※【その2】の続き
_昨年からスタートした「風とロック LIVE福島CARAVAN日本」ですが、ツアーという形になったことと、過去に災害とか歴史的被害があった土地を開催地に選んでらっしゃいますね。
箭内:まず福島では2009年から「風とロック」としてライブを行っていたんですが、そこで猪苗代湖ズも生まれたわけなんです。だからもともとは震災がきっかけで始まったことではなくて、今までやってきたことを、震災をきっかけに少しだけ大きくしたという感じなんですよ。僕は福島出身者だから今回の震災に対して、こうやって色々活動してはいますが、じゃあ「阪神淡路大震災の時には何かやったか?」って思ったんですよね。「いくら寄付して、何を心配して、どんな行動をとったのか?」って考えてみたら、なんにもしてなかったんだなってことに改めて気付く。震災から3ヶ月後の6月に仕事で沖縄に行ったんですけど、6月23日が沖縄戦の終戦記念日だったんです。たまたま乗ったタクシーの運転手さんからその話を聞いたんだけど、もう、涙が止まらなくなって。それで、自分はちゃんといろんな土地のことを知らなきゃならないって思ったんです。いま被災地の人は、もしかしたら「自分たちだけ孤立している」って思っているかも知れないけど、それよりも以前に、大きな苦難を乗り越えた先輩たちが日本中にいるよってことを知ってもらいたいと思って。彼らが教えてくれることってすごく大きいと思うし、実際に今回の件でもたくさんの被災者の方々を受け入れてくれてて。福島を離れることになって、そこへ点在している人たちにも会いたいなって思ったし、例えば福島の人たちが「じゃあ沖縄へ遊びに行ってみようかな」って気持ちになって、閉じこもってた状況から「外」へ行けるきっかけになれたらいいなと思ったんですよね。
_まったく痛みを経験していない土地っていうのは、おそらくどこにも無いんでしょうね。知る機会がないだけで。
箭内:そうですよね。ミュージシャンは色んなところへツアーへ行くじゃないですか。そうしたら、やっぱりそこが自分にとってすごく大切な場所になってくるんですよね。そこで自分たちのことを待っててくれている人たちの事が気になるし、心配だし。そういう「種」が増えていくのってね、今の日本にはすごく必要なことなんじゃないのかなって思うんですよね。CARAVAN日本のツアーも、最初は東京が抜けてたんですよ。それで怒髪天から「東京でこそやるべきだろう」と言われて。東京は関東大震災や東京空襲からここまで復興してるんだってことを思い出したんです。新たに東京という場所が組まれたことで、今回のCARAVAN日本ツアーは僕の中で更に大きな意味を持ってきましたね。
_痛みがあるという部分では、自分は被災者では無いけれど、何か個人的に悲しいことがあったりして、楽しい気持ちになりたいという人にとっても嬉しいきっかけだと思うんです。
箭内:うん、そう感じてもらえるのは嬉しいですよ。僕ね、震災が起こった時、自分自身とか音楽っていうものに対する無力さを感じたと同時に、日本中の無力を感じたんですよね。日本中の若者達に対する…なんて言うか、多分あの時「自分には何も出来ない」って思っちゃったんじゃないかっていう。被災もしてない、被害にも遭っていないという立場であるということが余計にそういう思いを強くしてしまったというか。なかでも真面目な人たちは、そういう何も出来ない自分を責めちゃったんだと思う。でも僕らの中には、被災地や被災者だけじゃなく、そうやって無力感に陥ってしまった人たちの事も救えたらって思って。僕らと一緒に歌ってくれるだけでも、心の中で福島の事を一瞬思ってくれるだけでも、それだけでもいいんですよってことを伝えたいというか。
※【その4】に続く
【取材・文=三好千夏】