1年ぶりのツアー復帰を勝利で飾ったフェデラー、「テニス」だけではなく「人間的魅力」でも“王者”であるワケ

東京ウォーカー(全国版)

【画像】「ロジャー・フェデラー なぜ頂点に君臨し続けられるのか」表紙

カタール・ドーハで開催中の「カタール・エクソンモービル・オープン」で約1年ぶりにツアー復帰したフェデラーが10日、ダニエル・エバンズとの接戦を制し、復帰戦を勝利で飾った。長きにわたって、テニス“史上最強”の男としてトップを極めたフェデラーだが、彼が世界中から愛されるのは、実績はもちろんのこと、ライバルたちからも愛されてしまう「人間的な魅力」があるからなのだという。果たしてそれはどう培われたのか。素顔のフェデラーとは…?

※本稿は、ジモン・グラフ(著)『ロジャー・フェデラー なぜ頂点に君臨し続けられるのか』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

文化人のあいだでは、何かとスポーツは軽視されがちだが、フェデラーだけは多くの文化人や知識人さえも魅了している。2017年のドイツの日刊紙、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングのインタビューで、ドイツ人ヴァイオリニストのアンネ=ゾフィー・ムターが次のように答えている。

「一度フェデラーを見てしまったら、どうしてほかの選手を応援できるようになるのか、私にはまったくわからない。あの美しさを見せられたら惚れてしまうのは当然だし、あの優雅さや詩的な美しさは言葉で表しきれない」

彼女自身、2014年には全豪オープン決勝のフェデラーを生で観戦できるように、オーストラリアでのコンサート日程を調整したという。残念だったのは、準決勝で彼がラファエル・ナダルに敗れてしまったことだ。

5度にわたりローレウス世界スポーツ賞の年間最優秀男子選手賞に輝いているフェデラーだが、根本はあくまでもスイス人である。名門ザンクト・ガレン大学でマーケティングを研究するトルステン・トムシャック教授によると、フェデラーが繰り返し体現する価値観とは「スイス的なもの」そのものだという。

ロジャー・フェデラーはなぜ、ファンからもライバルからも愛されるのか?


フェデラーは伝統的なスイスと現代のスイス、その両方を体現している。国際人でありながら気さくであり、勤勉で、創造力に富み、野心がありながら家族を大切にしていて、親しみやすさもありながら力強さや信頼性も兼ね備えている。永遠のライバルであるナダルとの決着は完全にはついていないが、決して自信と傲慢をはき違えることもない。そして、まさに祖国スイスと同じく、つねに中立である。フェデラーは申し分のない外交官であり、決して論争を巻き起こすような繊細な問題について私見を公にすることはない。記者連中がセンセーショナルな見出しに飢え、それがすぐにソーシャルメディアで拡散される時代において、これほど賢い戦略はないだろう。

フェデラーほど多くのインタビューをこなしてきたアスリートは、おそらくほかにはいないだろう。試合後の定例会見だけで1400回を超えている。これほどさらされている存在になれば、隠しごとがあっても長続きすることはない。その一貫した姿勢は、2011年に行われた米国のレピュテーション・インスティテュートによる調査によっても裏付けられている。5万人を対象に政界、文化人、ビジネス界、スポーツ界の著名人のなかで誰がどれくらい好まれて、尊敬されて、信頼されているかを調べた。

結果として、フェデラーはノーベル平和賞を受賞したネルソン・マンデラに次ぐ2位を獲得し、ダライ・ラマやバラク・オバマ、そしてビル・ゲイツよりも上だった。2017年には、全世界を対象にスポーツ界のロールモデルとしての役割を果たし、かつ南アフリカの子供たちへの慈善活動を続けていることにより、バーゼルの街とスイスの地位を高めた功績を認められ、バーゼル大学医学部より名誉博士号を授与された。

さらに特筆すべきは、ほぼ毎回負かされているはずのライバルたちでさえもフェデラーへの称賛を惜しまないということだ。2004年から2017年にかけて、選手たちが選ぶステファン・エドベリ・スポーツマンシップ賞を13回にわたり受賞している。ちなみに、同期間でナダルが同賞を受賞したのは2010年の1回だけだ。

好むと好まざるとにかかわらず、フェデラーは多くの人々の人生を形づくっている。そんな人たちの彼への敬愛はもはや信仰の域に達している。

※画像はイメージです。


毎年選出されるこの賞が言い表しているのは、この男がテニス界の雰囲気をいい方向へ永遠に変えてしまい、そのことを同業者たちが感謝しているということだ。かつて世界一だったピート・サンプラスやアンドレ・アガシといった選手たちはライバルの敵意をかき立てるばかりだったが、フェデラーは誰も彼も魅了してしまう―相手の老若、力量の有無を問わずだ。それは本人のスイス性の発露なのかもしれない。「テニス界の王者」と人は呼ぶが、実際には「人々の王」として、更衣室でもラウンジでも冗談を飛ばしながら周囲に親しまれている。その率直さのおかげで、男子ATPツアーの雰囲気は和らいでいる。

かつて、フェデラーがこう語ったことがある。「若手にはこの世界を恐れるのではなく、楽しんでもらいたいと思っているんだ。ナダルやほかの選手たちも、ツアーですり減った部分は多かったと思う。むろん、テニスは過酷なスポーツだけど、あくまでスポーツなんだ。人生にはもっと大切なものがたくさんある」

親しみやすく、とっつきやすい人柄だが、だからといって全員を喜ばせようと努めているわけでもない。必要なときには、容赦ない手段も辞さない。今まで何人かのコーチと決別したのもそうだし、デビスカップ出場辞退の決断もそうだし、2度にわたりクレーコート・シーズンを完全欠場したこともあった。そしてコート上においては、言うまでもなく一切の情け容赦もない。そんな彼に最も痛めつけられたひとりが、アンディ・ロディックだろう。グランドスラムで8度対戦し、フェデラーが8戦全勝している―うち4回は決勝だった。2005年のウィンブルドン決勝のあと、ロディックはフェデラーのほうを向いてこうつぶやいた。

「本当は憎んでやりたいんだけど、きみはいいヤツだよ」

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