――2009年の活動予定がまだ発表されていません。ファンも宇野さんの次なる戦いを待っているかと思います。
「ことしは以前に戦っていたアメリカのUFCという総合格闘技の大会でやりたいという気持ちがあって。その意味で、1/22〜2/2まで実際にアメリカのロサンゼルスやラスベガスに行ってきました。アメリカの総合格闘技界がいまどうなっているのか、視察というか自分の目で見ておきたかったんです。現状のトレーニング方法がどうなっているのかも調べてきたんですけど、すべてが刺激になりました。ただ、具体的にはまだ何も決まっていません。いまは僕の希望を先方に伝えている段階です」
――アメリカ再挑戦を決意するまでの経緯を教えていただけますか。
「去年の7月にDREAMという試合で負けて終わった後(DREAM.5ライト級GP準決勝で青木真也に判定負け)、格闘技に対するモチベーションがなかなか上がらなくなって。すべてを懸けていた試合に負けたこともありますし、その直前の6月に僕を教えてくださった師匠(和術慧舟會東京本部代表の守山竜介氏)が亡くなったんです。そうしたいろいろなことが作用して気持ちが上がらなかったというか…ホント、難しいですよね。その時にUFCをたまたまテレビで見て、改めてレベルの高さや選手の強さを感じたんです。やっぱり挑戦したいという気持ちですよね。このような厳しい場所でできたら、とモチベーションがすごく上がってきたんです」
――5月で34歳になりますが、第一線で活躍してきた宇野さんの中でチャレンジャー精神はいまなお健在だと。
「常にチャレンジャー精神というのは心がけてきましたけど、その中でUFCというのは常に僕の心の中にあったんです。僕は2003年の試合を最後に参戦しなくなったんですけど、最後は負けて(2003年9月、エルメス・フランカに2ラウンド2分46秒でKO負け)終わったことへの悔しさはずっと持っていた。それ以降も修斗やHERO’Sといった団体のリングに上がってきましたけど、その中でUFCに再び参戦したいということは一貫して言ってきたことなんです。なかなかタイミングが合わなかったんですけど、今回は自分の中でも『いまじゃないか』と思ったんです」
――総合格闘技に対するモチベーションが落ちるような経験は過去にもあったのでしょうか。
「一番最初に横浜文化体育館で佐藤ルミナ選手を破って修斗のチャンピオンになった時(1999年5月、第4代修斗ウェルター級チャンピオン戴冠)も、それを目標にやってきたところがあって『もうやめてもいいかな』と。その後はどうしてもモチベーションというか気持ちが全然上がらなかったんですけど、その時に母親から『世界に通用する選手になりたい』と僕がコメントしている昔の格闘技の雑誌を見せられて。『あなた、これが目標じゃなかったの』と言われて、持ち直したこともありました。そういうところどころで何かしら、アドバイスじゃないですけど、次の方向を示してくれるものがあるんです」
――今回はそれがUFCに対する不完全燃焼感だったわけですね。
「繰り返しになりますけど、心の中でいつかはあそこに、UFCの金網の中で戦いたいと思っていたので。そのタイミングがいまじゃないかと自分自身で感じたんです。UFCのリングに立てるものだと見越して準備をしておかないといけない。なので、今回のアメリカ視察はすべてにおいて刺激になりました。あまり細かく言うことではないんですけど、大きな大会から小さな大会までかなりの試合を観に行って、いろいろな道場における練習も見学して」
――ファンの方はもう少し待っていてください、といった状況でしょうか。
「一昨年にあごを骨折した時は半年以上、2007年の9月に負傷して翌年の5月まで試合ができなかった時期もありました。お客さんに観に来てもらう以上は、体調や気持ちがベストの状態じゃないと。中途半端な状態で無理をしてもお客さんはわかってしまう。相手に対して失礼だし、試合に対しても失礼ですから。以前は若さでクリアできた部分もあるんですけど、年齢を重ねるにつれて体のケアやコンディショニングといったことも大事になってくる。でも、それ以上に気持ちというものがすごく大事だなと改めて感じています。気持ちがあると練習にも身が入りますし、刺激があることによって次の目標への考え方も変わってくる。今回のことがどう動くかはまだわからないけど、挑戦したいという気持ちは常にもっていきたいですね」