瀬戸内海にぽっかりと浮かぶ、広島県竹原沖の大崎上島(おおさきかみじま)。この島で、オーダーメイドのかばん店を営む男性がいる。川中政則さん(63)。38年間のサラリーマン生活を経て革のかばんづくりを始めた。ヌメ革を一針一針心を込めて手縫いし、ハンドペイントも施す。どんな要望にも真摯に向き合い、口コミで注文が広がっている。
脱サラして島へUターン
大阪で、某コンビニチェーンの本社でサラリーマンをしていた川中さん。脱サラを決意したのは、当時本社機能を東京へ移転することになり社内がざわついたことと、故郷の大崎上島で暮らす高齢の両親を心配したのが動機だった。そんな中東京へ行くという選択肢は自分には考えられず、「島に帰る」という結論を出したが、帰郷後も地元にある福祉施設の事務方としてサラリーマン生活を送った。定年も近くなった頃、自分自身の健康面で少し不安があり、早期退職。だが、この時点では起業は前提ではなかった。
元々手先が器用で物づくりは得意でもあり好きでもあった川中さん。かばん店を開くまでに、遊びで七宝焼きや書画、絵手紙に押す篆刻を彫っていた時期もあった。
革に出会ったのはサラリーマン時代。その時は純粋に遊びとして入門キットを買い求め、免許証入れや名刺入れなどの小物を作ったのが最初だった。
本格的に作品作りを意識するようになったきっかけは、退職後、大阪時代の友人と会話の中で「俺のかばん作ってや」という冗談で出た一言だった。それまでの遊びの延長で作ったシンプルなトートバッグが、かばん第一号に当たる。友人に送ると、「もうちょっと練習したら売り物になるんやない?」という感想をもらい、かばんづくりを“なりわい”として向き合う事を意識するようになった。
難しいオーダーが技術を高める
工房を立ち上げて1年くらい経った頃、難しい注文が入った。かばんの形自体はシンプルだったが、「亡くなった息子が撮影した写真をトートバッグにペイントして欲しい」という希望だった。依頼主の亡くなった息子さんは生前写真が趣味で、毎年北海道まで鶴を撮りに行っていた。亡くなった後に御両親の手で出版した写真集が送られてきた。
失敗はできない。川中さんは送られたその中から一点の写真を選び、数回の試作を繰り返した後、本番のトートバッグへのペイントを仕上げた。
かばんを届けて数日後に感謝の手紙をもらい、本当に嬉しかったことを今でも覚えている。「単にかばんを手縫いするという“かたち”をつくる事だけではなく、ご依頼者の“想い”をどう作品に込めたら良いのかをとても考えさせられた」という。
ちょっと変わった注文が舞い込むこともある。ホームページからの注文で、「とにかく丸い形が好き」と言う依頼主がいた。微妙なニュアンスの打合せで電話すると、「人が持っていないような形がほしいんです」とのこと。話し合った結果、底の部分が丸くて床に置くとユラユラ揺れるような形にすることになった。確かにちょっと見かけない形ではある。堅めで張りのあるヌメ革だと形を作ること自体が条件的に難しいのだが、数日考えてそれまでに使ったことの無いテクニックで作ることにし、なんとか完成させた。でも、このときの経験が後の作品作りにとても役に立つ事になった。
その後もその依頼主からは1年に1個のペースで注文をもらうのだが、次回の予約は靴の形。実現へ向け、試行錯誤している。
いろいろな注文に悩むことも多々あるが、「悩んで悩んで解決した後には何かが残る」と川中さんは信じている。新しいテクニックが身に付くこともあり、受けた“お題”に向き合っている。
島暮らしって実は…
川中さんが住む大崎上島は、驚くべきことに橋が架かっておらず、島外への交通手段は船だけだ。コンビニも無い。でも、日常生活において困ることはそんなにないのだという。「不便さと豊かさは背中合わせになっているんじゃないか」。川中さんは最近そう感じるようになった。工房の窓から見える風景に季節毎の変化を感じながら作業が出来る環境の素晴らしさを実感する日々。「この環境だからゆったりと向き合える物づくりの時間があるんだ」と感じている。
島の周りには無人島が数多く点在し、カヤックで10分も漕げば着くことができる。波の音だけの世界に浸りながら、ストレス解消のために始めたカヤックを楽しんでいる。
川中さんは高度成長期に社会に出た世代。当時はほとんどの会社が今で言うブラック企業の様な状態だった。バブル期も経験した。誰もがブランド品に群がっていた。「今から考えると本当に異常な時代だった。そんな中で都会の生活もそれなりに刺激を貰えてエンジョイしていたんだと思うんですけど、自分が年を重ねたということでもあるのかも知れませんが、地道にコツコツ積み上げるとか、何かを慈しむとかいう事の大切さだったり、自分なりのこだわりに向き合うとか、そういう事をゆっくり考えさせて貰える時間と空気が島には有ると感じています」と、川中さんは語る。
ものづくりの境地
「時間と手間をかけてつくるものは、数が売れればいいというものではない」と、川中さんはものづくりについて語る。「単に”売る”というより、共感者を探している感覚。自分と同じ価値観でものを見てくれる人に会えると嬉しいんです」。
現在、いろんなクリエーターとコラボレーションをしている。大阪でのマルシェ「こもれびと」では、仲間と畳の縁と革とでコラボレーションしたり、地元の害獣駆除で捕獲されたイノシシの革を使って作品を作ったり、目先の成果ではなくてその先に何か面白い事がありそうな事、自分が“ワクワク”出来そうな事にチャレンジ中だ。
地場産業が無くて働く所も無いが故に、一度は島を出てサラリーマンをした身だが、ネットが発達した現在、田舎でも自分で仕事を作る事が出来るのではないか、自分がやっている事が少しでも参考になれば良いと思っている。
コンビニでは手に入らないものが島にある
近年、大崎上島へのIターン移住者の数が100名を超えた。高齢化に伴い島の人口は急激に減り続けているのが現状だが、平成31年4月にはグローバルリーダー養成のための中高一貫校が新たに開校する。川中さん自身も、京都からIターンしたクリエイターの女性に革細工を教えるなど、移住者と関わりを持っている。
「島にコンビニは有りませんが、コンビニでは手に入らないものがたくさんあります。周りを海に囲まれ豊かな自然があふれる大崎上島へ一度お越し下さい、きっとゆっくり流れる時間が心を癒やしてくれるに違いありません」。
【ウォーカープラス編集部/セキノユリカ】
セキノユリカ