代官山や下北沢の時代が終わり中目黒、恵比寿、秋葉原が躍進!(住みたい街ランキング2000年代)

東京ウォーカー(全国版)

「住みたい街ランキング」で下北沢や代官山が上位の常連だった1990年代。2000年代に入って本格的なネットの時代が始まり、情報を個人で発信できるようになると、中目黒、恵比寿、三軒茶屋などがランキング上位へとのし上がった。その背景を探ると、キーワードとなるのは“グルメ”だった!

春は桜、冬はイルミネーションの名所として知られる、中目黒駅近くの目黒川。写真は'09年に宝来橋から駅の高架を撮ったもの(C)三井公一/アフロ


有名人も出没する“美食の街”としてあこがれの街となった中目黒


2000年代に暮らしを大きく変えたものはインターネット。リアルな街での買い物がネットショッピングに取って代わられ、その一方でネットでは済ませられない“外食”は、個人のネット発信のネタとしてさらに注目度がアップ。食べログが'05年にサービスを開始し、'07年にはシュランガイドも日本初登場。これらは、街のトレンドにも影響を及ぼすことに。90年代までは代官山などファッションの街が注目されていたが、2000年代以降はその街の“食”の印象が街の注目度に反映されるように。これらの流れの中で、90年代から一定の知名度があった中目黒の人気は2000年代に急上昇した。

【写真を見る】2008年の「住みたい街」ランキング(東京ウォーカー掲載)。鎌倉や国立、日吉がランクインの常連だった90年代と大きく異なる点は「都心への近さ」。23区外は吉祥寺のみだ


中目黒は90年代に人気を誇った代官山に隣接しており、一定の知名度はあったが、2000年代に入るとそれ以上の存在に。ビストロや肉バルなどグルメのトレンドを生み出す街として“美味礼賛”の世相を表す街となった。また、有名人が出没することが多いというイメージも憧れ度アップのポイントになった。

'16年に「中目黒高架下」がオープンして、駅周辺は様変わり。中目黒らしい、おしゃれな飲食店が線路の下に立ち並ぶ


デートスポットの代表格・恵比寿はグルメ要素が加わってさらに人気爆発


恵比寿もグルメのトレンドを送り出す地として2000年代にさらに人気が上昇した街の一つ。'94年の恵比寿ガーデンプレイスのオープンで、おしゃれなデートスポットとしての地位を築き、2000年代にはバル人気の発信地として話題になるなど、グルメな街としても一層人気に。また、山手線の停車駅という好立地でもあり、今に至るまで不動のブームタウンとなっている。

'07年に撮影された恵比寿駅西口の様子。駅ビルのアトレは、この本館に加え、'16年には西館が開業(C)高橋正郎/アフロ


恵比寿に隣接する白金台、広尾といった高級住宅街も2000年代には非居住者からの人気が上昇。都心の神楽坂も含めて、これらの街には欧米人コミュニティがあり、さまざまな国の本場の味を提供する店が多い。それらの店がマスコミなどで取り上げられるたびに、グルメの街として注目度が上がったことがランキングで大躍進した理由の一つとして挙げられるだろう。

東急線の上品なイメージとディープな雰囲気が同居する三軒茶屋


“横丁飲み”という言葉が生まれ、小さな“カウンターダイニング”や“立ち飲みバー”が若い人たちの間で人気を集めるようになった2000年代。三軒茶屋にはレトロでディープな飲み屋街“三角地帯”が存在し、それもまた人気アップの要因の一つに。一方で、“東急田園都市線が走る世田谷区”という地域のブランド力が、住みたい街ランキングに大きな影響力を及ぼすようになったのもこの時代。おしゃれ感と、昭和の雰囲気を残す庶民的な感覚が同居している、その暮らしやすさも人気が急上昇した理由だろう。

'07年の三軒茶屋駅周辺。奥に見える高層ビルは'96年に完成した商業施設「キャロットタワー」。今でも街のランドマーク的存在だ(C)OSAMU KOYATA/SEBUN PHOTO/amanaimages


不動のビッグタウン・渋谷から近い上に、急行が停まるというアクセスの良さも三軒茶屋の「住みたい街」としての人気が高まった秘密の一つだ。アクセスで2000年代に注目度が上がった街としては、六本木周辺の麻布十番が挙げられる。2000年に都営大江戸線が全線開通し、2003年に六本木ヒルズが誕生すると、それまで限られた人たちの遊び場だった六本木や西麻布、麻布十番が一般化した。さらに、麻布十番は三軒茶屋と同様におしゃれ感と庶民的な雰囲気が同居するエリア。「住みたい街」のランキングも必然的に上がっていった。

市民権を得たオタクの街・秋葉原はB級グルメの聖地としてもクローズアップ


「住みたい街」ではないが、ジャパンカルチャーの発信地として世界的に注目を集める街となったのが秋葉原だ。90年代までは電気街としての印象が強く、家電を扱う大型店や電子機器のパーツを扱う専門店がずらりと並んでいた。しかし、2000年代に入って漫画、ゲーム、アイドルなどそれまでは“隠れた趣味”だったオタク文化が市民権を得はじめると共にそれらのグッズやDVDソフトを扱う店が急増。2005年の映画「電車男」のヒットや、AKB48のデビューなどを経て“オタクの街”へと変貌。メイドカフェが大ブームを巻き起こし、毎週日曜日に秋葉原地区の中央通りで行われる歩行者天国も大盛況を誇るように。一般人からの注目度もぐんぐんと上がっていった。

写真は2007年。秋葉原駅前に全国区の「ヤマダ電機 LABI秋葉原パソコン館」が登場。老舗の「秋葉原ラジオ会館」は当時はまだ旧ビルだった(C)共同通信社/amanaimages


バンドや小劇場が流行っていた時代の下北沢に取って代わり、オタク文化が隆盛を誇るようになった2000年代に日本のサブカルチャーの一大スポットとなった秋葉原。2005年につくばエクスプレスが開通して、交通の利便性が良くなったことも人々がさらに集まった理由の一つだろう。一方で、訪れる若い男性たちの胃袋を満足させるべく、カレーをはじめ手頃な値段でお腹いっぱいになれる“B級グルメ”の店も林立。そのメッカとしても存在感を強めていく。“モノ消費からコト消費へ”と言われるようになった時代、「住みたい街」においても「遊びたい街」においても、グルメの要素は人々を引きつける大きな要素になっている。

「東京ウォーカー CLASSIC 2000's」編集部

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