【その1】の続き
_エッセイのその章に書かれてあったんですが、当時は絵描きとして表現していくというつもりではなかったんですか?
会田「いや、なんとなく、漠然とはありましたよ。高校の2年くらいの時に、すでに『人生、最悪絵描き』になろうと。東京に行って思うようにいろいろうまく行かなかったら最終的に絵描きに収まっちゃうんだろうなっていう。」
_最終的な受け皿として、絵描きの選択があったんですね(笑)。
会田「ええ。『すべり止め』みたいな」
_絵描き以前は?
会田「う〜ん、何だろう。小説とか映画監督とか、そういうものが希望の上位でした。絵描きは馬鹿でも出来る、趣味でも出来る、一人でも出来るっていう…そういうのが絵描きや美術家だと思っていて。例えば、昨日しりあがり寿さんのイベントに呼ばれて、彼とちょっとトークみたいなことをやってきたんです。高校の時は、自分がどんな表現者になりたかったなんてボヤっとしていたんですけれども、今になって思えば、しりあがりさんのようになりたかったんだなって(笑)。しりあがりさんは僕が出来なかった理想の人生を歩んでいますね。美大は行くけど、途中でサラリーマンをやるとかっていうのも含めて。出来たら僕もああいうふうになりたかったなあ(笑)。アートとエンターテイメントとサブカルチャーの曖昧な領域みたいなところと言いますか。80年代からそういうシーンは形作られていて、漠然とそこに行きたいなあ、なんて思っていたんですけれども、結局そこには行けず、なんかアートになっちゃった…っていう。しりあがりさんはアートの世界にも足を突っ込んでいらっしゃるし、そういうのを見ていたら、『アート100%』の僕ってなんか、失敗人生だなあ、と(笑)。」
_失敗人生って…(笑)。現在の肩書きが居心地悪いんですか?
会田「場合によって『現代芸術家』という肩書きを使うこともありますけれども、多くはただ『美術家』としてやっていますけれどもね。現代美術って、狭く言うと、まあ…嫌な業界でもありますしね…いろいろと。これは日本だけじゃなくて、世界的に見ても『現代芸術』ってのは、独特なカルチャーだと思いますよ。ちょっと偉そうですよね。一部のお金持ちが経済的にサポートしてたり、難しい言葉を使う評論家だけが理解できるものにお墨付きを与えたりとか。」
_そういう気持ちのなかでも、作品を作り続けていくモチベーションというのは何なのですか?
会田「ガッカリなお答えをすれば…若くて全然認められなかった時代においては、『暇つぶし』であり、現在においては『締め切り』ですよね。正直言うとそういうものであって。」
_シンプルですね(笑)。なんだかテンションというか、沸き起こる感情というものではない。
会田「う〜ん。現在の状況においては、展覧会を開けばお客様が来てくださることが想定できますので、お客様をガッカリさせたくないってことかなあ。」
_意外といいますか、すごいサービスマンですね。
会田「うん。サービスですよね、ほんと。だから『こんなことを言う奴は芸術家じゃない!』て言う人がもしいたとしたら、それはほんとに正しいですよ。芸術家ってのは、こういう事を言わない人たちのことですから。サブカルみたいな、この世の人気者になりたかったのになれなかった、みたいなね。だけどその欲求が捨てきれずにいる…アート界において、僕は『呼ばれざる客』なんじゃないでしょうかね(笑)。なんかいま、アート界がちょっとおかしい状況になっているからこそ、僕みたいな者の居場所があるのかも知れないですね。」
_笑。いま人気者の自覚はないのですか?
会田「高校の時に思っていた『人気者』は、例えば手塚治虫さんやビートたけしさん、マイケルジャクソンとかね、そういう、離島のおばあちゃんでも知っているような存在ですよね。現代美術家である限り、それは叶わないんですよ(笑)。」
_ポピュラーにはなれない性質であるという自覚がおありなんでしょうか(笑)?「表現者になりたかったけれども、既に他人が確立している場所でやるのはごめんだった」ともありましたね。
会田「(エッセイの)ファッションの章ですね。パンクファッションを例に出して。目立ちたくてとがりたかったんだけれども、鉄の鋲とか、すでにある定型はやりたくなかった。何でしょうね。今でも仲間を作るというのが基本苦手な性格でして。共同制作などをやる機会もあるんですけれども。例えば、「昭和40年会」として、3月に瀬戸内国際芸術祭に参加することが決まっているんです。男木島の休校になった小学校で。作品自体はそれぞれが個別に作るんですけれども、全体としての決定次項なんかがある時にはスカイプで会議みたいものをやるんです。もうね、すぐ嫌になるんですよね(笑)。人と意見を出し合って摺り合わせていくとか、そういう場面で自分を主張していくとかっていうですね、そういう手続きがほんとにもう虫酸が走るほど嫌で。まあ、これは他のメンバーにも言ってあるんですけども、『僕はどうにも独裁者か奴隷にしかなれない』と。」
_アハハハハハハハ!極端ですね!
会田「そうなんですよね…(笑)。ですから瀬戸内国際芸術祭については『僕はもう奴隷でいいから、会議はボイコット』みたいな。他のメンバーが決めてくれた枠組みに従うという感じで。」
_人を率いてもいらっしゃるじゃないですか。
会田「仕切るのも好きですよ。でもそれが許される状況もまあ、少ないのでね。」
※【その3】に続く
【取材・文=三好千夏】