――確かに今季の阪神は最後は残念でしたが、優勝に近い戦いをしていました。
「ことしの順位で(上を指しながら)ここと(下を指しながら)ここの位置にいて、どっちのチームに入って優勝を目指すのかというと、(上を指しながら)ここに入ってしまうと頂点に行くまでの過程がなくなるような気がしちゃうんですよね。これがまたベイスターズとタイガースの順位が逆転していたなら、違う答えになっていたかもしれません」
――最終的に決めたのはいつだったのでしょうか。
「本当に決めたのは11/29、記者会見する前日ですね。11月いっぱいと(リミットを)決めないと、自分の性格だとあれこれ考えて結局はいつ踏ん切りをつけるのか、というのがありましたから。29日の昼過ぎに決めて家族と話をして、まずタイガースさんに電話で気持ちを伝えて、それからベイスターズに伝えました」
――11/30の横浜での残留表明会見の前に急きょ大阪に向かったんですよね。トンボ帰りで横浜にUターンしています。
「どうしても直接会ってタイガースさんにお詫びしたかったんです。そうでないと横浜で会見とか、ベイスターズでお願いしますとか、そういう気持ちになれなかった。けじめだけはしっかりとつけたかったので、お会いさせていただきました。日曜日で休みだったんですけどちょっと無理を言ってお時間を作っていただいて。すごく感謝しています。僕のことが必要だという気持ちはすごくよく伝わりましたし、本当にありがたいことでしたけど、どうしても行くことができなかった。そこだけはきっちりと伝えたかった」
――改めてFA宣言したことを振り返ると?
「よかったと思いますよ。確かにいろいろな方にご迷惑をおかけしましたけど、自分のわがままで手をあげさせてもらったし、他球団の話も聞くことができましたので。やはり心は揺れ動きましたけど、本当に三浦大輔個人としては宣言していろいろなものが見えたのでよかったと思っています」
――FA選手の権利ですから、そこを「ご迷惑をかけた」と振り返るところに三浦さんの誠実な人柄が出ていますね。今回の過程で「いろいろなものが見えた」とおっしゃっていましたが具体的には。
「僕の原点がまず見えました。十何年もずっとやっていると忘れかけた部分とか、自分はどうして野球をやってきたのか、という部分ですね。もちろんファンの方に一生懸命応援していただいているということは今回のFAでよりいっそう感じることができました。こんなに応援してもらっているんだ、と。もちろんシーズン中も応援してもらっていることはわかっていましたけど、それ以上に改めて感じることができました」
――それはファンのどんな言葉で。
「FAをするかしないかの報道が出始めたころからブログへの書き込みがすごくなりましたし、宣言した日はいままでにないぐらい、本当にビックリするぐらい書き込みが来ましたから。そのコメントにも全部目を通させていただきました。すごくありがたかった。タイガースファンから『来てくれ』という声もありましたし、一方で『残った方がいい』というベイスターズファン、他球団のファンの声もありました。ドラフト6位でプロ入りして、はい上がってやる、絶対に注目されてやる、という気持ちでやってきましたけど、ファンの応援があって僕はここまで来ることができたんだな、ファンあっての三浦大輔なんだなと改めて思いました」
――三浦さんの「ベイスターズ愛」というものを再確認できたのではないですか。
「それも残留のひとつの決め手です。タイガースも好きだけど、やっぱりベイスターズも好きなんだな、と。もう一回優勝したいんです。強いところを倒して優勝したら気持ちいいだろうな、と。やはり98年の日本一が忘れられない。こんなにいいものかと思いました(笑)。経験したことがなかったし、プロ入って一回はビールかけしたかったというのもありますしね。じゃあそれで満足かというと違う。もう一回したいという欲がやはり出てくるんですよね。タイガースに入れば可能性が高くなったかもしれないし、そういうところでいろいろ悩みましたが、やはりベイスターズで優勝したかったんです」
――1998年以来の優勝へ。ベイスターズには何が必要でしょうか。
「あの……全部だと思いますよ。いまのベイスターズにしてみれば優勝は簡単なことではないと思いますし、やることはいっぱいある。変えていかなければいけないところがいっぱいある。もちろん選手個人のレベルアップは必要だし、補強で戦力を整えることもすごく大事なんだけど、それ以外にもいろいろな部分で変わらないといけない。大変なことですけど、やらないことには優勝できない。僕自身も言っていきたいとは思います。もちろん自分自身もしっかりとレベルアップしてグラウンドで結果を出さないといけないと思っています」