人気お笑いコンビ・コロコロチキチキペッパーズのナダルさんによる初の著書『いい人でいる必要なんてない』(KADOKAWA)が発売中だ。この本の中で「自分を犠牲にしてまで、いい人でいる必要はない」と言い切るナダルさん。バラエティー番組で“クズ芸人”と呼ばれるようになった彼がそこまで断言する理由とは――。人間関係に悩むすべての人に向けて、ナダル流の人生哲学を語ってもらった。前後編で構成し、本記事は前編をお届けする(
後編はこちら
)。
※本記事は書籍『いい人でいる必要なんてない』から一部抜粋・編集しました。
人間同士の付き合いっていうのは、結局のところ信頼関係
――この本には「クズ芸人の矜持」という章もありますが、ナダルさんご自身は“クズ芸人”としてイジられることはどう感じていらっしゃいますか?
僕自身のことだけを言えば、クズ芸人と呼ばれて笑いに繫がるのであれば全然かまわないと思っています。だって僕は芸人だから。でも、芸人ではない一般の人たちの間で相手を「クズ」と罵ったら、それはもうイジリではなくいじめや罵倒ですよね。そこにあるのは笑いじゃなくて、怒りや悲しみしかない。
――エッセイの中で、ナダルさんは中学生時代のいじめの体験を告白されていますね。
お笑いにおけるイジリはいじめではありません。芸人同士のイジリは笑いを生み出すためにやっていることですから。でも、それが回り回って、一般の社会で生きる人たちの間でいじめに繫がってしまうこともある。僕がクズと呼ばれて笑いをとっていることが、どこかでいじめに繫がっているかもしれないっていう葛藤は常にあります。
見ている人には伝わりにくいかもしれないけど、芸人はイジる側もイジられる側もかなり細かいところを配慮してやっています。芸人のイジリの場合、イジる、イジられる、という関係性の前にそもそもの人間同士の付き合いの部分がちゃんとある。そこはみんなにわかってほしいところですね。
人間同士の付き合いっていうのは、結局のところ信頼関係なんだと思います。信頼関係を築かないまま、相手の気持ちを考えずに笑いものにするのはいじめになる。僕はいじめを経験してきたからこそ、そこははっきり言っていきたいと思っています。
叩かれたらヘコむのが当たり前。「自分はナダルほどひどくない」と思ってくれたら
――リアルでもSNSでも、人間関係にもがきながら「自分に正直になれない」と感じていたり、叩かれて落ち込んだりする人は多いと思います。なにかアドバイスのようなものがあればお聞かせください。
SNSをみんなが当たり前に使う世の中になって、僕の中学時代のいじめの経験よりもしんどい思いをしている人もいると思うんです。そういう人には、死にたくなるくらいしんどいのであれば逃げてもいいし、みんなと同じ授業を受けなくてもいい、ってことを伝えたい。
今の自分にとっては学校生活がすべてかもしれないけど、大人になると選択肢が増えるということはわかっていてほしいですね。大人になったら逃げ道もたくさんあります。学生だけじゃなく大人も同じ。1つの会社、1つの仕事だけが人生じゃないから、逃げ道を見つけるのは悪いことじゃないでしょうか。
それに、叩かれたらヘコむのが当たり前だと思うんです。僕のことを「クズと呼ばれても叩かれてもヘコまない男」だと思っているなら、大きな間違いですから。ただ、僕は芸人だから、SNSで叩かれても「ネタにできるならまあええか」と思える部分があるんですよね。もしも芸人じゃなかったら、僕だって丸一日落ち込んでいるはず。
だからこそ、僕は「自分に正直になれない」とか「叩かれて落ち込んじゃう」という気持ちはわかる。クズ芸人って呼ばれてボロクソに叩かれてる僕が平気な顔で受け止めているのを見て、ほかの誰かが「こんなに気にしない人もいるんだ」とか「自分はナダルほどひどくない」と思ってくれたらなと思っています。
撮影=古川義高
取材・文=山岸南美