_インタビュー前に会場で作品を拝見したのですが、宮永さんの作品はナフタリンや塩などでできているんですね。
「はい。今回の展覧会では、入口に展示した“なかそらー透き間ー”という18メートルの作品から、4番目の“なかそらー空中空ー”の4つでナフタリンを使っています。塩が使われているのは、最後の部屋にある“20リットルの海”という作品です」
_ガラス瓶と糸の作品ですね。
「瓶の外に置いてある糸に、塩が育ててあります。今回は美術館前を流れる堂島川から、瓶いっぱいに入る20リットルの水を採って、そこから塩を抽出しました、だから“20リットルの海”」
_堂島川から塩がとれるというのは、ちょっとした驚きです。
「そうですね、私たちは川は川、海は海と思っていますから。でも海と川は繋がっているし、満潮や干潮といった往来があります。この境目を『汽水域』と呼ぶのですが、その曖昧な場所を観察することにとても興味があります。改めて海と川の景色に耳を澄ます感じですね」
_ナフタリンの作品では、ケースの内側の至る所に、何かの結晶のようなものが付着しています。あれはいわゆる、ナフタリンの成分が気化する途中というか…
「『昇華』という現象です。ナフタリンという物質は、常温で固体から気体に変わる性質を持っています。でも密封されたケースの中では、気体になったナフタリンが大気中に発散されず、再び結晶としてケースの内側にあらわれるのです。展覧会の会期中も、結晶は成長していきます。いろんな種類の結晶があるんですよ」
_なるほど。先ほど拝見した作品も、すでに最初の形が失われているということなんですね。ということは、あの作品はどんどん気化して、いずれ形そのものがなくなってしまうんですか?
「なくなるって難しい表現だと思います。例えばここに『ナフタリンのお茶碗』があったとして、そのお茶碗自体を見ている人は、お茶碗の形が失われていくのを見て『消滅するアート』と呼ぶかもしれない。でもそれは私にとって消滅しているわけではなくて、時間を経ながら結晶へと移り変わっているだけなんです。そういう意味では『変成するアート』ですね」
_作品の題材には、見慣れた日用品を選ばれることが多いんですか?
「私は時間の痕跡があるものにすごく惹かれるんです。例えば誰かが履いていた靴。靴底の減り方や皺には、使っていた人自身の時間が宿っています。私はそれをナフタリンに置き換えることで、その人の時間を形に留める。だけどナフタリンは昇華してしまうので、一旦留めた時間の痕跡も、すぐに解き放たれてしまうんです。それぞれのものに刻まれた時間とか記憶、そういうものを私はいつも想像しています」
_なるほど。でも性質や現象などの知識がなくても、なんというか、あの幻想的な佇まいに、ただただ魅了されます。
「現代美術は難しいと思っている人もいるかもしれませんが、『綺麗だな』とか『これ何?』という興味から始まってもいいと思うんです。最初はただ『消滅していくんだな』と思っていた人が、あるとき『じゃあ、なぜこんな消滅するアートを作っているんだろう?』と考え始めるかもしれない。それがアートが楽しくなる瞬間だと思います」
_今回の個展では、『エル・グレコ展』が館内で同時開催中です。
「そうなんです。でもグレコを見に来た方々は、みんなアイコを知らないだろうと思って。だから皆さんが親しく思えるような、日常品のある空間を入口に持ってきました。ペットボトル、お弁当箱、紙袋・・・自分たちの日常の時間が置き換わった作品から宮永ワールドへ。グレコとアイコの二人の個展は、そうして繋がっています(笑)また、あの作品は120センチの子供の目線になった時に全面に反射して世界が何倍にも広がります。」
_筒の中に細いはしごが組まれた作品もありましたが、あれはどういうものですか?
「二番目に展示してある作品は、筒に入った4メートル以上ある長い糸のはしごです。この作品は、下にナフタリンのフレークが仕掛けてあり、時間が経つにつれ、糸のはしごにどんどん結晶がくっついて結晶のはしごが生まれていく作品です。入口の作品を『消滅していく』という目線で見ていらっしゃった方にとって、この糸のはしごは新しい発見のある作品のようで、『これは逆のことをやっているんだね』なんて声をかけられました(笑)」
_ところで、私にとってナフタリンと言えば、よくある防虫剤のイメージが強いです。
「私も衣替えのときに見つけた防虫剤がはじまりですよ(笑)。わが家は小さな袋に入った防虫剤を使っていたのですが、服を仕舞っていた茶箱に入れてから半年経つと、かつてそこにあった丸い存在の跡を残したまま、袋の中身が無くなっていました。その痕跡を宿した小さな袋にものすごい愛着がわいて、魅力を感じたのがナフタリンとの出会いです」
_そこに魅力を感じてしまった(笑)。
「そう、もしこれで作品を作れば、消えてなくなる作品ができるんじゃないかと思って(笑)。つまり一番最初は私自身も、『これは消えるアートだ』と思っていたんですね。でも素材に触れているうちに、『消えていない』『形を変えて在るじゃないか』ということがわかってきて」
_「在るんだな」って実感するときって、もうすでにそれが無くなったときなんですよね。もう無いからこそグッとくる感覚というか。
「『無い』ということから様々なことを想像できるというのは、人間特有の感覚かもしれませんね」
※【その2】に続く
【取材・文=三好千夏】