会田誠は「絵描き」にあらず。絵の具と筆を使うことが回数的に多い「コンセプチュアル・アーティスト」!
ただいま、大阪・中之島の国立国際美術館で会田誠氏の「滝の絵」が絶賛公開制作中。残すところあと4日の公開制作会期中の会田氏に緊急インタビュー!
―今回はこの「滝の絵」の公開加筆ということですが、「公開」というかたちをとられたのは何故なんですか?
これは、僕自身の希望だったわけではさらさらなく、今年1月から開催されてた「絵画の庭」っていうのがあって、それに間に合うはずだったのが1月の時点でもう間に合わなかったんですよね。でもまあ見せられない状態ではなかったのでそのまま見せてたんですが、展覧会としてはそれで良かったんですけど、この画が美術館の所蔵作品の候補になってまして、それを決定するための審議委員会みたいなのがあるんですけど、それに出すためには出来上がってないとだめだということで。でもこれだけデカいと東京に持って帰るのも難儀であると。それで、学芸員の方の恩情で(笑)、延長を認めてくれて。要するに劣等生の居残りですね。「出来上がるまで帰さん」みたいな(笑)。
―(笑)。2005年に着想、翌年に着手とありましたが。
2005年にロンドンで個展があったんですけど、そのオープニングの日がちょっと精神的に参ってて「日本に帰りたいなあ」っていう気分で。主役のはずなんだけど、会場からひとりで抜け出て路上でふてくされてビール飲んでた時に、ふと「滝」のあるとこに行きたいな、みたいに考えたんですよね。
―郷愁から(笑)。
そう。それで「南アルプスの天然水」のCMの影響だと思うんですけど、そのイメージのなかに女の子がもれなくついてて、滝で、スクール水着で戯れてる絵を描きゃいいのかな、という。ロンドンはアートの盛んなところでしてね、僕もそこで若い世代のアーティストの、流行の、斜に構えて、変化球に満ちた作品なんかもチラチラ見て、それが原因で僕の不機嫌が溜まってた時だったので、もう「こんな画描いちゃおう」みたいな。「もう現代美術なんて呼ばれなくてもいいから」「素直に好きなものだけ描いて何が悪い」っていう開き直りというか。…こう見えて僕は、自分の好きなものをそのままストレートに描くということは無いんですよ。
―そうなんですか?それはほんとに意外なんですが。
ええ、まったく。女の子が足を切られてる画とか、キングギドラにレイプされてるやつとか、描きたくて描いてるっていうよりはある種、美術の世界においてまずショックを与えることを目論んだ、いわゆる計算高い企画ものですよ。
―いわゆる外向きの作品であると。
僕の作品はほとんどがそうで、僕はまさしくそういうところに特徴がある作家だと思うんです。ある種のショックを与えることで、まずアートとしてはカテゴリーされるであろうと。アートとアートであらざるものの線引きって難しいと思うんですけど、今までの作品はだいたい何らかの要素を入れることでアートとしていたんですけど、今回の画に関しては、アートから一歩踏み外しちゃってもいいのかなと。荒川修作とルノワールに挟まれていま描いてますけど、この10日間、何かこう…麻薬組織に送り込まれたおとり捜査官みたいな気持ちというか。僕としては荒川の仲間なんだけど、それは今は言えなくて、ルノワール帰りのオバちゃんたちにもきっと同じように見られてるんだろうなあ、みたいな。複雑でねじれた心境(笑)。自分自身をそう持ってったんですけどね。
―この画は「僕が描き得る唯一の宗教画だ」と仰ってましたが。
まあ、それはちょっとオーバーでしたけど(笑)、僕が描き得るっていうことは、僕に宗教観があるとするなら、せいぜいこんなもんっていうことですかね。「日本の自然っていいなあ」とか日本の少女たちが代表する若さとか生命とか、元気っていいなあ、とか。結局「生まれてきて良かった」っていう程度の(笑)。それ以上の宗教って必要としないですよね。
―会田さんの作品は、さきほど仰ってたようにショッキングな描写が多用されてますが、こういう描写は怒りのボルテージなのか、嘲笑してほしいと思ってらっしゃるのか、どちらなんでしょう?
怒りのボルテージっていうのは、僕には似合わないでしょうね。わりと僕は笑って欲しくて作ってるようなところがあるんですけど、あまり笑ってもらえないんですよね(笑)。作品の内容に関しては、笑ってほしいことが多いかなあ。この滝の絵も、本当は笑って欲しいんですよ。「ありえねえ〜!」みたいに。
【インタビュー(2)に続く】
(取材・文=三好千夏)