今年2016年は、有田焼創業400年のメモリアルイヤー。今回、「週刊 東京ウォーカー+(プラス)」で連載中の「ゾノさんぽ」の番外編として、前園真聖さんと有田の街をぶらりと散策した。
ちなみに、そもそも有田焼とは、佐賀県有田町とその周辺地域で製造される磁器を指し、言葉としては、明治以降に広く用いられるようになったもの。17世紀初頭に朝鮮人陶工(とうこう)の初代金ヶ江三兵衛(通称:李参平)らによって有田町の泉山で磁器の原料となる陶石が発見されたのがそのスタートで、これが400年前の話になるという。
歴史ある有田の街。今回の「ゾノさんぽ」で前園さんが感じたことはどんなことか? 率直な思いを聞いてみた。
「有田焼と伊万里焼もそうですが、やきものが街のいたるところに自然に取り入れられていて、街とやきものが同化している、『やきものの街』なんだなと歩いていて強く感じました。有田焼などが、どういう風に作られているかの工程を見させてもらって勉強になりましたし、本当に歴史があるなと感じました。もともとの原材料、陶石が発掘された場所まで見させていただいて、普段は見られないところまで見学させてもらったので、すごく楽しかったです。これまで、有田焼には、日常使いではなく『非日常』のイメージを持っていましたが、有田と伊万里の人たちは、それが生活の一部になっていて、日常の中でやきものに誇りを持っているということが伝わってきました」
「僕もお土産に買いましたし(笑)、普段使いで活用したいなと思いました。昔から皇室に献上されているものが今も作られていたりとか、みなさんの生活の一部として普段使いのものがあったりとか、いろんな側面を知ることができて、すごく楽しい一日でした」
「下絵の体験もさせてもらいましたし、実際の工程を見させてもらって『すごいな』というのがわかったのと、シンプルで細かくないデザインでも筆を執るとその作業が大変なことがわかって、下絵の体験は本当に貴重でした。『一人前になるには30年かかる』とおっしゃっていましたが、それだけ必死に学んでいかないと、一流というか、その道のプロとして生活できないんだなと、その難しさ、奥の深さを感じました」
「有田には昔からの街並みが残っているところがあり、一方で『カフェ木もれ陽』のように今っぽいところもあって、それでも使っている器が有田焼だったりとか、伝統的なものと今に必要なものとがうまくミックスされている街だなと感じました。有田町の方、佐賀県の方、観光協会の方を含め、みなさんが本当に優しくて、あたたかく迎えてもらって恐縮するくらいのおもてなしをしていただきました。少しでも返せたらなと思うくらいのことをしていただきました」
そしてもうひとつ、今回、前園さんと有田の街を歩いて感じたのは、有田の人たちの“あたたかさ”だ。前園さんは訪れる先々で声をかけられ、その言葉どおり「あたたかい出迎え」を受けた。前園さんも気さくに写真撮影に応じるなど、有田の”あたたかさ”を快く受け入れていた。スタイルの違いこそあれど、誰もが有田焼と接点を持ち続ける街「有田」は、人との接点を大切にする「つながりの街」でもあった。【ウォーカープラス編集部/浅野祐介】
浅野祐介