長崎県にある無人島が脚光を浴びている。もともとはアンダーグラウンドな世界では知る人ぞ知る有名な「廃墟の島」といわれていた。この島の正式名称は端島、通称「軍艦島」といわれる。軍艦島の由来は戦艦「土佐」の建造中の姿に似ていたことから呼ばれるようになった。
ではこの島が何故それほどまでに脚光を浴びているのか、この島の過去から紹介していこう。軍艦島の歴史は遡ること約200年以上前、江戸時代からになる。元々は海から飛び出た岩礁だけの島であり軍艦のシルエットはしていなかった。1810年にここで石炭が発見されたが、まだ当時の技術では海に囲まれた過酷な環境で採炭することは容易ではなかった。軍艦島が変わり始めたのは明治になってからである。1890年に三菱財閥に買収され本格的な炭鉱施設として採炭された。
軍艦島で採炭される石炭は良質な無煙炭で「黒いダイヤ」と呼ばれ北九州市 にある八幡製鉄所等に原料炭として供給された。
この良質な石炭が日本の近代化に基幹として大きな役割を果たすことになったのだが、国のエネルギー政策の転換により1974年1月に閉山することとなり4月には島民全員が一斉退去。わずか三ヶ月で無人の島になった。
現在に話を戻すと、上陸禁止であった軍艦島が2009年に端島に関する条例の成立により上陸解禁となった。島南部に整備された見学通路により限定されるが上陸・見学をすることが可能になった。上陸解禁から5年、長崎市に対する経済効果は推定65億円以上をもたらし上陸者数は50万人を突破した。観光客は県内よりも県外からのほうが多く、人々がこの島を一目見ようと上陸する。この数値が注目度の高さを物語っている。
軍艦島を世界遺産に登録しようと2000年当初から働きかけていた団体がいるなかで、世界遺産登録の転機が訪れたのは2009年にユネスコの世界遺産暫定リストリスト入りを果たしたことだ。こうして「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域 」の一部となった。
軍艦島観光をするルートをご紹介しよう。軍艦島の上陸観光をするには船で行くしか手段がない。軍艦島クルーズは全部で5社ある。それぞれ乗り場が違うので乗る際は注意が必要だ。またクルーズによっては外周を回れない船もあるので気に入ったプランに合わせ乗ることがオススメだ。
*長崎市の特別な許可・同伴のもと上陸しています。
【取材・文/谷口雄亮】