【追悼:やしきたかじんさん】関西ウォーカーゆかりの著名人よりメッセージ(その9) 平松邦夫さん、小関道幸さん、平野秀朗さん、須田泰成さん、福本勝彦さん、住田弘之さん

関西ウォーカー

「関西の視聴率男」として数々のTV番組に出演、長年愛された歌手・タレントのやしきたかじんさんが1/3に死去されました。64歳という早すぎる死に、私たち関西ウォーカー編集部からも哀悼の意を評します。また、関西ウォーカーに関わる各界の著名人、関西で活躍するファンたちからも、たかじんさんへの追悼とお礼のコメントが続々と届いていますので、ここで紹介いたします。

※掲載順不同

●平松邦夫さん(公共政策ラボ代表、前大阪市長)

やしきたかじんさんが逝った。

付き合いは20年以上前から。彼の担当するラジオ番組へレギュラーでお昼のニュースを読んでいたころからになります。

時事問題を彼なりに勉強して、世相の「変な」部分について鋭くぶった切る…そんなスタイルの中には行き過ぎた表現や少しの事実誤認が含まれることがありました。

ニュースキャスターをしていた私にとって、生放送のラジオでニュースを読みながら、じんさんのコメントに対して常に軌道修正の必要な部分をチェックしていたように記憶しています。

「自分の発言が全て正しい」というスタイルをとるように思う人がいるかも知れませんが、この番組に関しては私の記憶では「きちんと聞く耳を持っていた」と思います。プライベートな付き合いは殆ど数えるほど。やはり市長に当選し、橋下さんが知事に当選したことで「知り合いの二人が大阪の知事、市長に同時になるなんて何度生まれ変わってもありえない」といって、食事の会を何度かしつらえてくれました。

その情報が流れることによって、彼との食事会で政治向きの話がされていたかというと、殆ど大阪をどうすれば良くできるかという話だったと思います。そんなことから「大阪あかるクラブ」の立ち上げに繋がったと思います。

今回、訃報を受けての多くの取材を受けましたが、彼をまるでフィクサーのごとく感じている記者が何人かいましたが、私が参加した食事会というのは、じんさん、橋下さん、私の3人で、旨いものをつつきながら、大阪のことを話し、お酒を飲む会だったと記憶しています。

「維新の会」ができてからは殆ど没交渉でしたが、彼の番組からは何度か出演交渉があったものの、「公務」を優先していた私にとって局側のスケジュールに合わせるのは至難の業でした。

市長選挙では橋下さんを応援したじんさんでしたが、気にかけてくれていたのでしょう。去年の短い復帰の間に「そこまで言って委員会」の副委員長代行(司会)として呼んでくれました。闘病生活でげっそり痩せてしまった彼をみたものの、「復帰できて良かったね。おめでとう」と言葉を交わしたのが最後になるとは思いませんでした。

その番組の翌週から、また闘病生活に戻ってしまい帰らぬ人となりました。

彼の歌のうまさ。話の展開の面白さ。毒を含んでいるようで、どこか浪速の気遣いがあったと今更ながらに感心します。

ご冥福をお祈りします。

●小関道幸さん(元朝日放送プロデューサー) 

20年ほど前。夜の帝王の凄みをたかじんさんと行ったサッポロすすき野の夜に見せつけられました。

オールナイトで披露したとびきりの甘いボイスとやさしさとシャイな素顔・・・。

今夜も夜空の向こうからあのたかじん節が聞こえてくるのです。

合掌

●平野秀朗さん(構成作家、映画評論家)

たかじんさんの番組に構成作家として参加させていただいたのは随分昔のこと。

世間では豪快で武勇伝の塊みたいなイメージだろうが、実はとても“気にしぃ”な人で、我々末席の人間にまで声をかけてくださった記憶がある。

「今の、おもろかった?」「はい」「いや、こっちの方がおもろかったかな?」「それは…」「もうええわ」そう言い残して去って行ったたかじんさん。

考えたら、ほとんど自己完結される方なので、まともな会話をしたことがなかった。

あれから十数年、人生の幕引きまで自己完結されたような気がする。

首尾一貫、筋が通った人とはこういう人なのだ。合掌。

●須田泰成さん(コメディライター&コミュニティプロデューサー、イベント酒場さばのゆ(東京経堂)/さばのゆ温泉(大阪福島)オーナー)

やしきたかじんさんは、昔勤めていた会社の顧問をしておられたので、ちょくちょく会社に来られたり、会社の常務だった放送作家の古川嘉一郎先生が『晴れ時々たかじん』や『たかじんnoばぁ~』を担当されていたので、若かったぼくは、鞄持ち的な立場でスタジオに着いていくこともありました。

いま再びFacebookの友だちでつながっている同じ会社のディレクター仲間と新地のクラブや天満の料亭などで、いろんな話を聞かせてもらった思い出があります。

「20代のうちにいっとかなアカン。周りの大人はどうでもええから、自分を信じて思いきったことをせえ」と繰り返して言われたことがありました。

偉い人や強い人には強面だったようですが。若者には、やさしい人でした。合掌。

●福本勝彦さん(大阪あかるクラブ専務理事、電通勤務)

いちファンだった私が、とあるイベントの楽屋へ突撃し、ざこば師匠とワインを飲みながら談笑しているタカジンさんの前に座り込み、そこらにあるグラスで勝手にワインをごちそうになり、それを見たタカジンさんが「お前誰や!」と声を掛けて頂き、氏素性を述べ、「そうか電通は嫌いやけど高校の後輩なら話は別や、俺の事好きなんやったらついて来いや!」と言われるがままに、そのまま北新地へ出向き、朝まで飲んだのが初めての出会いでした。

そこから、橋下知事、平松市長2人の友人が共に大阪のTOPになったことを喜び、これを契機に民間で大阪を盛り上げるNPOを設立、活動を始め4000名近くの部員を集め、毎年府市への寄付やイベントを開催。いまでは、病気の子供へのクリスマスプレゼントを届ける大阪グレートサンタランイベントも6000名を超えるイベントに成長しました。

その卓越したスケール観と豪快さ、その逆の繊細で細かな思いやり、そして叱咤激励、怖くて偉大な先輩でした。

●住田弘之さん(新関西国際空港株式会社執行役員)

たかじんさんの歌、トーク、人生観に共感し、心癒され、はげまされました。

大阪の真の顔であり要だとお慕い申し上げておりました・・・。

本当にありがとうございました。

※追悼コメントは随時追加し更新UPしております。下記リンクにも様々な方々のコメントを掲載しておりますので、ご覧ください。

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