_まず異色なのが「沖縄出身、高知在住」というところなんですが、なぜ南国から四国の南国・土佐へ(笑)?
TAKANO:インディーズ時代に炊飯器担いで公園で寝泊まりしながら全国ツアーをやっていたんですけど、その時に訪れた高知ですごいおもてなしを受けたんですよ。「お前らこれ食え」とか「今日はここで寝ていけ」とか、すごく親切にしてもらえて。地元の人たちの近しい感じがどこととなく沖縄に似てるんですよね。そこで僕たちにとって重要な人との出会いがあったんですけど、その人が「俺もお前らと一緒に夢を追いかけたい」と言ってくださったんです。それで、3年前のメジャーデビューを機に、活動拠点を東京ではなく、一番恩返しをしたい高知という場所から自分たちの音楽を発信していこうと決めました。「沖縄出身・高知発」で、全国区のバンドを目指して頑張ってます!
_人との出会いからだったんですね。結成はどのような経緯なんですか?
YASU:僕だけ東京出身なんですけど、母親が宮古島出身だったんです。それで沖縄大学へ進学して、入部した音楽サークルで大湾(B)とTAKANOに出会ったことで結成しました。メンバーチェンジもありながら、結成から数えたらもう…13年?かな。10年越えてやっとのメジャーデビューなので、すごく感慨深いですね。
_バンド活動と平行して、高知では「米作り」も行われていますよね??
TAKANO:そうなんですよ〜(笑)。
YASU:もうね、僕たちもまさか米を作ることになるなんてビックリでしたけど(笑)。活動拠点を高知に移すというだけでも相当に果断な決断だったのに、それに加えて農業(笑)。きっかけは事務所の社長からの提案だったんですけど、「地元にオーナー制度の棚田があるから、やってみないか」と言われて。さとうきび畑は経験があるんですけど、米作りは初めてだったので一体どうなるのかと思いましたけど、そのお陰で地元の人ともすごく打ち解けられましたね。田植え前の田起こしからのライブ、というスケジュールもありましたけど(笑)。
TAKANO:ジャージと長靴でね。さすがに自分たちのその姿を見た時は「俺たち、この生活で本当にいいのか…?」と若干不安にはなりました(笑)。
_鍬がマイクに変わるわけですね(笑)。
TAKANO:はい(笑)。高知在住歴がまだ1年なんですけど、田植えが終わって収穫をする頃には、ちょうどテレビとかライブとかですごく忙しくなってきていた時期で「今年の米作りはちょっと難しいかな…」って思っていたんですけど、地元の会長さんがさらに棚田の敷地を拡大して待っててくれています(笑)。
YASU:でも最高に開放的で心地良い自然の中で長靴履いて、土と直に触れ合うのってほんとに清々しいし、すごい貴重な経験ができてるんだなって思いますね。
_すごい贅沢ですよね。高知ではみなさんで共同生活されているんですよね。寝食と労働を共にする生活はどうですか?
TAKANO:いやもう、イライラすることばっかですよ(笑)。
_笑!例えば?
TAKANO:例えば、洗濯機を開けたら洗濯物が山盛りで、それらを片付けないと自分の洗濯が出来ないから必然的にやる羽目になる…とか(笑)。
YASU:洗い物もね。三角コーナーが汚れているとか…
TAKANO:そしてそのイライラをカレー作りにぶつけるという(笑)。人参とかジャガイモを荒々しく切ってブチ込む!
_怒りのカレー(笑)。そんな環境下で今回リリースされたアルバムは、どのようなテーマやコンセプトが込められてるんでしょうか。
TAKANO:「島心〜しまぐくる〜」という曲があるんですけど、この曲は実はインディーズの時にも一度CD化されていたものなんです。これまで僕らは本当にたくさんの人たちのお世話になっていて、その人たちによって自分たちのメンタリティや音楽性にもたくさんの影響を受けることが本当にたくさんあったんです。現在の自分たちのスタンスで改めてこの曲をたくさんの人に届けたいと思って、今回のアルバムに収録することになりました。それぞれに「成長した自分たちを見てもらいたい」っていう気持ちが強くあったので、メンバー同士でかなりぶつかり合いながらの制作作業でしたね(笑)。
YASU:うん。でも結果としてすごくいいものが出来たし、そうやってぶつかり合いながらいいものを積み重ねていくということが出来たのも、共同生活で共有する時間や感覚が増えたお陰だと思いますね。音楽だけじゃなく、メンバー同士のちょっとしたやりとりでも、例えばライブではアイコンタクトでお互いの求めているものが理解できるようになったり。とことん最後の最後までぶつかり合って完成させたものだから、「これが俺らのアルバムだぞ!」って自信を持って言えるアルバムです。
※【その2】に続く
【取材・文=三好千夏】