「デニーズへようこそ!」のあいさつがお決まりの理由とは?“諦めなかった”「デニーズ」の50年間に迫る

東京ウォーカー(全国版)

2023年11月、ファミリーレストラン「デニーズ」は日本上陸50周年を迎えた。今では当たり前の存在となっているデニーズだが、もともとは1950年代にアメリカで誕生したコーヒーショップ「ダニーズ・ドーナッツ」を出発点としたもので、本国では当時珍しかった「24時間営業」と「パンケーキ」により大ヒット。その後、1973年11月に日本法人・デニーズジャパンが設立され、翌1974年4月には神奈川県横浜市に「デニーズ」第1号店が開店した。

以降、関東圏を中心に続々と店舗を増やし、2023年2月末時点では全国317店を運営するほどの巨大ブランドになっている。しかしそんなデニーズも、この50年間で数々の苦難を乗り越えてきたという。

今回は、デニーズの運営元であるセブン&アイ・フードシステムズの杦谷大樹(すぎたにひろき)さんに、デニーズが日本で支持されるようになった理由を聞いた。

創業当初の「デニーズ」。2024年には日本1号店ができて50年が経つ


まずはサービスの徹底を。あいさつが「デニーズへようこそ」の理由

1970年代初頭の日本は、今ほど外食産業が盛んではなかった。1972年時点での外食産業のマーケットは、一説では現在の10分の1程度だったとも言われている。さらに、父・母・子どもという、一家がそろって気軽に行けるレストラン自体が少ない時代でもあった。

そんな時代に日本に上陸したのがデニーズだが、杦谷さんによれば、「まずはサービス面に重きを置きました」という。

「ちょうどデニーズの1号店が開店した1974年ごろは、人手不足などの影響で、飲食店のサービスの質が低下していた時代。それでも『ご家族で気軽にご利用いただきたい』という思いがあったので、まずはサービスを徹底することにしました。お客様がご来店されてからお帰りになるまで、真心とスマイルを徹底し、気持ちよく食事を楽しんでいただくことを目指しました。このスタイルを徹底し、さらにチェーン展開をすることで、『日本の飲食店全体のサービスレベルを上げていきたい』と思っていましたね」

ちなみに、今日まで続くデニーズお決まりのあいさつ「デニーズへようこそ」は、本国のスタイルをそのまま取り入れたそうだ。

「アメリカのデニーズでは、お客様がご来店の際、『Welcome to Denny’s』とあいさつをしていました。そのスタイルをそのまま日本にも取り入れ、『デニーズへようこそ』とごあいさつさせていただくようになったんです。これは、50年を迎えた現在も変わらず、お客様一組一組にきちんとお伝えし続けています」

おなじみのあいさつ「デニーズへようこそ」は創業当初から徹底していたという


日本人の舌に合わせたハンバーグを開発。後に社会現象となるスイーツも誕生

アメリカのスタイルをそのまま取り入れたのはサービス面だけでなく、メニューおよび調理オペレーションも同様。創業当初は、ステーキやハンバーグを焼く調理器具などもアメリカのデニーズで使われているものと同じものを輸入。ほとんど同じオペレーションで調理を行っていたという。

当時のヒットメニューは、「デニーズコンボ」というハンバーガー。ハンバーガー自体が真新しかった時代だが、現在のグルメバーガーのスタイルにも近い、別盛りのオープンサンドスタイルで提供し、大いに支持された。また、「アメリカンクラブハウスサンド」も、それまでの日本のサンドイッチとは異なるスタイルのメニュー。「気軽にテイクアウトもできる」と、大ヒットにいたった。

創業当初のヒットメニュー「デニーズコンボ」(写真は当時提供されていたもの)

ロングセラーとなっている「アメリカンクラブハウスサウンド」

「アメリカンクラブハウスサウンド」


その後は日本人のニーズに応えるべく、オリジナルメニューを続々と開発。まだ世間になじみのないものであっても、開発者が「これはおいしい」と言う料理やスイーツであれば、臆することなく積極的にメニューに加えていった。

「今でも根強い人気を得ているのが、1977年に考案した『和風ハンバーグ』です。当時はまだ“和風のハンバーグ”というスタイルが確立されておらず、いわゆる『大根おろしがのったハンバーグ』などはありませんでした。そんななか、『もしアメリカ人が和風のハンバーグをイメージしたらこんな味になるだろう』と、ハンバーグにネギをのせ、オリジナルの和風ソースをかけたメニューを考案したところ、好評に。現在までマイナーチェンジを繰り返しながら販売し続けている人気メニューです」

デニーズが考案した「和風ハンバーグ」


デニーズならではのメニュー、そして、デニーズがメニューに加えたことで、後に社会現象になったものはほかにもある。

「“デニーズならでは”と言うと、パエリア風の『ジャンバラヤ』、ファミレス業界では先駆けとなった『ラーメン』ですね。当初店で出していたラーメンはアメリカンスタイルの『ヌードル』でしたが、日本式の『ラーメン』に変えると絶大なご支持をいただくようになりました。結果的に、ほかのファミレスにも派生し、『ファミレスでラーメンを食べる』というスタイル確立の一助になったと自負しています。また、積極的にメニューに取り入れ、広く浸透させた例では、スイーツの『ティラミス』や『ナタデココ』もそうです。特に『ナタデココ』は社会現象にも派生し、ブームとなった1993年は『デニーズ』全店で625万食を販売した記録が残っています」

デニーズといえば!の「チキンジャンバラヤ」

社会現象にもなった「ナタデココ」(写真は現在提供されているもの)


リーマンショックとコロナ禍での大量閉店を乗り越えられた理由

創業当初から、外食産業および飲食業での革命を繰り返してきたデニーズだが、いい話ばかりが続いたわけでもない。特に2008年のリーマンショック、そして2020年からのコロナ禍は、「苦難の時代だった」と杦谷さん。

「まず、リーマンショックが起きたあとの数年は、転換期でした。景気悪化による業績への影響は大きく、不採算店舗を中心に全国150店舗を閉店することになりました。また、コロナ禍においても不採算になった50店舗を閉店することになりました」

しかし、特にコロナ禍においては、「デニーズができることは何か」を見つめ直すこともできたという。

「宅配など、レストラン以外の事業を強化するきっかけとなりました。特にお客様のニーズに合致したのが、冷凍食品『Denny's Table』の販売開始で、現在でも売り上げは好調に推移しており、有意義な取り組みだったと思っています。『おいしいものをお客様に提供すること』そして、『それまでの常識にとらわれず新たな挑戦をすること』は、創業当初から今日までデニーズがずっと大切にし続けているものであり、商品開発の根底にあるものです。こういった思いと姿勢が、苦難の時代を乗り越えられた理由のひとつであると考えています」

新たな価値の提供を諦めず、挑戦を繰り返した50年間

デニーズが創業当初から持ち続けるチャレンジ精神と常識にとらわれない姿勢は、創業から50年という節目を迎え、あらためて強く意識しているとのこと。その象徴的なイベントが、人気レストランのシェフが監修したメニューの展開だ。

「自社開発のメニューだけでなく、現在は『50周年記念メニュー』として、東京都内の人気レストランのシェフ監修メニューを販売しています。現在販売しているのは、『アロマフレスカ銀座』の原田慎次シェフによるものです。内容は『播磨灘産牡蠣とトロトロ冬野菜のスパゲッティ』『ローストポークのカルパッチョ仕立て』『ライ麦パン』のセット(2519円)ですが、デニーズでしか食べられない味に仕上がっています。ぜひご賞味いただければうれしいです」

50周年を記念して作られた特別ビジュアル。かつて長らく起用されていた江口寿史さんによる美しいイラストが復活

「アロマフレスカ銀座」原田慎次シェフによる「50周年記念メニュー」のセット


最後に杦谷さんに、デニーズが取り組んできた50年をあらためて振り返ってもらった。

「デニーズの50年には、新たな価値をご提供すべく挑戦を繰り返してきた歴史があると自負しています。これからも守りに入ることなく、新しい料理、新しい店舗、新しい価値を生み出せるよう、挑戦を続けていきたいです。そして、私たちを長きに渡って支えてくださった数多くのお客様には、感謝してもしきれない思いです。この思いを今後も忘れることなく、お客様においしい料理と良質なサービスを通じて、デニーズでの豊かなひとときをご提供できるよう、これから先も全力で取り組んでまいります」

取材・文=松田義人(deco)

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