東日本大震災を受け、売上を義援金として寄付する“チャリティラーメン”など、ラーメン界で支援の輪が広がっている。さらに目立つのが、店主自らが被災地で行う“ラーメン炊き出し”。比較的調理がしやすい上、もともとラーメン店主に男気あふれる人物が多いことも手伝って、現地での炊き出しが数多く行われているようだ。
「今、多くのラーメン店が義援金活動をしていますが、金銭面だけでなく、実際に被災地に行って“温かいラーメン”を提供したいと思ったのがきっかけです」と話すのは、4月4日に「麺や 庄の」(東京・市ヶ谷)「麺屋 宗」(東京・高田馬場)のチームなどと一緒に、宮城県石巻市に炊き出しに訪れていたフードジャーナリストのはんつ遠藤さん。
はんつさんらは、800食分の材料を車に積み込んで現地入り。石巻市役所の前で、4日の朝9時半から動物系&魚介系で取った「あっさり醤油ラーメン」の炊き出しを行った。温かい食事が貴重な被災地で、あっという間に行列ができ、午後2時半には用意した800食全ての提供が完了したという。「家を失なった被災者の方々がずっと並んで下さって、最後に『ありがとう』と言葉をかけてくれるんです。何だかこちらが申し訳なくなり、やりきれない気持ちでした」とはんつさん。過酷な状況に身を置きながらも、感謝を忘れない被災者の温かい気持ちに触れ、思わず胸が熱くなったようだ。
また、「ラーメン凪」(東京・渋谷など)の店主・生田智志さんは、3月20日からの約10日間と、4月5日から現在に至るまで宮城県南三陸町に滞在中。炊き出しはもちろん、被災地での様々な支援活動に参加している。「ただ行って戻ってくるだけでは根本的な解決にはならない。現地に滞在して、被災地の状況を見極めつつ、今どんな支援を必要としているかを常に考えています」と話し、炊き出しだけでなく、全国各地から届けられた支援物資の整理や運搬にも取り組んでいるという。
そんな生田さんの活動を、現地で一緒に支援しているのが「麺や 七彩」(東京・都立家政など)の店主・阪田博昭さんだ。「被災した東北の店の店主から炊き出しする案が出て、自分も炊き出しに駆けつけました」と阪田さん。「貴重なガスなどを極力使わないようにして、その時手に入る材料だけで作りました」。現在では、仙台・福島の店にもお客さんが徐々に戻りつつあるようだが、それでも「被災した人の事を考え、行動し続けることが一番です」(阪田さん)と、その場限りではない“持続的な支援”の重要性を強く訴えていた。
さらに「本枯中華そば 魚雷」(東京・後楽園)などを展開する「BOND OF HEARTS」代表の塚田兼司さんは、3月12日未明に強い地震が起こり、多くの住民が避難所生活を余儀なくされていた長野県北部の栄村で週1回の炊き出しを続けてきた。「震災直後から、信州麺友会のメンバーでラーメンの炊き出しを行ってきました。ようやく徐々に避難所から自宅に戻られる人が増えてきて、4月12日が最後の炊き出しになりました。皆さんが一刻もはやく普通の生活を取り戻せることを願っています」と力強く語ってくれた。
“チャリティラーメン”から被災地での炊き出しまで、ラーメン界で広がっている“支援の輪”。炊き出しのラーメンは、多くの被災者に束の間の休息を提供しているようだ。「今自分がこうして生活していられる感謝の意もこめて、これからも様々な被災地支援を続けていきます」(はんつ遠藤さん)というように、今後もラーメンを通じた“支援の輪”が続いて行くに違いない。【東京ウォーカー】