足元の水位が増していくように、不安感が這い上がってくる。感じるのは、正体不明の気持ち悪さ。得体の知れないものに巻き込まれているという感覚。だが、どうして人は怪しいものにこんなにも強く惹かれてしまうのだろう。気づいたときにはもう逃げ出せない。怖いもの見たさ、何かに慌てるようにページをめくる。そして、クライマックスにかけて明かされる真相に、ただひたすら打ちのめされる。——累計発行部数50万部突破「代償」をはじめ、ミステリー作家・伊岡瞬の作品を読むたびに味わわされるのは、そんな恐怖と興奮、衝撃だ。
※2023年9月28日掲載、ダ・ヴィンチWebの転載記事です。
それは、最新作「残像」(伊岡瞬/KADOKAWA)も同様だ。いや、今までの作品以上、と言っても決して過言ではない。暗い過去への復讐を描いた本作は、角川文庫75周年記念、文庫書き下ろし作品。その刊行に際し、伊岡は「信頼、裏切り、後悔、敬愛、憎悪、憧れ、友情、希望。そんなあれこれをぎっしり詰め込みました」と語るが、読めば、感情を揺さぶられっぱなし。読む人の心を惑わせ震わせる、圧巻のサスペンスミステリーなのだ。
主人公は、浪人生の堀部一平。お人よしな彼は、ある日、バイト先で倒れた60代の同僚・葛城を自宅アパートまで送ることになった。そこで出会ったのは、年代も性格もバラバラな3人の女性と、1人の少年。共同生活を送っているという彼らは、どうやら葛城を強く慕っているらしい。
猫を連想させるような鋭い目つきの美女・夏樹。一平と同世代、怯えた草食動物を思わせる、ぶっきらぼうな多恵。日本人形のような顔つきなのに、ラテン系のようなあけすけな性格、派手な出で立ちの、アラフォー女性・晴子。小生意気な小学生・冬馬。……個性的な人間ばかりだが、真面目な印象の葛城と彼女たちは一体どういう関係なのだろう。帰りがけ、一平は、夏樹から「ここへはもう来ないほうがいい」と忠告を受ける。だが、そんなことを言われたら、気になってしまうのが人間の性。一平は何かに導かれるように幾度となくこのアパートを訪れる。そして、ここで暮らす3人の女性全てに前科があることを知るのだ。
「何なんだ、この人たちは……」。読み始めたときはミステリアスな3人の女性たちにただただ圧倒させられたが、いつの間にか、彼女たちに愛着を覚え始めてしまった。一平が彼女たちと関わり、当たり前のようにその一員となっていくことに、温かささえ感じる。だからこそ、徐々に漂うきな臭い匂いに信じたくない思いが募った。しかし、どう考えても怪しいし、何かが変だ。女性たちは、明らかに一平を何かに巻き込もうとしている。だが、その目的も、その手段もわからない。わけのわからないものに巻き込まれていくのは、なんて気味が悪いのだろう。背筋を這う冷や汗。真綿で首を絞められているような息苦しさ。胸のざわめき。一平を何が待ち受けるのか、その運命から目が離せなくなる。
実はこの物語では、今、世間を大きく騒がせている、少年たちをめぐるある問題について扱われている。執筆時期からして偶然なのだろうが、なんてタイムリーなのだろう。今だからこそ、読んでよかった。その問題が、どれほどおぞましいものなのか、少年たちにどんな影響を与えるのか、改めて考えるキッカケになったのだから。
身を寄せ合う女性たちの目的は何なのか。水面下で蠢く(うごめく)企てはどこに向かうのか。読み終えたとき、この物語と、怪しげな女性たちと別れ難く感じている自分に気づく。心に何かが焼き付いていることに気づかされる。あなたも是非ともこの物語に触れてほしい。この物語の「残像」は、ずっとあなたの心にも宿り、決して消えることはないだろう。
文=アサトーミナミ