スタートからチェッカーまでの約1時間30分。ずっとドキドキしながらレースを見ていた。そんなレース、いつ以来だろう? 80年代終わりのセナ・プロ時代? はじめて海外でグランプリを見たとき? 琢磨がイケイケだったとき? とにかく、すごく久しぶりのことだ。
今年のベルギーGPだって、ドキドキしながらスタートを待っていた。でも、残念ながらそのドキドキはチェッカーまで……どころか、1周目が終わるまでもたなかった。だから、とにかくスタートを決めてくれよ、と祈るような気持ちでシグナルが変わるのを待っていた。せめてポジションキープと願っていたけど、実際にはそれを上回った。ウェバーを抑えて、ベッテルに次ぐ2番手で1コーナーに飛び込んでいく。するとその後方で混乱発生。ポイントリーダーのアロンソとロズベルグが姿を消した。1周目が終わったところで、ベッテル、可夢偉、バトン、マッサ、ライコネン、ペレス、ハミルトンという上位陣。1コーナーの混乱のためセーフティカーが導入され、3周目に再スタート。可夢偉はここもうまく決めて、2番手のまま、レースは進んでいく。
ピットストップでマッサにかわされ、レース中盤には3番手となった可夢偉。レース終盤、そのポジションを脅かそうと、今度はバトンが迫る。その差、49周目は1.6秒、50周目は1.2秒、51周目は1.1秒。
「1秒以内に近づけちゃダメだ!」
そう念じながら、ラップタイムとバトンとのギャップをメモする。でも、そんなことは可夢偉も承知だった。
「タイヤは厳しかった。終盤、バトン選手が来るのは予想できていたから、そのときのために温存してました」
そしてファイナルラップ。もう大丈夫だろうと思いながらも、チェッカーを受けるまでは安心できない。プレスルームのモニターは、可夢偉とバトンのバトルから切り替わり、トップのベッテルを追う。仕方ないとは思いながら、画面に映っていない可夢偉のことが気になって仕方ない。ガッツポーズをしながら、トップでチェッカーを受けるベッテル。しばらく後、マッサが続く。そして、その後方に来たのは……可夢偉だ!
そこからはプレスルームを離れ、とにかくポディウムへと一目散に走った! 久しぶりに全力疾走。パルクフェルメにつくと、ちょうどベッテルが戻ってきたところ。続いてマッサ、可夢偉。クルマを降りる可夢偉の一挙手一投足を見逃さないよう、じっと見守る。
そして表彰台だ。日本人ドライバー3人目。鈴鹿では、90年の亜久里さん以来。早く出てこい、というこちらのはやる気持ちをなだめるように、しばらく3人は出てこない。すると、グランドスタンドからすさまじい可夢偉コール。それが聞こえてきたら、胸の奥から、何かが込み上げてきた。
あぁ、やっとだ。やっと、このシーンに立ち会うことができる……。
F1人気に陰りを感じるといわれて久しい。しかし、そうだろうか。今年の日本GP決勝に詰め掛けたファンは10万3000人。みんな、フェラーリのチームシャツを着たり、ロータスのキャップをかぶったり、マクラーレンのスーツ風ウェアを着たり、そしてもちろん、可夢偉のTシャツを着たりと、思い思いにF1を楽しんでいる。つまり、ファンが応援する対象が多様化してきているのだ。確かに一時期のような爆発的なムーブメントではないかもしれないが、日本のF1ファンは、年を追うごとに確実に成熟していっているように思う。
可夢偉の鈴鹿での3位表彰台。それは、ここまで頑張ってきた可夢偉はもちろん、長くF1を応援してきた、日本のファンへの大きなプレゼントでもあった。
文=長嶋浩巳(IGNITION)