年間約90万個のだるまを出荷し、全国の大多数を占めると言われる高崎だるま(群馬県高崎市)。今年も高崎市のだるま工房は、忙しさのピークを迎えている。老舗工房である「大門屋」にも全国各地からの注文が次々と寄せられ、工房では職人が真剣な表情で制作に打ち込んでいる。
「いつから職人になったんでしょう。それは僕にもわかりません。物心ついたときには、すでに家業を手伝っていましたから」。そう切り出したのは、大門屋物産株式会社 代表取締役社長・群馬県達磨製造協同組合 理事長を務める中田純一さん。
「大門屋」の四代目であり、「群馬県ふるさと伝統工芸士」として、高崎だるまの伝統と歴史を受け継ぐだるま職人だ。今回、「高崎だるま」の歴史とともに来年に開催される「高崎だるま市」についてお話を伺った。
「高崎だるま」とは
鮮やかな赤色に、顔には日本の吉祥である鶴と亀が描かれ「縁起だるま」「福だるま」とも呼ばれている高崎だるま。お腹には「福入」、両肩には「家内安全、商売繁盛、大願成就、目標達成」などの願いを込めた金文字が描かれている、全国的に見ても珍しいだるまだ。
「高崎のだるま作りは、今から二百十数年前、豊岡村(現高崎市)の山縣友五郎が始めたとされています。友五郎が始めたころは、色塗りに使う赤の材料を手に入れることが難しく、生産量は少なかったようです。
その後、横浜港の開港(1859年~)により、高崎も交通面が発達しました。それにより、海外からの輸入された赤の顔料が高崎へも入ってくるようになり、だるまの生産が盛んになっていったのです」。
歴史をたどると、旧豊岡村が1955年に高崎市と合併するまでのおよそ140年の間は、「高崎だるま」は「豊岡だるま」と呼ばれていたそうだ。
その後「高崎だるま」として商標登録を行い、全国にその名が広がった。さらに平成5(1993)年には、「群馬県ふるさと伝統工芸品」に指定されている。
「だるまは本来、工芸品としての価値だけではなく、人の「願(ねがい)」を叶えるための大きな力となるものです」。だるまに託す願いは詳しく聞いたうえで魂をこめて書き入れる、と真剣な眼差しで話す中田さん。
工房を見学させてもらったが、ピリッとした工房内の雰囲気にこちらの背筋も伸びた。そして中田さんの滑らかで美しい筆さばきに魅了される。中田さんが作るだるまは日本国内はもとより、広く海外でも高い評価を得ている。
高崎だるま市のルーツを辿る
「江戸時代、田町(高崎市)の市で、だるまを売る様子が版画と文章で残されています。街中で、だるま市のルーツともいえる動きが始まっていたことがわかる貴重な資料です」と資料を見せてくれた中田さん。
これは、「高崎談図抄」という文政十二(1829)年の文献で、近年、だるまに関わる記載があることがわかったそうだ。高崎城の城下町として栄えた高崎は、「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺ののれんがひらひらと」と謡われたほどにぎわっていたという。高崎談図抄には、当時のだるま市のルーツが残されていた。
そして、歴史に基づいただるま市を行うべく、2017年より、市と市観光協会、群馬県達磨製造協同組合によって1月1日と2日に、高崎駅西口駅前通りでだるま市を開催した。この取り組みは、組合にとって設立101年目の新たな挑戦となった。
2018年1月1日・2日に「高崎だるま市」を開催!
2018年も「一年の恵は高崎にあり」というキャッチコピーで、1月1日(月・祝)と2日(火)の午前10時から午後4時まで、2日間にかけて「高崎だるま市」が開催される。
前回は約25万人もの人が来場したこともあり、2018年の高崎だるま市は、JR高崎駅西口駅前通りからあら町まで、会場を前回の2倍に拡大する。
また、高崎市の美味しいグルメが満喫できる「たかさき開運食堂」に25店舗が出店。お楽しみ抽選会やお餅の無料配布(各日先着200名)ステージでのイベントも行われ、多くの人で賑わいをみせそうだ。
さらに、初詣スポットに行ける初詣スポット無料巡回バスも運行予定。午前10時から運行され、西コース、東コースの2つの巡回コースが用意されている。
職人たちが人々の幸福を願い、一体一体魂を込めて作っただるまに出会える「高崎だるま市」。その歴史を知れば、先人たちの残した伝統に風情を感じることができるだろう。新年を彩る高崎だるま市、ぜひ足を運んでほしい。
矢野詩織