右耳難聴や子宮内膜症といった自身の病気、そして家族との別れ。重くなりがちなテーマを、親しみやすい絵柄でコミカルに描き続けている漫画家のキクチさん(kkc_ayn)。 特に、若くして母親の介護と看取りを経験した日々を綴った『20代、親を看取る。』は、親の老いに直面する同世代から大きな共感を呼び、2023年に書籍化されるほどの反響を呼んだ。
そんなキクチさんが新たに描くのは、母との別れからわずか2年後に起きた、父親との闘病記録『父が全裸で倒れてた。』だ。 母の経験があるとはいえ、今回は一人っ子として頼れる家族がいない孤独な戦い。いつかは誰もが直面する「親の老いと死」について、今回は手術前の緊迫したエピソードと、せん妄状態の父に翻弄される複雑な心境について、キクチさんに話を聞いた。
「死なないための代替案」医師の言葉に戦慄
物語は、父親の体内にできた腫瘍の検体を採取するため、手術のリスク説明を受ける場面から始まる。本来は治療目的ではなく、原因特定のための検査手術のはずだった。 しかし、医師から告げられたのは予想以上に厳しい現実だったという。 「この状態じゃなければ、本来リスクはほとんどない手術なのですが……」 医師は何度もそう口にした。父の体の状態があまりに悪すぎるため、一般的な術式が使えないのだ。提示されたのは、いわば「死なないための代替手段」ばかり。キクチさんは、具体的なリスクを知らされたことで、以前行われた延命措置の確認時よりもリアルに「父が死ぬかもしれない」という恐怖を感じたそうだ。
看護師は褒めるのに…せん妄の父による「試し行為」
手術を控えた父の病室を訪れると、そこにはさらに辛い現実が待っていた。 父はせん妄状態で、会話は支離滅裂。それだけならまだしも、献身的に世話をする娘のキクチさんに対して、あからさまに不満げな態度を取ったのだ。 「私なりに必死に頑張っているのに、看護師さんだけを褒める父を見て、本当に傷つきました」 もちろん看護師さんへの感謝はあるが、やりきれない思いが込み上げる。さらに父は「短パン」という単語をわざと聞き取りにくく発音し、娘が理解できるか試すような素振りまで見せたという。
完全に意識がないわけではなく、中途半端にコミュニケーションが取れてしまうからこそ、「意地悪な別人」になってしまった父の言葉は刃となってキクチさんの心を削った。脳の意識障害だと頭では理解していても、まともに受け止めてしまい、心は激しく消耗していった。
「一人ぼっちの実家」で号泣した夜
病室では気丈に振る舞い、涙を見せなかったキクチさん。その背景には、担当の看護師さんが自分より若かったため、「年下の前で泣くのは恥ずかしい」という変なプライドがあったと振り返る。 しかし、誰もいない実家に帰り着いた途端、張り詰めていた糸が切れ、一人で号泣してしまった。 「せん妄で何もわかっていない父に、自分が傷ついてまで会う必要はあったのか」 そんな迷いも頭をよぎったが、もしこれが最期になったらという可能性を考えれば、やはり会いに行って間違いではなかったとキクチさんは語る。
一番辛かったのは、その悲しみを共有できる相手がその場にいなかったことだ。 「もし夫がそばにいて、『お義父さん、ムカつくなぁ!』と一緒に怒ってくれていたら、このえぐられるような悲しみも半分くらいになっていたかもしれません」 20代という若さで、たった一人で親の命と向き合う孤独。それでも淡々と、時にユーモアを交えて描かれるキクチさんの記録は、読む人の心に深く問いかけてくる。
※記事内に価格表示がある場合、特に注記等がない場合は税込み表示です。商品・サービスによって軽減税率の対象となり、表示価格と異なる場合があります。