デビューは平成9年。17歳より「DA PUMP」のヴォーカルとして活躍するISSAさんは、類まれな歌とダンスで日本のストリートカルチャーを牽引してきた存在だ。今年で活動20 周年の節目を迎えた彼は、「平成」という時代をどのように捉えているのか? 最愛のダンスを取り巻く環境の変化から、お気に入りのラーメンまで、“アツい”胸の内を語ってくれた。
平成でいちばんの思い出は「20周年ライブ」
CDの出荷枚数が最盛期に到達していた平成9年。ヒップポップやストリートダンスを取り入れた斬新なパフォーマンスで脚光を浴びたDA PUMPは、デビューからすぐにヒット曲を連発。瞬く間にスターダムを駆け上がり、翌年にはNHK紅白歌合戦に初出場する。当時の心境をISSAさんに振り返ってもらった。
――僕らは『Rhapsody in Blue』を披露したのですが、トップバッターだったのでまだ出演者の方々が周りに残っていて、SMAPさんが一緒に歌って踊ってくれていたんです。小さい頃から大好きだった大スターと共演することができて、込み上げるものがありましたね。沖縄にいた頃はガラクタみたいな少年だったけど、なんとか親孝行できたというか(笑)。
その後、メンバーの脱退を経て現在は7人体制で活動中。今年6月には、千葉・舞浜アンフィシアターで結成20周年記念ライブ『LIVE DA PUMP 2016-2017“RED~live 20th~”』を開催した。
――この20年を総括するようなライブだったので、僕にとっては平成を生きてきた中でいちばん印象的な1日でした。親子三代で来てくれたケースもあれば、子どもに僕の名前をつけている人もいたり、僕とソックリのピアスをしている少年も……『やめとけよ!』って思う部分もありますが(笑)。それぐらい好きでいてくれる人たちのためにも、まだまだ頑張っていこうと思いました。
いつかオリンピックに審査員として携わりたい
現在、日本のストリートダンス人口は600万人を超えると言われている。ダンス文化が急速に浸透したことは。平成を象徴するトピックだと言っても過言ではない。
――僕が中学生でダンスを始めた頃は、スクールが少なかったこともあって、人気ダンサーの数少ないビデオを手本に見よう見まねで練習するしかありませんでした。それこそ、路上でダンスをやっていると“不良”のレッテルを貼られがちな時代でしたね。それが今は学校の必修科目になっているし、子どもをダンススクールに通わせる親も多いので、時代が180度変わったような印象です。
グループのアイコンであるISSAさんや、世界大会で8年連続優勝しているKENZOさんを擁するDA PUMPは今もダンスシーンの先駆者だ。その目は、もう次の時代を見据えている。
――もはや技のクオリティが人間離れしたレベルにまで高められているので、例えば今後はブレイクダンスなどがオリンピックの種目になったら面白いと思います。東京オリンピックには間に合わないかもしれませんが、いつかダンスが世界的なスポーツの一種として捉えていただけるような時代になって欲しいですね。僕もいつまで現役でいられるかわからないけど、仮に動けなくなっていても審査員として携わることを目指したいな(笑)。
後編では、平成のモテ男として知られるISSAさんの、気になる私生活は…?
取材・文=浅原聡