ジダン
 17歳でフランス1部リーグ、カンヌでデビュー。その後ボルドーへ移籍し、リーグ優勝争いの常連となる。96年春、運命の糸を辿るようにユーベの一員となり、FIFA世界クラブ選手権で力を発揮、南米の覇者リバー・プレートを下し、チームを勝利に導いた。また97年と98年にセリエAのスクデットを獲得した後、2001年にレアルへの移籍が成立。そのまま昨シーズンチャンピオンズリーグの覇者となる。まさに非の打ち所のない、栄光に彩られたサッカー人生を歩む。

 ジダンがユベントスから、移籍金6440万ドル(約81億円)でレアルに移籍したのが昨シーズン。一時期、ロナウドが移籍金1億ユーロ(約117億円)でレアルに移籍? という騒ぎがあったが、結局2000万ユーロ(約23億円)での移籍が実現したので、現時点で史上最高はやはりこの人。昨年チャンピオンズリーグ決勝を前に「この契約が切れるまでここ(レアル)にいたい。そこが選手としての引き際」と語ったことから、チームの現状にも満足しているようだ。

 A代表デビューは22歳で94年8月のチェコとの親善試合。0-2の後半途中から出場し、残り5分で2得点を決め、チームを引き分けに導くと共にジダンの名を世界に広めた。その後も98年、自国開催のW杯で王者ブラジルを3-0で退け悲願の優勝を果たす。またEURO 2000でも覇者となり、世界中が彼を“ナンバー1プレイヤー”と称えた。しかし、そんな彼にも試練の時が訪れる。日韓W杯では、足の怪我で2試合を欠場。チームはまさかのグループリーグ敗退を喫した。

 84年の欧州選手権、ボール・ボーイだった彼が目の当たりにしたのがミッシェル・プラティニだった。フィールドのナポレオンと呼ばれた彼に、幼い頃から憧れていたジダン。母国フランスを世界の頂点に導いたことで、彼自身も偉大なプラティニと肩を並べるようになる。プラティニ本人も「ジダンは偉大だ」と、彼を自分の後継者と認めている。

 日清カップヌードルのCMといえば、以前はアーノルド・シュワルツネッガーがやかんを両手にボディービルダーっぽく振る舞ったりと、なかなか趣向を凝らしたもので有名だが、今年はW杯ということで、一番のスターになると思われたジダンに地団駄を踏ませるという暴挙に出た。松木安太郎の“オーウェンを応援しよう”に匹敵するほどの寒いギャグだが、ジダンに実際に地団駄を踏ませた功績は大きい。ギャラいくら?

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