第43回日本レコード大賞(2001年)最優秀新人賞を初め日本だけでなく、香港や台湾、中国やベトナムでも数々の賞を受賞。平成13年のデビュー以来、w-inds.はアジアを代表するアーティストとして輝かしい実績を残してきた。常にグローバルな視点で時流を捉えてきた彼らが、『東京ウォーカー』の1000号特別企画である「平成PHOTO熱記」に登場! 三者三様の「平成」にまつわるエピソードや、グループとしての「次の時代」へのビジョンを語ってくれた。
平成はJ-POPが売れすぎてしまったと思う
——w-inds.の3人が生まれたのは昭和の59年(千葉涼平)と60年(橘慶太、緒方龍一)。物心ついた頃には平成になっていた世代だと思いますが、自分が「昭和生まれ」であることを実感する瞬間はありますか?
慶太:僕らはどちらかというと体育会系で、ダンスや歌のレッスンでも先生方にガンガンしごかれて育ったのですが、やっぱり平成生まれのコたちには縦社会や根性論は通用しないというか(笑)。接していて温度差を感じる瞬間が時々ありますね。
龍一:みんな接し方もフランクだし、周りのことを気にせずにマイペースを貫くスタンスはすごいと思います。悪く言えば協調性がない(笑)。
涼平:今後、平成から年号が変わったとしたら、昭和生まれの僕らは『前の前の時代の人たち』になるわけで。そう考えると、ちょっとヘコむんですよね。世代間の違いを取り上げて良し悪しを語るのは難しいですが、時代に合わせて考え方をアップデートしていく柔軟性は持っていたいですね。
——音楽シーンは今も昔も刻々と移り変わっていますが、平成を象徴する物事は何だと思いますか?
慶太:パッと思い浮かんだのは、シングルCDのサイズの変化ですね。もともと直径8cmの規格が主流で長方形のジャケットに包まれて販売されていたのが、僕らがデビューした平成13年(2001年)前後は直径12cmの“マキシシングル”に移行している過度期だったんです。それが今は、配信サイトやストリーミングサービスを介して音楽を楽しむスタイルが台頭していて、今後はCDそのものが姿を消すかもしれません。
——「CDが売れない時代」と言われて久しいですが、音楽の作り手として市場の変化をどのように捉えているのでしょうか。
慶太:それはもう、変わっていくことが必然だと思っています。CDだけに限らず、ファッションも、テレビ番組などの映像の楽しみ方も変わっていますし。『どうにかして、もう1回CDを売らなきゃ!』とは思っていないですね。
幅広い層に楽曲が届いていることを実感できた
——そんな中で、近年のw-inds.は海外のトレンドを取り入れた革新的な楽曲を発信して話題を集めています。平成で隆盛を極めた“王道のJ-POP”とは一線を画すような路線を貫く意図を教えてください。
慶太:それこそJ-POPが売れに売れたことで、スタンダードになりすぎてしまったという考えが僕の中にはあるんです。メロディーや歌詞の美しさなど、僕自身もJ-POPが好きですが、それだけに偏ってしまうのは音楽家としていかがなものかと。だから僕たちは、従来のヒットソングの枠から少し外れたかっこよさを追求することにこだわってきました。リスナーの方々にもっと幅広い音楽を好きになってもらいたいという思いがモチベーションになっていますね。
龍一:もともと僕たちは海外でライブをやらせてもらう機会が多かったので、『世界ではどんな音楽が受け入れられているか』ということを常に意識していた部分があるんです。それぞれがアンテナを広げて国内外の最新の音楽を追いかけていることがベースにあると思います。
涼平:実際に、今年は慶太が製作したシングル『We Don't Need To Talk Anymore』や『Time Has Gone』をリリースしたことをきっかけに、YouTubeの再生回数などが明らかに増えてきていますし、去年よりも幅広い層に楽曲が届いていると思います。自分たちが選んできた道が間違いじゃなかったということを感じています。
——次の時代に向けてどんな活動をしていきたいですか?
慶太:実際のところ、平成が終わるという実感はまだないのですが、グループとしてもっと進化するために、キリが良いタイミングなのは間違いありません。だから来年からは一層、世界を見据えていきたいと思っています。全編英詞の曲があってもいいかもしれないし、サウンドの作り方もさらに海外の手法に寄せてもいいかもしれません。音楽業界全体がグローバルな視点で取り組めばガラパゴス化を防げるかもしれないし、もっと世界に向けて日本の音楽を発信していける時代になったら嬉しいですね。
後編では、メンバーが個人的に思い入れのある“平成の思い出”を語る。
取材・文=浅原聡 撮影=福岡諒祠