震災から立ち上がるいわき市の“フラガール”を追った映画が公開に

東京ウォーカー(全国版)

東日本大震災で壊滅的な打撃を受けながらも、踊り続ける決意をし、全国キャラバン展開、そして10月1日にステージ再開を果たしたスパリゾートハワイアンズの軌跡を追ったドキュメンタリー映画『がんばっぺ フラガール!~フクシマに生きる。彼女たちのいま~』が、10月29日に全国公開された。

2011年3月11日に発生した東日本大震災により甚大な被害を受けた福島県いわき市。 地震、津波、原発事故、風評被害の四重苦にあえぐこの地で、“東北のハワイ”として親しまれてきた大型レジャー施設「スパリゾートハワイアンズ」は、 開業の前年に行ったフラガールたちによる全国キャラバンを46年ぶりに復活させた。

1966年、「常磐ハワイアンセンター」の名で誕生。国家エネルギー政策の主軸が石炭から石油に移りゆく中で、 廃れる一方の街を再生させたのは、炭鉱娘たちとそこに住む人びと、そして、炭鉱という危険の伴う共同作業の暮らしに自然と根付いていた、同じ山で働く者たちが皆で苦難を乗り越える「一山一家(いちざんいっか)」のスピリットだった。寒冷の地に生まれた巨大な楽園は、地元のピンチを救った。2006年に公開された映画『フラガール』ですっかりお馴染みとなった設立のエピソードから45年。いわき市が再び危機に直面する中、「スパリゾートハワイアンズ」は、避難住民に一部施設を提供しながら、営業再開に向けて動き出す。自らが被災しながらも、 踊り続けることを決意し「フラガール全国きずなキャラバン」へと向かう現代のフラガールたち。あの時のように、笑顔で踊ろう、「一山一家」から「一国一家」へ。見すえる先は山を越え、彼女たちは、すでに復興への次なる大きな一歩を踏み出していた。

新たなドキュメンタリー映画は、「スパリゾートハワイアンズ」に関係するさまざまな人びとをありのままにとらえる。ダンシングチーム“フラガール”だけではなく、「もうだめだ。二度と踊れない」との思いを抱いた社長、支配人ら経営の人びと、全国キャラバンでは消防上の制約で出番のないファイヤーナイフダンサーのメンバー、ダンスを音楽的に支えるバンドマン、避難先となった施設で生活する広野町の住民、そしてキャラバン会場に足を運んだ観客たち。映し出される人びとの思い、暮らし、抱える事情に、観る者は複雑な気持ちに駆られることだろう。復興に向けて不屈の努力を続ける姿や、困難の中で互いを思いやる様子に、勇気をもらう映画でもある。

一方で、小林正樹監督の原発に対する批評観が、映画の中に静かに表れてもいる。中心的に登場するダンシングチームサブリーダーは、福島県双葉町出身。家族は避難生活を余儀なくされており、一時帰宅する様子を追った映像は、ある視点をもって眺めてしまう。町に作られたアーケードに刻まれたキャッチフレーズなど、“起こってしまったこと”をあらためて考えさせられる。

公式サイトには、監督が記したコラムが載せてある。そこには、「いろいろな作品を作って来たが、撮影終了の時の気持ちがいつもと違う。『終わったー』という感じではない。なぜだろう。親しくなったハワイアンズの皆さんと別れる時、どう言葉をかけていいのか分からなかった。なぜならボクたちの撮影は終了したが、ハワイアンズはここからがスタートなのだ。ボクはその一歩を見届けたに過ぎない。何も終わってはいない。始まったばかりなのである。しかもそれは苦難の道のりである」と書かれている。それこそが、「福島という地で、この現実と向かい合い、再生に生きる人々の姿を、正確に伝えるのがボクらの役目である」と考えた制作者の本音だろう。

そして監督はこうも言っている。「ボクらがやれることは実は簡単である。ハワイアンズに足を運んであげることだ。再開の日、何が嬉しかったかと言えば、ボクにとってハワイアンズの食堂の光景であった。色鮮やかなムームーを着たお客さんたちが楽しそうに食事をとっていた。それこそ久しぶりに見た、震災前の姿であった」と。

草が野放図に生い茂り、余震が家屋とその内部をめちゃくちゃにし、牛やダチョウが道路を跋扈する被災地の現実の姿に哀しみを感じてしまう場面がある。復興に向けて笑顔で歩を進める人びとの姿が涙を誘う場面もある。そして、「スパリゾートハワイアンズ」を地元の宝として、再開を心底喜ぶ住民の姿がある。登場する人びとのたくさんの笑顔、それが何より印象に残る。観終った後はきっと、ハワイアンズに足を運ぼう、ハワイアンズを体験し、フラガールやファイヤーナイフダンサーのショーを体感しよう、と思うはずだ。【東京ウォーカー】

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