行定勲監督の最新作は、直木賞作家・井上荒野による恋愛小説を映画化した「つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語」。主人公の男・松生が不貞の妻・艶の死期が近いことを過去の男たちに伝えたことから、その男にかかわる女たちが艶の存在に翻弄される姿が描かれている。主人公を演じる阿部寛や、小泉今日子ら“女たち”を演じる女優陣が純愛、不倫などさまざまな愛を体現していく本作で、行定監督が伝えたかったこととは?
─「世界の中心で、愛をさけぶ」(’04)や「パレード」(’10)など、これまでも人気小説の映画化を手がけられてきましたが、今回の原作のどんなところに魅力を感じましたか?
「井上荒野さんの原作はあまり饒舌じゃなく、あえて細かいことは書かかれていないんです。登場人物たちの行動に意図は汲み取れるけれど、状況があまり詳しく書かれていなかったりするのはご本人があえてそうしているみたいで、文学としてかなり崇高なんですよ。その原作の持ち味をそのまま映画にしたいと思ったんです。無駄はないけれど、読んでいるうちにいろんなことを想像させてくれる。行間からいろんなことを想像させてくれて、映画的な場面を作らせてくれるんですよね。そういった力のある原作ですし、それは映画も見習わなきゃいけない部分だと思います。現場もシナリオもすごくクリエイションしていると実感できましたね。観客がそれに付いてこられるかどうかという不安はあったんですが、観客を信じて考えながら観てほしいと思いました」
─行定監督の作品は“大切な人の死と残された人”が題材になっていることが多いですが、そのテーマにこだわる理由があるのでしょうか?
「僕は昔から人が亡くなった後に、自分の生き方について思い直すということがよくあるんです。ただ、亡くなった人の苦しみよりも“人の死”によって“生きる”という課題が残されると思うんですよね。今回の映画では、死期間近な妻への愛を示すために、さまざまな人に迷惑をかけたりと松生の独りよがりなように見えるけれど、そのあがいている姿を見ると“彼は生きているんだな”って僕は感じるんです。(自身の過去作である)『ひまわり』(’00)でも人の死を題材にしていますが、最後に登場人物は“明日”のことを考えているんですよね。人は悲しみを忘れないと生きてはいけないんです。今回も死にかけている艶に対して“女たち”は生きていて輝いて見えると思いますね」
─男性監督が女性の人生を描く難しさはありましたか?
「難しかったですね。この物語において、なにかしらの“役割”を与えられたキャラクターというのはなく、全員が主役なんです。みんながみんなそれぞれに生き方を持っていて、映画の途中から出てくるキャラクターも、それ以前から存在しているように見せなきゃいけないということに気を配りました。ということは、キャラクターたちがこれまでどんな人生を歩んできたのかということも、しっかり作りこまなきゃいけない。それをきちんと伝えるために、演じてくれる女優さん1人1人に手紙を書きました。なので、現場で反射で出てくる感情や理解は、僕らが演出したものではなく女優が持っているものなんだと思いますね。僕はそれを否定しません。なので、女優選びが大変でしたね…信頼できる方をと。愛について考えたことのない女優さんとはできなかったと思います。でも一番大切なのは女優さんのモチベーション。みんな“自分とは違う”と言いつつ、理解しながら演じていましたし、ただでさえ原作には詳しいことが描かれていないので、彼女たちの表情や肉体が加わることで“そうなんだ”と見えてくることもあると思います」
─“愛に生きる男”松生を演じた阿部寛さんはいかがでしたか?
「阿部さんとは演技について特に議論していないんです。松生というキャラクターは普段の阿部さんとは正反対ですが、役柄そのものでしたね。役作りで11kgも痩せて、松生の魂が乗り移ったようでした。役になりきっているというよりは、自然体で松生として現場にいてくれて。すごい俳優だと思いますね、出会えてよかったです」
─では、最後にこれから映画を観る読者へメッセージをお願いします!
「最近の映画界は“わかりやすいもの”を作る傾向にあるけれど、昔はもっと不可解なものがたくさんあったんですよね。僕は今回の作品について、基本的には人の恋愛の顛末を笑う映画だと思っているんですが、恋愛における多様性が描かれ、どれが正しいとかもなく、理解できないことが悪いということでもないんです。観る方の恋愛偏差値が求められる作品だと思います」
【取材・文=リワークス】