作家・桜庭一樹の小説を「夏の終り」など繊細な心理描写で定評のある熊切和嘉監督が映画化した「私の男」。10歳で孤児となった少女・花と、彼女を引き取った遠縁の孤独な男・淳悟の禁断の純愛が描かれる。淳悟役には実力派・浅野忠信、そして花を演じるのは新進気鋭の女優・二階堂ふみ。2人が濃厚なラブシーンに挑むなど、体当たりの熱演を見せる本作について語ってくれた。
─二階堂さんは元々、桜庭一樹さんがお好きで原作も読まれていたそうですね。花というヒロインに対して、どんなイメージを抱いていましたか?
二階堂「花という女の子を客観的に見ていたので、共感というよりは“普通の女の子なんだな”と思っていました。客観的にキャラクターを見た時に淳悟との関係性から、他とは違う女の子だと捉えられるのかもしれませんが、普通の女の子が女性へと成長していく時は誰しも花みたいになにかを失ったり、その分なにかを得たりという経験はしていると思うんです。だから、花だけが特別ということはまったく感じずに演じられたと思います」
─原作ファンだからこそ、花を演じる上での葛藤はありませんでしたか?
二階堂「今回はあくまでも熊切監督作品『私の男』にすることが大事なので、監督のイメージにどれだけ応えられるかが必要かな、と。この先も原作を映画化した作品に出演する機会があると思いますが、その姿勢は変わらないと思います。ですが、監督も私も『私の男』のファンでしたので、原作の雰囲気や空気感を大切にしたいと思いました。基本的にいつも役に対して“こんな感じなのかな?”って考えながら演じるというよりは、現場に入って監督の指示を聞いてから役を作っていくことが多いので、自分の中で最低限の用意はしますが、あまり深く考えすぎずにいますね。今回の現場では監督からはそんなに指示はなくて、監督とも言葉というよりは、感覚でつながっていた部分が大きかったので、感覚的に演じた役だと思います」
─浅野さんは原作を読んでいましたか?
浅野「監督から“原作は読まないでください”と言われていたので、脚本を読んだだけですね。原作だと細かく淳悟のことが書かれているので、あまり原作に捕らわれてほしくないということでした。脚本を読んで“この役は今の自分にならできる”と思いましたね」
─どういった点でそう思われたのですか?
浅野「感情や内面的な部分で役に共感できるということではなくて、この役を演じきるだけの引き出しやこれまでの人生経験が十分に培われたなという実感があったんです。演じている時は自信を持ってやっているのであまり思わなかったんですが、きっと僕が30代だったら“どうやって演じたらいいんだろう”って悩んでしまったと思うんです。適当に生きていたらきっとできなかったでしょうし、俳優としてはもちろん、一人の男としていろいろ経験して生きてきたので、役を理解できたりして乗り越えることができたと思うんです。他の俳優の方もこの役を演じることができるかもしれませんが、僕とはまったくやり方が違うはずだし、他の方のやり方だと納得がいかないと思いますし、僕じゃないとできないという自信があったんです」
─浅野さんご自身は淳悟とはどんな男だと思いましたか?
浅野「淳悟は愛情に満たされていなくて、満たされていないことに自分でも気づいていない空虚感があって…だから、なんとなくだらしなく生きてしまっているというか。僕自身はわりと小さい頃から自由に育てられて、常識に縛られすぎることがなかったので、淳悟みたいな人間の気持ちも理解できるんですよね。僕にも空虚な部分はあるんだけれど、淳悟のそれとは違う。彼のことは理解できるけど、僕自身は彼より満たされた気持ちで育ってきたとは思います。だから、淳悟に対しては共感というより“理解”ですね。淳悟は最後まで満たされなくていいと思っていたし、満たされたと思って演じていたら演技のアプローチも変わっていたと思います。むしろ、なにかを失っていることに気づかずに、どんどんダメな男になっていくさまを演じたいと思っていました」
─本作では淳悟と花の長い時間が描かれ、二階堂さんは13~25歳までのヒロインを違和感なく演じられていますが、その成長を演じるのは楽しかったですか?
二階堂「楽しかったですね。13歳にしかないもの、17歳にしか出せないものとか女性が成長するにつれて、どんなふうに変化していくのかは、撮影当時18歳だった私にとって未知な部分もありましたが、監督からは“つぼみがふわっと咲いて花になるイメージで”と言われていたので、見た目を最低限作って、あとは監督と話をしながら演じました」
※【その2】に続く
【取材・文=リワークス】