母親の自宅介護と看取りを綴った『20代、親を看取る。』で大きな反響を呼んだキクチさん(
kkc_ayn
)。その2年後、今度は一人暮らしをしていた父親が病に倒れてしまう。母の経験を経て落ち着いて対応できることは増えたものの、今回は一人っ子として、頼れる家族が全くいないなかで重い決断を迫られることになった。いつかは誰もが直面する「親の老いと死」のなかでも、最も過酷な「延命措置」への選択に向き合うエピソードをお届けする。
「生きる」と「生かす」の境界線で揺れる心
病院からの電話で、今後の延命措置をするかどうかの意思確認をされたキクチさん。父との過去の会話が思い浮かぶものの、本人の意思が確認できないなかで、その命を左右する決断を代わりに行うことは、精神的に最も大きな負荷がかかる出来事だった。
「まず、延命措置が何なのか全くわからないですよね」とキクチさんは振り返る。延命は生きるための手段だと思いたいが、医師と話すうちに、それは「生きる」というより「生かす」に近いのではないかと感じ始めたという。どこまでが本人の尊厳を守るための治療なのか。正解が全く見えないなかで、彼女の心は激しく混乱していった。
病院との温度差に感じる、決断の重圧
驚きだったのは、延命についての意思を電話や書面でサラッと確認されたことだ。キクチさん側は時間をかけて考えたいと願っていたが、病院側からは「とりあえずでよいので」と、軽いテンションで答えを催促されているように感じてしまった。命の選択という重大な局面において、病院側とのあまりに大きな温度差に、複雑な心情を抱かざるを得なかった。
ビジネスの場ですら「一旦持ち帰らせてください」と言える議題がある一方で、医療の現場ではいつ急変するかわからない。返事を待ってもらえない事情は理解できるものの、その切迫した状況がさらに彼女を追い詰めた。この後も延命措置に関する確認は3回繰り返されたが、かつて母を在宅で介護し、医師からかけられた印象的な言葉が、キクチさんの心のなかに静かに残り続けている。
取材協力:キクチ(kkc_ayn)
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