女性の共感を集める直木賞作家・島本理生原作の「R e d」を、耽美的な映像美と大胆な結末で描き切った三島有紀子監督の最新作、映画『R e d』。
過去作の『幼な子われらに生まれ』(17)では血のつながらない娘と家族になろうと心を尽くす男を描いた監督が、今作では、幸せな家庭を自覚しながらも、昔愛した男との心と身体の結びつきから、本当の願いに気づいてしまう女性の人生を見せつける衝撃作だ。原作とは違う結末を用意した監督は「人生の中で、一番大切なものを選び取った瞬間をしっかり描きたいと思った」という。はたして、どんな願いを込めてこの作品を作り上げたのだろう。
■「主人公の塔子はまるで現代版『人形の家』のノラ」
監督はいつも「自分がこの原作の何に反応するのかを面白がりながら小説を読む」そうで、今回は「現代版の『人形の家』になるなと強く思った」という。
『人形の家』とは、1879年にノルウェーの劇作家ヘンリック・イプセンによって書かれた戯曲。つつましく暮らす妻がある出来事をきっかけに、夫からまるで人形のようにしか扱われていないことに気づき、妻でも女でもなく1人の人間として歩き出すことを決心する物語。
その作品と今作の主人公・夏帆演じる専業主婦の塔子に共通のものを見つけながら現代に置き換えた監督は「塔子は専業主婦で幸せに生きていると思っている。だけど、自分の希望ややりたいことを少しずつおさえこんで生きている事に気がついていない。意志や考えは深く奥にしまい込まれており、世間が良いということを良いと思うことにしている。それを私は『尺度が外にある』と表現しているのですが、現代は特に、自分が感じてることやどうしたいのかということを見失っている人が多い時代だなと普段から思っていたので、100年前の主人公ノラを現代を生きる塔子に転換していけたらおもしろいなと思いました。もっと言えば、世間の基準はほんとうは〝幻想〟にすぎないのに、それに縛られているのが現代かなと思います」。
だからこそ「塔子が、自分の中にきちんと尺度を持てるようになって、自身の人生を生き始められる物語にできたら、今を生きるみなさんにとっても価値のある映画になるんじゃないか」と振り返った。
今作は、経済的にも恵まれた何不自由ない家庭で専業主婦として暮らす塔子が、10年前に愛した建築家の鞍田(妻夫木 聡)に出会い、自分の中にくすぶっていた本当の思いや衝動に気づいて鞍田と愛を重ねていくストーリー。
原作とは異なる設定や結末を用意し、鞍田との出会いで心を揺さぶられ、自分を見つめ返し、自分しか生きることのできない魂のままの人生を選び取っていく姿が描かれる、まさに三島版『Red』だ。
「鞍田はひとつ大きな秘密を抱えており、自分の人生で何が大事なのかが鮮明に見えている人なんだと思います。塔子は彼と再会し、いろんな感情がぶつかり合っていく中で、『君は何を愛していて、どう生きたいの?』と常に問いかけられる」と監督。小説の中に短く書かれていた大雪の中のドライブが映像的で、大雪の夜という舞台が男と女を描くのに説得力もあると感じ、「朝焼けを迎えるまでの一夜を描きたい。そして、そこに至るまで過去になにがあったのかを組み込んでいく構成にしてみよう」と思ったという。
■裏テーマは『Hallelujah』? この曲に込めたものとは?
劇中、しんしんと雪が降るなか、染み入るように流れる名曲がある。それはジェフ・バックリィの『Hallelujah』。監督はこの曲がもともと大好きだったそうで、いつも自身の心に寄り添ってくれる歌の1つだったという。
役のキャラクターを考える時、この人はどんな音楽を聴くのかな? と考えるという監督は、鞍田はこの曲が好きだったんじゃないだろうかと思ったそうだ。「歌い方がささやくようでエロスを感じるし、でも、どこか崇高で深遠なる美しい声。鞍田はきっとこういう人間で、また、心に寄り添ってくれるこの歌は、塔子にとっての鞍田のような存在なのではないか」と監督。
興味深いのは、塔子のセリフやモチーフが歌詞とリンクするところ。「自分自身が驚いたんですが、実はあるセリフ、歌を意識しないで書いたんですよ。あとから歌詞を見直すと同じような一言があって本当に驚いた。この曲は、鞍田が聴いていたという設定ではありますが、もはや、二人のテーマでもあると思います。『愛はもろいものだから、愛する者同士は吐息のように祈るんだ、ハレルヤと』とは、まさに二人のことかなと。彼らは、自分たちの愛の強さも知っているけれど、もろさも知っているからこそ、祈るようにハレルヤと口ずさんでしまうような。この曲は、本当に二人を象徴しているんだなと実感しながら撮影していました」と、曲がもたらした深い意味を確信。
さらに「音楽は歴史を感じさせるもので、二人が「Hallelujah」を車で聴いた時、一瞬にして10年前の思い出が蘇ってくる。二人はきっと昔もこれを車の中で一緒に聴いていただろうと思いますしね。さらに、10年たった今、二人はどんな気持ちでこれを聴くんだろうと想像した時に、是非ともこのシーンを撮りたいと強く思いました」と曲にこだわった理由を教えてくれた。
■肌の紅潮や吐息… 音にまでこだわった濃密な愛の描写
そんな深遠な愛へと進んでいく塔子と鞍田の愛を表現するひとつが、濃密なベッドシーン。この場面は、塔子の表情で心身ともに一人の女性として本来の自分を取り戻していく重要なシーンでもある。
「数年ぶりに出会った二人の最初のセックスは『鞍田が塔子の存在を』慈しみながら抱くわけです。彼女にとっては一方的な旦那さんとの性生活とは全然違う。だから、塔子の表情をつぶさに撮っていくことを一番心がけました。どんな風に心も体も開いていくのか、そして達した後に、どういう顔をするかで彼女がどれだけ満たされているかが解るので、そこはきっちり撮りたいと思いました。結果、夏帆さんは紅潮した肌の観音様のような表情を見せてくれました。何度も出来る演技ではないので、今回はワンテイク、服を脱いでから最後の表情まで、一連で撮っています」と振り返った。
もうひとつこのシーンには、監督が特にこだわった別の要素がある。それは「音」。「観客にも二人の気持ちを体験してもらいたいので、現場で実際にもらす2人の吐息や声、口づけの音を大事に録ってもらいたい。そして、全体的には、二人にはこう聞こえているという音で構成してもらいたいと録音の浦田和治さんにお願いしました。相手の吐息や心臓の音、髪の毛を払うときに聞こえる繊細な音、肌が触れ合う音。2人が見たかった風景の一部として、実際にはそこで聞こえていないけど2人には聞こえているであろう音もつけています。ぜひ波の音にも注目してもらいたい」という監督は、「この演出は、映画館じゃないと体感できないと思います。声ひとつにしても、体内に響くような感覚。隣にいるような感覚で観ていただけるんじゃないかな」と音の演出についても話してくれた。
■塔子の高価な結婚指輪に「切ないですよね。指輪はあんなに愛らしく繊細で花開いているのに」
劇中、鞍田との愛が深まるにつれ、画面の中に印象深く写り込んでくるのが結婚指輪。それは、本物のダイヤモンドを花に仕立てたティファニーのものだ。日常使いの結婚指輪としては豪華では? とも思うが「そうなんです。あれが塔子の住んでいる世界。お金があり、世の中で言う幸せの形を手に入れている人の象徴として、日常につけるものとしては高価な指輪です。それをしたままハンバーグを作ったりしちゃうんですよね。でも、夫は食べてくれず、そのくせ、彼のお母さんが作った煮付けは喜んで食べるんですよ」と笑う監督ではあるが、撮影中、とても切ない気持ちになったとも。
「あの指輪は花を模したデザインで、指輪はこんなに花開いて輝いているのに、どうして彼女の花は開かないんだろう、と。本物のダイヤなのに、塔子自身は本物の輝きが見せられないんだなと。一方、鞍田に抱かれている時は指輪が輝きを失って、塔子が輝き始めます。徐々に縛り付けているものの象徴になっていきますからね」と、現場で感じたリアルな心情を教えてくれた。
■夏帆の目の演技、妻夫木 聡の寡黙な色気、柄本 佑の達観した自由さ、間宮祥太朗の品のある佇まい。すべてがハマった。
塔子を演じる夏帆は、目の演技がとても印象的だった。時に感情のないガラス玉のような目で夫を見つめ、時に、鞍田には深い慈悲と愛のある視線を向ける。
「塔子は本当に難しい役。夏帆さんも悩んで、もがいてくれたんですよね。でも、主役って自分の殻を壊さないといけないと思うので、もがくのは大事なことかなと。私たちは万全の体制で夏帆さんの芝居を受け止めるつもりでいるから、思い切ってやってほしいと言いました」。
実は監督、普段から主役には細かい動きを付けることはないそうで「相手役にいろんな設定を伝えて、主役にどう仕掛けるのかを考えていたり、こういう小道具を用意しておけばこんな芝居になるだろうというような、お芝居が自然と生まれる環境をまずつくる」という。「例えば、妻夫木さんには、大雪のなかを車でわざわざ迎えにきた鞍田を演じるにあたり、『亡霊のように立っていてほしい』と伝えました。すると、夏帆さんは、彼が本当にそこにいるのかと頬を触って確かめたくなる自然な演技になる」と演出の裏話もちらり。
また、美術部の活躍もすばらしかったそうで「塔子が住む設定の立派な家は、実際のお家をお借りして撮影したんですが、裕福な家庭の家って庭に面した部分がガラス張りで庭が一面見えていたりするんですよね。『パラサイト 半地下の家族』もそうでしたけど。でも、ある種、かごの鳥のような空間にしたいと美術部に伝えたら、窓を全部塞いで壁にしてくれた。塔子はその家にいると自然と息苦しい気分になってくる。そういう環境づくりですよね。それが主演の演技に影響を与え、自然な動きになってくる」とも。
その他、塔子の夫・真を演じる間宮祥太朗には「主婦が旦那さん以外の人と恋に走る時、旦那さんがわかりやすい悪役だったりするけれど、この人は決してそうじゃない。ただ、育ってきた文化や環境の違いですれ違い、塔子をイライラさせたり追い込んでいく。そこを丁寧にやってほしい」とお願いしたそうで、「間宮さん自身が非常にクレバーで言葉の選び方が上品な方だと感じていたので、それを意図的に出してほしい」とも言ったそうだ。
また、働き始めた塔子の会社の同僚、小鷹を演じる柄本 佑には「鞍田に対して仕事の面で尊敬の念があって、小鷹から見たら、塔子も鞍田も不器用で憎めない。むしろ彼は二人ともを愛してしまっている。だからこそ、もともと達観した自由さを持っている柄本さんが演じてくれたら豊かにしてくれると思っていました」と語る。
ちょうど去年の今頃(19年2月)に新潟で撮影を行った今作。「去年も暖冬で雪が少なく、カットごとにスタッフみんなで雪を運んでいたので、汗をかいた覚えしかない(笑)」というが「大事なガソリンスタンドのシーンは奇跡的に雪が降ってきたんですよ。電話ボックスは夜からの撮影で、人生の分岐点となる大事なシーンだからとみんなが丁寧に時間をかけて撮影してくれ、最後のカットを叫んだらちょうど夜が明けました。神様はいるんだなと思った瞬間です」。
公開後、男性女性限らずたくさんの観客のいろんな感想があり、ラストの決断についても波紋を呼んでいるようだが。
監督は「いろんな感想をいただけて嬉しいです。これは映画という物語の世界ですし、自分は、映画が必ずしも正しい人間を描くものとは考えてないです。人間ってこんなどうしようもないことをやってしまう部分があったり…〝人間〟を描くものかなと。今作では、尺度を世間に置いていた女性が、自分を見つめ、最後に一番大切な〝自分〟を選び取った瞬間を、しっかり描きたいと思いました。だから、曖昧なものを発信するより、塔子がくだした非常に残酷だけれどひとつの選択を、目を背けずにきちんと描こうと。こうした力強いひとつの尺度を映画で提示して、観ていただいた皆様の中に生まれた、好きだ、嫌いだ、快、不快、を見つめていただければ本望だなと思っています。ただ、自分自身は、ひとりの人間が覚悟を持ってくだした選択を、世間の尺度で、第三者が良いか悪いかを決められないのではないかと思いますし、例え共感できない選択であっても、覚悟を持った人間の姿は美しくもあるなと感じています」と語った。
生きづらい世の中で魂を見失った「塔子」は誰の心にもいるはず。彼女が血の通った人生を選び取っていく様を、ぜひ映画館で体験して。
映画『R e d』は、梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、T・ジョイ京都、京都シネマほか全国公開中。
■映画『R e d』公式HP:https://redmovie.jp/
田村のりこ