【潰れちゃったんで一銭も入ってこなかった】
■テイチクといえば帝国蓄音…SPの時代からあった会社ですけど、当時の新しい会社といえばCBSソニー(現ソニー・ミュージック)とか…。つボイさんはそこからもシングルを出していました。“ワッパ人生”とか…。でも、その前に、超名曲“金太の大冒険”(1975年)とかアルバム『ジョーズ・ヘタ』(1976年:先述の“ワッパ人生”は、もともとそこに入っていた曲のエディット・バージョン)が、あのエレックから…。僕らくらいの世代だとパンクが昔好きで、70年代末にパンクがイギリスで出てきてから、いっぱいインディペンデント・レーベル…独立レーベルが出てきて、今や日本でも「インディーズ」って言葉が定着してるくらいの感じなんですけど、まさにエレックなんてのはその早すぎた先駆けかと。
T:そうですね。老舗ができないようなところをきちんと受け止めながら、だから(吉田)拓郎やら泉谷(しげる)みたいなああいう連中が自由に何の上からの押さえつけもなく(笑)できたという、そういうとこだったと思いますね。
■エレックはもともと音楽の通信教育みたいなのをやる会社で、拓郎さんは社員として入ったみたいなことを本で読みました(笑)。
T:なんかね、拓郎は自分で作ったやつも全部トラック積んで売りに行ってたらしいですよ。全部自分たちでやっててっていうとこから始まったらしいんですよね。
■地方のレコード屋さんとか、ちっちゃいレコード屋さんが昔いっぱいあったじゃないですか。ああいうとこに営業に行って、もうケチョンケチョンに言われるのがほんとに辛くてとか言ってて、だからフォーライフで一番小室(等)さんが「社長ヤダ」って逃げた時に拓郎さんが社長になって長く続いたのは絶対そういう経験があるからだろうなと思って(笑)。
T:そうですよね。きっとおそらくお店のほうも「これなんだ?」と。「ギター1本?」っていうことですよね。
■「シタール? 何それ?」みたいなそういう世界(笑)。
T:(笑)キングなんかはね、老舗だったんですけどもベルウッドとか別のレーベル作って、ディストリビュートをキングでやりながらやっていったっていうね。
■ありましたね! キング傘下のベルウッド、そしてエレックと同じく完全独立系だったURL(はっぴいえんどを輩出)…。当時は日本のレーベル状況もおもしろかったみたいで…。エレックから「出さないか」って言われた時はどんな気持ちでした?
T:“本願寺~”以来でしたから、何ていうか、“本願寺~”の時も出して気持ちよかったんですよ。いわゆる“レコード歌手”ですからね(笑)。
■(笑)自分の歌唱とか演奏がレコードであるっていうのはいいですよね。
T:ほんとにね、今のように録音が自由にできなかった。録音ができても、いわゆるオープンリールのテープか、当時出始めのカセットくらいで円盤で焼けるというのは…今はCD-Rとかありますけど、ああいう円盤形でやるっていうのは本当にできなかった時代ですよね。ギターマンドリンクラブなんかが記念演奏会で「レコード作りました」っていうんだけども、街のレコード制作店みたいなとこが録音して、アセテート盤といってね、塩化ビニールじゃなくてちょっと固いやつですよ。
■すぐ割れちゃうやつ。
T:そう、摩耗も激しいやつで、あんなんでもみんな喜んでたんですね。「こんなんできました」って、「第43回のギターマンドリン演奏会のレコードができた」って喜んでたのもすごいなあという時代に本格的に塩化ビニールで円盤の形で自分の歌が残せたというのは、売れる売れない別にしてね、結構嬉しかったですよ。ちょうどあの頃「大原みどり事件」ていうのが起こったんですよ。
■どんなのでしたっけ?
T:今はあまりないですけども、ちょっとしたお祭りとかキャバレー行っても歌ってる人が、例えば「テイチクレコード専属の○○でございます」とか「ビクターレコード専属の△△です」っていう、そうすることで知らない歌手でも箔がつくんですよね。で、ああいうとこで、プライベート盤っていうのでいくらかお金出すとレコード会社の名前を付けて作ってくれるというシステムがあったり。レコードを出せればこれから演歌活動をするのに箔がつくんだってことで、みんなあの頃演歌の人たちもーーまあ今もそうでしょうけども、レコードを出すということは他の出してない人と雲泥の差なわけですよ。そこをうまく利用されて「レッスン料はいくらかかるんだ」とか「○○先生に作詞を頼むのもわずかなもんじゃダメだから何百万持って来なさい」とかって作詞の先生にも何百万、レッスン料がこれだけ要る、スタジオ使用料がこれだけ要ると。それから「放送局に話を通す時にもいろいろ持っていかなきゃいけないものがあるので」っていうので何千万っていうのをだまし取られたっていう事件がちょうどその頃あったんですよ。僕も最初テイチクから(話が)来た時に「大丈夫かな」と。親父も「おい、お前いくら要るんだ、それ」って(笑)。で、CBCの人に同じように「いくら要るんでしょうかね?」って訊いたら「君ね、働きに行くのにお金払って働きに行くことはないだろう」と(笑)。「君の労働によってお金が入ってくるのはあるけど、働くのにお金払うことはないでしょ」と。まあ「大原みどり事件」というのは、そういうことなんですよ。「レコード出したければいくら持って来なさい」いうようなことでね、親父はずいぶん心配してましたね。
【取材&文=伊藤英嗣】
→【4】に続く
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