【その2】話題の展覧会&平等院襖絵公開が12/2(日)まで! 画家・山口晃氏にロングインタビュー!

関西ウォーカー

_意味が出過ぎてしまうことに抵抗がおありなんですか(笑)?

それしかなくなってしまいますから。よく見ると「あれ?これはもしかして、こういうこと言いたいのかな?」ってくらいにどうもしちゃう癖がありまして。

_私が想像したのは、描かれているシチュエーションがとにかく盛りだくさんなので、描いている時点での影響が大きく反映されているのでは?と思ってしまいました。記憶だったり妄想だったり、はたまた描いている後ろで流れていたテレビやラジオから偶然聞こえてきたもの…?とか

なるほど。そうですね、時代時代の自分を入れるというか、今起こったことをカワラ版のように皮肉めかして描くという自分もおりますので、つい「1年後にはもうこれは通じないだろうな」ということも入れてしまいますね。

_時事的な事を画に入れることへの抵抗はありますか?

私、小学校の時のクラス劇で役をいただきましてね。そのいただいた役というのがですね、台本によると当時人気だったコマーシャルの一節をやる「マサオ」という役で…いえ、「マサオ」はいま適当に思い付いたんですけれども…もしかしたら「トシオ」かも知れないんですけれども…

_先生、今それはどちらでもいいです(笑)。マサオでもトシオでも。

あっそうですか。それでその当時大流行りだったコマーシャルというのが、ママさんバレーのお母さん方が「疲れたわ〜」って言ってサロンパスを張って、「きもちんよか〜」って言いながら内股をパシパシと叩くというもので…

_(沈黙)

……当時はね、これがオオウケだったんですけれども、今やっても誰も笑わないですねえ。

_(笑)!「ヤヤウケ」ですら無かったですね!(笑)。

(笑)。まあ、とにかくですね、こういう「時代に寄り添いすぎたもの」というのはもう、まったく越えないんだなあというのがわかりまして。表層での「笑い」というものは、さっきの沈黙を生んだように時代を越えないんですが、なんとなく「あ、こういうのが流行ってたんだろうな」っていうくらいのことは通じるわけですよね。じゃあ、どのくらいまでなら時を越えて、届くんだろう?と考えて、そこまで入れ込んでやるならば、現代設定のものを盛り込んでいいとは思うんですが、むしろ解らないことのほうが「あれ?これはどういうことだろう?」と、それを見た方が自分の居る「現代」を疑うというきっかけにもなるかと思いますので。なので「今だから言えない」とか「普遍性を」ということに対する固執はそれほどありません。

_そうですね。時事的な事を取り入れすぎると、先ほどおっしゃっていた「メッセージ性」が強まってしまいますよね。

そうなんですよ。ですから、今回の展示会にも出しております東京の画は、あれは地震が起こった頃に描いたものなんですけれども、自分の中では地震からは離れて、関係のないものを描こうと思って。ただ関係はないんですけれども、「街」というものの性格を余すところなく描き出してみようと思った時にですね、東京という街は空襲と大震災で2度燃えているんです。それで、スクラップアンドビルドの回転が早いという描写で描きますと、それを見た方が地震にあてはめたりするんですね。現代なんですけども、現代の表層からちょっと下に掘ってきて、こう…普遍的な都市像にある程度届くと、その時代時代の表層を勝手に人があてはめてくれるんですね。「あれ、なんかこれ“今”じゃないか」とか「これはこないだ起こったあれだね」とかって、見た人がそれぞれ当てはめてくださる。そういう意味での現代性が、おそらく作品が持ち得る強さなのかなあ、と思いますので。

※【その3】に続く

【取材・文=三好千夏】

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