13人の新体制で再始動。新生ザ・コインロッカーズが「僕はしあわせなのか?」を語る【前編】

横浜ウォーカー

写真左から栃木県出身神奈川県在住の下島輝星(G.)、神奈川県出身の有働優菜(Key.)、広島県出身の船井美玖(Vo.)(C)撮影=中村力也

秋元康がプロデュースする新感覚ガールズバンドプロジェクト、ザ・コインロッカーズ。オーディションを経て、2018年12月にメンバー41名で結成し、2019年6月ドラマ「俺のスカート、どこ行った?」の主題歌「憂鬱な空が好きなんだ」でデビューした。結成1周年の2019年12月にZepp Tokyoのワンマンライブをソールドアウトさせるという公約を掲げていたが、ソールドアウトに至らず、2020年に13名へと再編成し、5月27日、2ndシングル「僕はしあわせなのか?」をいよいよ発表する。今回、ボーカル船井美玖、ギター下島輝星、キーボード有働優菜に話を聞いた。

【写真】有働優菜(うどうゆうな)、2001年9月17日生まれ。影響を受けたアーティストはHump Back(C))撮影=中村力也

——有働さんが神奈川県出身なんですね。
有働 はい。生まれも育ちも神奈川県で。私の地元はすごく平和で治安がいいんです。
下島 治安がいい(笑)。それが一番だよね!
——下島さんは、ご出身の栃木県から、この度大学進学で、神奈川県在住に。
下島 引っ越したばかりです! 私は都会すぎるところが苦手なんですが、神奈川は自然も多くて過ごしやすいです。落ち着く場所なのに、ちゃんとスーパーなんかもあって。
有働 スーパーはあるよ(笑)。
下島 いや、栃木は田んぼと餃子しかないんだよ!
有働 (笑)。確かに神奈川は暮らしやすいと思います。都会でもあるんですが、そこまで都会でもないというか。ちょうどいいんですよね。
——船井さんはコインロッカーズの活動のために広島から上京したんですよね。
船井 そうですね。
——出身もそれぞれ違って、音楽を始めたきっかけってどうだったんですか。
有働 私は小さいころから歌って踊ることが大好きでした。でもあまりに音痴すぎて、親が心配してピアノを習わせたという。ピアノは自分でも楽しくて続けていたんですが、コインロッカーズでもキーボード担当として活動しています。
船井 私はボーカルを担当させてもらっていますが、小さいころから歌うのが好きというだけで。もともと芸能活動をめざしてアイドルのオーディションを受けたこともあったんですけど、踊るのが得意ではなくて。ガールズバンドのオーディションというのは私にぴったりじゃないかと思いました。
下島 私はギターを担当しているんですけど、ギターを始めたのは中学2年生のころでした。あまり学校に行かなくなって、そのころ聴いていた音楽がロックだったのですが、ギターの音がギューンと聴こえてきて単純にかっこいいなって。そこから、自分でもやってみたいなと、音楽にのめり込んでいきました。
——動機もそれぞれなんですね。
船井 ほんとバラバラなんですよ!
——ザ・コインロッカーズは2018年9月にオーディションがスタートして、12月にメンバー41名で結成されましたが、その1年後、2019年12月にZepp Tokyoでのライブをソールドアウトさせると公約を掲げたんですよね。その後の1年ってライブ本数も多くて大変だったと思うのですが。
船井 そうですね。昨年は、グループが分かれていたのですが、みんなで150本のライブを完走しました。バンド活動も初めてでしたし、オーディションに受かってからはわからないことばかりで大変でしたね。
下島 そういう状態で150本って。最初は観るに耐えないという……。
船井 ライブ映像を見返すタイミングがあるんですけど聴いていられなくて(笑)。
下島 「人って1年でこんなに成長する?」って思うほど成長を感じます。
——それは演奏面?
有働 そうですね。あとはパフォーマンス。
——ああ、見せ方とか。
下島 全くわからなかったんです。だから、最初は「お客さんはお金払って観に来てるんだぞ」とかって結構怒られて。自分の演奏だけで精一杯だったし、棒立ちでライブをしてたから、本当に申し訳なかったですね。そこからパフォーマンスも磨きました。
船井 この1年間は、ずっと同じ曲をやってきたこともあって、飽きられちゃうから、どうやったら、お客さんに通ってもらえるのかって。公約のZepp Tokyoソールドアウトを達成するために、葛藤や苦悩がひとりひとりにありました。
有働 結局公約を果たせず、メンバーが13人に減ると知ってからのライブでしたが、ステージ上ではお客さんを楽ませることに徹して、自分たちの心境は見せないようにと必死でした。結果、会場全体が一体になったいいライブになって。
船井 ライブ150本やってきた意味を見出せたライブになったよね。メンバーが減ると聞いてからZepp Tokyoのライブまで、時間がすごく短くて、心の準備ができていない状況でした。その中でもメンバー内で話し合って、「お客さんには私たちの悲しい気持ちなんて関係ない。ライブを観に来てくださっている、その瞬間をいい時間にしてお返したい」って。「いいライブにしよう」という気持ちだけで臨みました。もちろん悔しかったし、「こんないいバンドもったいないな」「これからも続くんじゃないか」と思ってもらえるように全力でやりきりました。
下島 演奏力よりも大事なこと、その時感じたことをどう振る舞うのかということも、ちゃんとできたライブになりました。
——新体制になってからはどうでしたか?
船井 私は、ひとつ区切りをつけて前に進もうと思っていたので切り替えは早かったほうで。再始動した私たちは、抜けたメンバーのためにも上にいかなければならないというのが胸にあって。13人体制で「絶対売れてやる!」という気持ちでしかなくて。
下島 私はなかなか気持ちを切り替えられなかったのですが、崖っぷちだし必ず売れようと思うようになっていきました。新体制になるまで、自分の意見を言うメンバーってあまりいなかったんですけど、私も「自分から発言していこう」と思うようになって。自分の中で大きく変えたのはそこでした。
——ムードメーカー的な?
船井 そうですね。きらら(下島)って、私の中でもしゃべるイメージがなかったんですけど。
下島 陰キャしてたね(笑)。
船井 きららは頭もいいし、今、すごく助けてくれているというか。私は特にボーカルという立場でしゃべることを任せられることも多いので助かっています。
下島 そこはね、サポートできるようにがんばってます!
——有働さんは?
有働 私もきららと同じで切り替えられなくて、沈んだような気持ちでもいたんですけど、ミーティングで「2年後に日本武道館!」という目標を立てたときに沈んでる場合じゃないって前向きになれて。実際に13人で活動していく中で「いけるんじゃないか!」と思えてきました。
(→後編に続く)
構成・取材・文=古城久美子/撮影=中村力也

new single「僕はしあわせなのか?」発売中。新体制になってから初めてのシングル作品。150公演におよぶライブで磨き上げたバンドサウンドに注目!

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