『天地明察』『光圀伝』で知られる冲方 丁(うぶかた・とう)が、歴史小説第3弾となる新作『はなとゆめ』を発売。言わずと知れた『枕草子』を描いた、あの清少納言の物語だ。最新作への思いや清少納言について、インタビューした!
_『天地明察』『光圀伝』に続く歴史小説第3弾目となる今作の舞台が、平安時代の朝廷というのがとにかく意外でした。どのようなきっかけでこの時代を選ばれたのですか?
冲方「一番大きなきっかけは『光圀伝』ですね。彼は日本の歴史書を作ろうとしていた人物なのですが、中国の歴史書『史記』をモデルにしたんです。『光圀伝』を書く際に、その『史記』に関する話を探していた時に、清少納言と中宮定子のエピソードを知りました。作中にもありますように中宮定子に上等の紙が献上された時に、清少納言は「帝がその紙に史記を書くのなら、わたしたちは『枕』を書きましょう」と答えたんですね。この『史記に対する“枕”とは何だろう?』という疑問から始まりました。そこから、枕と清少納言についての物語に辿り着いたんです。あと、江戸時代ばかり書いていると偏ってしまうので(笑)、今回は女性や公家、朝廷が主役のお話にしてみました」
_今回の物語は、清少納言と中宮定子との関わりが大きな軸となっていますが、清少納言という人間は、まずこの中宮定子ありきといいますか、彼女によって清少納言という人間の最たる魅力を開花させていくというところですよね。
冲方「そこがやっぱり素晴らしいんですよね。まさに朝廷が朝廷である所以と言いますか。特に中宮定子という女性は、その人の才を花開かせていくという能力が非常に長けている人だったんですね。演出力や人材の吟味だったり、その人の潜在能力を開花させていく手法ですとか、17歳やそこらでハリウッドの映画監督にデビューしたようなものです(笑)。清少納言自身も、中宮定子のその秀でた“才”によって、自分にも“才”があるということに気付くことが出来たわけなんですが、その恩義でもって人生をかけて中宮定子に仕えていく。まず何よりも『精神的な繋がり』で仕えていくというのが非常に素晴らしいところですよね。中宮定子を通して清少納言は自分のモチベーションを得るわけなんですが、大きな理由としては、清少納言にしか出来ない特殊な才能…それは和歌でも漢文でもなく、従来の朝廷の文化とはかなりはずれたものを『新しい』と受け入れる中宮定子の存在ありきだったんですよね。『脱・伝統』、そして伝統を踏まえたうえでの新しい跳躍という、この二人のコンビだからこそ作ることが出来た『枕』なんだろうなあと」
_平安という時代は、権力世界ながらも少し特殊ですよね。
冲方「時代背景や政治状況を調べていくと、色々な疑問が浮かんできますが、第一に『なぜ、中宮定子は殺されなかったのか?」という部分ですよね。藤原道長という巨大な権力者の障害であったにも関わらず、殺されなかったのはなぜなのかと。その理由として考えられるのは、やはり『文化の力』なのではないかと。朝廷という世界は、文化的ステータスが武力よりも非常に力を発揮していて、当時の日本の支配体制としては軍隊を派遣するのではなく、文官を派遣して国を収めさせていくんですよね。これがまず非常に特殊で。その中心にあるのが朝廷の祭礼、儀礼だったり…現代で考えると娯楽の部類なんですが、当時は文化も娯楽も政治も宗教もすべてが合体していましたので、和歌が巧い人が朝廷の中枢に位置していたりするんですね。そういう世界の中心である天皇の周りに従う妃というものを武力で支配するということは絶対に出来なかったと。もう純粋に“文化力”ですよね。その力を持って渡り合っていたのではないでしょうか」
_自分自身の強い存在感を世に知らしめる手法としても『歌』があるわけなんですね。
冲方「教養がすごく深いですよね。文化が力になっているわけですから、日常的にテレビ番組の『ホコタテ』をやっているようなものなんですけど(笑)、それが娯楽にもなるし、一方で情報伝達にもなるんですよね。当時は“紙”と“筆”が唯一のメディアですから。遠隔地にいて歌を詠んで持ち帰ったり送ったりというのは、今で言うと写メを撮って送るのと同じで、情報伝達の手法であったわけなんですよ。当時の文化の筆頭に目されるというのは、それはもう情報発信者と位置づけされるということで、それこそ人気コメンテーターや超有名タレントや政治家が全部くっついたような存在になるわけです(笑)。その人が歌を詠んだりすると、みんなこぞってその歌を扇子なんかに書き写して、それが伝統化されて子々孫々に受け継がれていくということになるので、やはりみんな競って優れた歌を求めるんですね」
_そのなかで、清少納言の言葉というのは、だいたいにおいて「えっ、そんなこと言っちゃうの」という内容で…(笑)。
冲方「そう、意表をつく形もありますよね(笑)。清少納言は、周囲の悪意に対してもユーモアで返していくということをやっていたのですが、結果としてその悪意が和らいでいくということだけでなく、本人とその周囲の人達の人間性が同時に浮かび上がってくるんですよね。彼女のそういうやり方が貴族層にも『こいつは面白い』と思われていて、一家に一冊は清少納言の文章の写しがあったぐらいの人気ぶりだったみたいですよ。そういう状況を考えると、間違いなく清少納言は情報において相当の権力を持っていたはずなんですが、敵を呪うとか罵倒するなんてことに力を使わずに、自分たちの人間性の訴えを、極めてユーモラスに見せていくんですよね。どことも敵対せず、敵対しようとする者たちを緩和するっていう。ユーモアと雅を完璧に合体させて、今まで誰も口に出来なかったことを全部ブラックジョークにして言っちゃうあたり(笑)」
※【その2】に続く
【取材・文=三好千夏】