いよいよ3/27(金)のグランドオープンが迫ってきた姫路城。絶賛発売中の「姫路城ウォーカー」より見どころを紹介していく姫路城ウォーカー通信の5回目は、羽柴・池田・本多と3つの時代に築かれた石垣にクローズアップ。
【3つの時代が重なる、石積みの歴史】
姫路城にある石垣には、羽柴時代、池田時代、本多時代の異なる石積みの様子が見られる。第1期の羽柴時代では、自然の石をそのまま野面積みする古式石垣。第2期の池田時代になると、接合部の加工や隅角部が反り上がる扇の勾配を採用した大天守や小天守などの石垣が造られた。第3期の本多時代は第2期と類似するが、隙間をなくす切込接ぎが使われた。また、石材の確保のため、本来積石でないものを使用することもあった。
【第1期(羽柴時代)】
凝灰岩やチャートなどといった石材を使用し、野面積と呼ばれる積み方で造る。五輪塔や石棺など転用石も多様。直線的で緩い勾配で、鈍角の隅角部には小ぶりの石が配されている。一方、菱の門の東にある石垣の隅角には、大ぶりの石材が数多く使用されている。
【第2期(池田時代)】
転用石は少なくなり、凝灰岩などの加工した石材をおもに用いて積み上げる。隅角部にある算木積みの大部分が完成し、「扇の勾配」と言われる反り返った石垣に変化。石材の規格化、「刻印」も多く見られることができる。
【第3期(本多時代)】
壊れやすい隅角部には、長方形の石を長辺と短辺を交互に積んだ「算木積み」で積まれる。上に行くほどに反り上がる「扇の勾配」の構造。一部の武蔵野御殿池跡の石垣などには「切込接ぎ」が見られる。
「姫路城ウォーカー」では、上記の石垣をより詳細に紹介しているほか、天守や門、櫓といった姫路城の細かな見どころまでを徹底解剖。ぜひチェックしてみて!