今年も日本GPが終わった。1987年に最初のF1が開催されてから、2年間のブランクを経て、今年で25回目となる鈴鹿のF1。それが過去24回と大きく違うのは、ドライバーにも、チームにも、エンジンサプライヤーにも、タイヤにも、「メイド・イン・ジャパン」がいなかったことだ。
87年にデビューし、今回の日本GPでは決勝前にデモンストレーションを行った中嶋悟がこじ開けた、日本人F1ドライバーの歴史。2000~2001年にいったん途絶えるが、昨年の小林可夢偉まで連綿と続いていた。そして日本人ドライバーが不在だった2年間にしても、日本のF1の代名詞ともいえるホンダが参戦していたし、タイヤはブリヂストンが独占供給を行っていた。だから鈴鹿で開催された過去24回の日本GPには必ず、ドライバーか、チームか、タイヤかのいずれかに、「メイド・イン・ジャパン」がいた。しかし、その系譜が今年、ついに途切れた。
応援すべき「メイド・イン・ジャパン」の不在…。しかしその事実も、決して日本のF1にとって大きな打撃とはならなかったように思う。それは平日にもかかわらず3万を越すファンが詰め掛けた金曜の時点から感じられた。そして観客動員数は日を追うごとに増え、結局は3日間で延べ17万人を超えるファンがグランプリを楽しんだ。
日本人ドライバーも、日本のメーカーも参戦していないF1に、これほど多くの人が熱狂するのはなぜか? その理由は、例えば決勝当日の朝、GPスクエアを歩くと感じることができる。そこには実にさまざまなチームウェアを身に包んだファンがいる。フェラーリ、レッドブル、ロータス、メルセデス…中にはマルシャのチームウェアを着た日本人ファンもいた(!)のだから、驚きだ。つまり、「メイド・イン・ジャパン」がいなくても、日本のファンは純粋にF1というスポーツを楽しんでいるわけだ。
もちろん日本人ドライバーや日本のチームがいれば、それを応援するファンが最も多くなるだろう。でも、それは当たり前のこと。それがいないときにこそF1を楽しめるようになったところに、日本にF1が根付いてきた実感がある。
1950年に始まり、今年で63シーズン目を数えるF1。その長い歴史にあって、25回のレースを数える鈴鹿は、もはやF1の一部だ。多くのF1ドライバーたちが、こぞって鈴鹿と日本のF1ファンの素晴らしさを語ることからも、それは感じることができる。
そして、そんなふうに日本のF1を育んできたのが、鈴鹿サーキットなのだ。
文=長嶋浩巳(IGNITION)