映画「KANO~1931 海の向こうの甲子園~」インタビュー(1) 永瀬正敏が顔面大ヤケド!?

横浜ウォーカー

永瀬正敏と言えば、「私立探偵 濱マイク」(ドラマ版2002年)のマイク役でおなじみ。横浜が舞台で、ロケ地にはいまでもファンが訪れる名作である。人情に厚く人間味あふれるキャラクターはハマっ子に愛されている。そんな永瀬正敏が、1月24日公開の映画「KANO~1931 海の向こうの甲子園~」で主演。1931(昭和6)年、日本統治時代の台湾の嘉義農林(かぎのうりん)学校が、甲子園で準決勝するまでを描いている。鬼監督とも呼ばれた近藤兵太郎を演じた彼に、役柄や撮影のウラ話を聞いた。

個性的な役を演じることが多いイメージだが、今回は高校野球の監督役だ。「この映画は史実に基づいたストーリーなので、演じるうえでウソをつかないようにしました。100%その人になりきることはできないけれど、できる範囲で調べたり親族にお会いしたりして、その人に近付くようにしました。(監督の)娘さんやお孫さんがご存命ですし、そこに僕の演じた近藤兵太郎さんの体温が残っていますから、親族の方の最初の感想が一番ドキドキします。スパルタなんですが、根性論だけではなく、練習方法や理論で生徒達にわからせるなど、そういうところから始められた方で、当時では珍しかったみたいです。娘さんの話を聞くと、近藤監督が野球を離れても生徒の方々が会いにいらしてたんですって。そのエピソードだけでも、ただの鬼監督ではない温かさを感じますから、厳しさのさじ加減も気を付けましたね」。

注目してほしいポイントとしては「ほとんど笑顔がないんですよ(笑)。映画の監督と相談して、厳しい顔でいこうと。例えば“うれしい”という表現をするには、ニコニコしたりガッツポーズをしたりするのが一番簡単なんですけど。当時の日本人…僕らのおじいちゃん世代は、喜びを表現するのが下手じゃないですか。だから、喜びの出し具合には気を付けました。でも台本には“大喜び”って書いてある(笑)。そういう意味では、最後の甲子園の決勝あたりのシーンが見どころでしょうか」。

撮影は順調にはいかなかった。「3か月の予定が2か月延びたんです。日本ならもう1本映画が撮れますね(笑)。それにはさまざまな要因があるけど、主に天候の問題。練習場のシーンが鬼門でした。すごい風が吹いてしまったり、寒波がやってきたり。隣に座っている呉波(ウェイ・チーアン)って男の子は、そんな日にタンクトップしか着ていなかったので、死ぬんじゃないかって思いました(笑)。と思えば、陽射しが暑く、照り返しが強い日は顔が日焼けで赤くなってしまって、ブツブツができてしまったり。ヤケドに近い感じでしたね。甲子園に向かう航海のシーンは、その日に撮り終わらないと完成しないっていう撮影デッドラインでした。カット数も多いし、船のセットを組んでしまっていることもあって、期日には解体しなくてはならない。緊迫した状況なのに、途中で雨が降り出すというね(笑)。プロデューサーさんの顔がどんどん険しくなっていくのがわかる(笑)。ただ、ギリギリのタイミングで雨が上がったんです。なんとか撮影し、終わった後は本当にみんなガッツポーズでしたね(笑)」。

(「KANO~1931 海の向こうの甲子園」永瀬正敏インタビュー(2)に続く)

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