※【その1】の続き
_先生の作品に出てくる“サイコキラー”はいつもどのように出来上がっていくのですか?
貴志「基本的に、サイコパスと呼ばれている人間はなにも特別な存在じゃなくて、どんな社会にも一定の割り合いで存在する人だと私は思っているんです。しかも全員が全員、犯罪者になるわけではなく、アメリカでは起業などをして成功を収めている方も大勢いて。情に流されないぶん、果断な決断が出来るんですね。だから、人生の勝者となる要素をたくさん持っている。ただ、そういう性質の人間というのは、一旦追いつめられるととんでもないことをやってしまうことが多々あって。禁忌の意識が希薄なだけに、例えば人殺しにしても『バレなきゃいいだろう』という結論に至ってしまう。ここが普通の倫理観を持った人間と違うところですよね。普通は『バレなきゃいい』の前に、まず人を殺すなんてことしないじゃないですか。だからサイコパスの人達というのは、普通の人間に悪魔が乗り移っているわけじゃなくて、普通の人間からそういう部分を“引き算”しただけなんですよね。共感能力というのが著しく欠けているというか」
_なるほど。何か特別に悪質な感覚が後付けされたというのではなく、そもそも『足りない』というのは、なんだかすごく納得できますね…。
貴志「心理描写も引き算なんですよね。ロジカルな部分というのは我々と何も変わらないんですが、ユングによると『論理・感情・直感・感覚』の4つの機能が我々にはあるということなのですが、この『感情』の部分だけが一般的な人とは少し違っているんですね。生き物を殺すことに対する罪悪感だったり…ましてや人間を殺す事に対するその感情とか。それだけすっぽりと取り去ったという。『悪の教典』で完全なサイコキラーを描きましたが、あれは完全なる“引き算”でしたね。何も足してない。人に共感するという感情をすっかり取り去ってしまったら、それはもうサイコパスになっちゃうんですよね」
_今作は単純な『動物パニック』モノというわけではないですよね。
貴志「結果的にどんでん返しを入れたから複雑になっちゃいましたよね。ただ、そこに辿り着くまでの展開は非常にシンプルなので、単純にストーリーに身を任せていただけたらいいかな、と思います。そして最後に『えっ』と思っていただけたら」
_先生は、これからもホラーというジャンルで物語を書かれていきたいと思っていらっしゃるんでしょうか?
貴志「いろんなものを書きたいって思っていますよ。今まで書いてきたものって、ほとんど誰かが死ぬ、殺されるというもので…結局R15指定になってしまうんですが(笑)。子供も大人も楽しめるエンタテインメントを書いてみたいなと思いますね。学校指定図書に入れてもらえるような(笑)。何の問題もない、だけどハラハラドキドキするような、そういうストーリーを書けるのもひとつの手腕なんじゃないかと思います。でもホラーも書いていきたいですね。ホラーは凄く間口が広いジャンルなんですが、ホラーのメインストリームである『スーパーナチュラル系』を書いてみたいですね。幽霊とか呪いとか。デビュー以来、そのジャンルを書いてこなかったのですが、その理由として、霊感商法や彼らの言っているおかしな理屈にお墨付きを与えるような、助長するような事は書きたくなかったというのがあるんです(笑)。だけど、今となっては、そんなことまで考える必要はないかなと思うようになってきまして。読んでいる方っていうのは、みんなそういうことをちゃんとわかっていて、虚構を虚構として楽しんで読んでくださる人でしょうから。スーパーナチュラル系で、しかもロジックのあるホラーがいいですね。きっちりとしたロジックを持たせて、モダンホラーとしてスーパーナチュラル系のホラーを現代に蘇らせることが出来たら面白いかなと思います」
【取材・文=三好千夏】