ポートレート撮影では、表現されてこなかった、セックス・シンボルではない、人間マリリン・モンローの様々な表情、様々な魅力が、唯一、捕らえられている歴史的逸品だ。ふたりの愛がマリリンの様々な表情を導き、写真として永遠に刻み付けられることを可能にしたのである。 |
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