上がらない給料、将来の見込みが立たない社会保障、広がる経済格差……。いまわたしたちが生きる資本主義社会の問題が数多く生じています。わたしたちはこの社会で、今後どのようにお金について考え、生きていけばいいのでしょうか。禅僧として活動しながら禅を活かした経営・組織開発コンサルティングなどを行い、一経営者としても資本主義社会のリアルに向き合う島津清彦さんに、経済環境の突然の変化にも柔軟に対応できるお金と仕事についての考え方を聞きました。
※お金にとらわれなくなった人に、お金は巡る。経営者でありながら禅僧・島津清彦さんが考える、「お金の本質」はこちら
禅の真理では「行き過ぎたもの」は必ず是正される
いまの資本主義社会の最たる問題は、「格差の拡大」だとわたしは見ています。富を有する者が、一定の給与で大量の人材を雇用して事業を展開し、さらに富を殖やしていく。特にアメリカでは、経営者や株主の報酬が一般の従業員の何百倍にもなるような現状が問題視されており、格差拡大の傾向が行き過ぎているようです。
富の格差は、教育格差や地域間格差などとして再生産され、同時に人の心のなかでは嫉妬や恨みといったネガティブな感情を掻き立てます。そんな状況を見ていると、やはりいまの資本主義社会は健全に回っているとはいえないようです。
禅の観点から見ると、「行き過ぎたものは必ず是正される」のが真理です。その意味では、いまの資本主義社会の現状も、今後は是正されていくと見ることができます。真理とは、「自然の摂理」のことを指します。この宇宙全体を貫く大法則、そう表現してもいいでしょう。どんな行いにせよ、自然の摂理に外れるようなことをすると必然的に是正され、やがて元の状態へ戻っていくというわけです。
一例を挙げると、現在は気候変動をはじめとした地球規模の問題が生じていますが、これもまた資本主義によって人類だけが繁栄しようと試みた、行き過ぎた状態を戻そうとする兆候として捉えることができるでしょう。
わたしたちは「なんのために」働くのか?
これまでの資本主義社会において、企業の目的は「利潤の最大化」とされた時期が続きました。しかし、自分たちが得た利益をまわりの社会に循環させるのではなく、ただ利益を積み上げることを目的化しはじめたときから、資本主義は少しずつ機能不全に陥っていったと思います。
実は、わたしが経営する会社では、利潤の最大化にフォーカスしていません。例えば、株式会社ZENTechでは、組織・チームの「心理的安全性」向上に関するサービスを企業に提供しています。わかりやすくいえば、みんなが話しやすく忖度なく発言できるような、風通しのいい組織・人材・環境づくりのノウハウを提供し、サポートすることで業績を確保してきました。
その事業の根本にあるのは、「世界を全機現する」というミッションだけです。「全機現(ぜんきげん)」について軽く説明すると、これは禅の概念で、人が持つすべての機能が発現している状態を表しています。本来は誰もが無限の可能性を持って生まれていますが、多くの場合、その力に「蓋」がされている状態といえるのです。
そして、ここでお伝えしたいのは、実は当社は設立以来、今日までKPI(重要業績評価指標)のような目標を立てたことがないということ。お金だけに焦点をあてず、あくまで「世界をどうよくするか」というミッションだけにフォーカスしているわけです。
最近では「パーパス経営(自社の存在意義を明確化し、企業として社会のなかでどんな貢献をしていくのかといった、社会に与える価値を重視する経営モデル)」などともいわれますが、「なんのために自分たち(自社)が存在するのか」を明確にして、その軸だけはブレないように心がけています。
利益を目的化すると、逆に変化に対応しづらくなる面があります。それこそ中期経営計画などに固執すると、自ら柔軟に変化できなくなり、かえってチャンスを逃してしまうことがよくあるのです。
利益はあくまで企業活動の結果に過ぎません。当然ながら常に変動するものであり、究極はコントロールできないものです。実際に、わたしたちはコロナ禍を経験し、そのことを身を持って知ったはずです。
それでも、「いいものを提供したい」という思いさえあれば、自分たちが本当にやりたいことをブレずに続けていけます。そのため、わたしは個人も組織も、「なんのために働くのか」「なんのために会社があるのか」が明確になればなるほどいいと考えています。
「みんなの幸せのため」という理念でもいいのです。抽象的なようですが、だからこそ変化に柔軟に対応できる強靭さとなるのでしょう。
あなたが人を助けることで、よりよい世の中へと変わっていく
いまは、雇われないで働くフリーランスの人も増えてきました。「個人の時代」といわれますが、それこそYouTuberなんて、まさに個人力で収益を上げる人たちですよね。個人それぞれが自分の「幸せ」を見出していく流れが生まれていて、既存のヒエラルキーが崩れつつあります。
また、これまでは「お金がある=幸せ」という価値観が色濃くありました。「車を買って、その次は家を買う」みたいに、お金と幸せがセットになっていた時代が長く続きましたが、それは人口が増えて給料も上がり、みんなが一緒に高度成長を果たせたからです。
しかし、需要が飽和しているいまの時代には、「利益よりも社会課題を解決したい」「億万長者よりもわたしのほうが幸せ」というように、多くの人が本当の意味の「幸せ」を探そうとしているように感じます。
禅には、「経世済民(けいせいさいみん)」という言葉があります。「経」は縦糸のことで、「経世」とは世の中を縦糸のように真っすぐに調えることです。そして、「済民」は民を救済すること——。つまり、そもそも経済とは、「人々を助けてよりよい世の中に変えていくこと」を意味します。
だからといって、なにも力む必要はありません。まずは、あなた自身からはじめることです。「自分はなんのために働いているのか?」「自分の仕事は誰かの救済につながっているのか?」と、いま一度考えればいいのですから。
自分にとっての「幸せ」とはなにかを考えて行動する
これからの資本主義社会を生き抜いていくためには、まず「自分にとっての幸せとはなにか」を考えることがポイントになります。「幸せ」と聞くと、ひと昔前ならちょっとスピリチュアルな誤解されがちなニュアンスがありましたが、いま若い世代を中心にこうした動きが現れているのもまた、禅的な見方からすれば「必然」といえます。
なぜそのような動きが現れているかというと、さもなければ「人類はもはや持続的に生き延びてはいけない」と、真理が教えてくれているわけです。
個々の人生についても同様です。わたしはよく、「個人のパーパス」という言い方をしますが、自分が生きてきたなかで大事にしてきたこと、夢中になって取り組んだこと、興味を持ったことなどをあらためて見つめ直すことで、一人ひとりが自分の生きる本当の目的を見つけることが必要です。
禅や仏教というのは、最終的には「幸せ」に辿り着くものです。「悟り」とは、実は「幸せ」と言い換えてもいいくらいの概念なのです。わたしたちの実感としても、別になにが起きても、その日一日を「幸せだったな」と思えればそれでいいではないですか。
それに加えて、結果的にお金が増えればさらにいいとは思いますが、そのお金も循環させなければ、いずれ早いうちに持続しなくなってしまうわけです。
いまの時代にこそ、この幸せやお金の真理に気づく必要があります。さもなければ、個人の生き方から地球環境まで含めて、人類はもはや持続できない地点に達してしまうでしょう。
この記事のひときわ
#やくにたつ
・利益を目的化すると柔軟に変化できなくなりチャンスを逃してしまう
・「なんのために働くのか」を明確にして、ブレない軸を持つ
・経済とは「人々を助けてよりよい世の中に変えていくこと」を意味する
・「自分にとっての幸せとはなにか」を考えることが大切
構成=岩川悟(合同会社スリップストリーム)、取材・文=辻本圭介、撮影=藤巻祐介