【その1】の続き
─若松監督の現場はいきなり本番が始まるといったことが起きると聞いたのですが…。
井浦「現場の雰囲気に勢いがほしい時とかは、あえてリハーサルなしで本番ということもあるのですが、基本的には役者の様子を見て“これはいきなり本番をやった方がいい芝居ができる”となれば本番を撮って、そうすれば共演者にも火がついて気持ちを高めることができるんです。監督がそうするのには、すべて理由があるんです」
─若松監督との現場には、どんな心構えで入られるんですか?
井浦「どんな現場も同じ心構えで入れればいいなとは思うのですが、やはりそうはいかないですね。毎回毎回、若松監督の現場は新鮮さもあるし、心の整え方が違うような気がします。家の中で台本を読んでアタマに入れたことが通用せず、現場で生まれたものしか通用しない現場ということは間違いないですね。なので、すべての準備をしっかりやって、現場で監督が求めるものに対応できるように心を整えておこうと思っています。監督が役者に突きつけるのは“この状況で君派どうするんだ?”ということなんです」
高岡「僕の場合は、今回初めて若松監督とお仕事をさせていただいたので“一発本番”ということは頭に入れて現場に行きました(笑)。とりあえずセリフはしっかりと入れて、あとは芝居をしに行くのではなく、現場で役としてしっかりと生きられればいいなと思っていました。気負いもヘンな緊張感もなく、監督はむやみやたらと怒ったりする方じゃなくて、愛にあふれていましたね。むしろ、怒号が飛び交うような現場をイメージしていたので(笑)」
─ずばりお2人にとって、若松監督はどんな存在ですか?
高岡「現場でそばにいて感じさせてもらったのは、若松監督は決してああだこうだと押し付ける方ではないということですね。お話しされている様子を見て、苦しいこととかいろんな経験をされてきたんだろうなって思いましたし、でもその中から楽しみも見つけられる、すごくプラス思考な方だなと感じました」
井浦「僕はこれまでにも若松監督の作品に出演させていただいたので、逆に高岡君のように『千年の愉楽』で初めて関わって感じた監督の空気というのも新鮮でうらやましいとも思います。僕はありがたいことに、5作品に参加させていただいて、時に怒鳴られることもありましたが、優しく芝居や役者への思いを教えてくれたと思います。芝居に対して役者を褒めたりする方ではないけれど、物を作る姿勢を近くで見させていただいて、それはすべてその人の生き様につながるんだなと感じました。そのことを監督は自らの生き方で示してくれたんだと思います」
─残念ながら、本作は若松監督の遺作となってしまいましたが、改めて作品をご覧になっていかがですか?
高岡「“攻めている作品”だなと思いますね。一見、万人受けはしなさそうな作品かもしれませんが、人間の本来の姿がきちんと、しかもわかりやすく描かれています。いつの時代も変わらないテーマですし、精一杯生きている人たちのお話なので、むずかしく考えずに作品を観ていただきたいです」
井浦「僕もそのとおりだと思います。原作に描かれている“路地”(=被差別部落)にまつわる差別の話などテーマはちょっとむずかしいと思われがちですが、高岡君が言うように実はとてもシンプルな話なんです。若松監督がこの作品で描いているのは、人間の本質の部分だと思います。台本を読んだ時の印象よりも、実際の映画はよりすっきりと仕上がっているなと感じましたし、生身の人間の体を使って表現することで幅広いそうに感じていただける作品になっている。世の中の人が勝手に作った若松監督のイメージといえば暴力や性、難解なテーマに真っ向勝負していると思われがちですが、決してそれだけではなく、監督は映画という娯楽に情熱を燃やしている方です。観る人にきちんとメッセージが伝わる作品だと思います」
【取材・文=リワークス】