2016年11月12日(土)から2017年3月31日(金)まで、東京・銀座のソニービルで「It's a Sony展」が開催中。初日の12日に、ソニービル8階コミュニケーションゾーン OPUS(オーパス)で、「ソニービルの過去と未来をつなぐ」をテーマにしたトークセッションが実施された。
トークセッションには、50年前にソニービルの設計を担当した芦原義信氏の長男で建築家の芦原太郎氏と、建築史家の倉方俊輔氏が登場。終盤にはソニー株式会社取締役・代表執行役社長兼CEOの平井一夫氏も加わり、「ソニービルの未来」を語った。
芦原「このソニーという企業が、1960年代の、世界初・日本初の製品を生み出す会社だった。その方たちと父がソニービルを一緒に考えながら作ることになり、まさに『Be creative,be original』と言ってるようなもので、クライアントがクリエイティブでビーオリジナルであれとクリエイターに言っている、我が意を得たりという状態でしたね」
芦原「歩行者天国というのがあって、道路だったところが私たちが日曜に楽しく歩き回れる、“銀ブラ”なんてことができる。これは逆転の発想というかね。銀座で大事なのは、まちづくり協定。法律とはまた別に、銀座の中では『こういうルールにしよう』というのを銀座の皆さんと相談をして、協定を作ったと。それを維持していくための街づくり会議をしています。ビルを建てようとするときは、法律以上に、銀座ルールにのっとって、協定の皆さんとのやりとりやフィードバックをする中で作っていっています。全国の中でも先駆けになっている例じゃないかなと。そうやって銀座も成長してきて、海外のスーパーブランドも進出してきて、そこへ観光バスも次々乗り付けて、爆買い状態。さて、その次の銀座はどうなるんでしょう?という状況ですよね」
倉方「銀座が面白いのは、日本の真ん中のようだけれども、ある意味では東京ローカルで、言ってみれば“日本一有名な商店街”ですよね。老舗の企業もあって、協定や仲間意識というか、銀座という街をみんなで守っていくという、中長期的に見て経済的、合理的という、ある種のローカリティもあるように感じます」
芦原「銀座というのは、いろんなもの、老舗があって、そこに海外ブランドだろうが量販店だろうが、元気のいいものは積極的に取り込んでいくというか、『元気のある人たちに来てもらおう』と枠にはめず、制限せず、ある種の多様性を許容しているのが銀座という街。この先何が来るかわからない、逆に言うと楽しみ、というのが銀座ですね」
平井「中学生の頃からオーディオが大好きで、BCLが大好きだったので、銀座のソニーショールームは遊びに来たし、新しい商品を見て、すごい商品を作るなと当時も思いました。待ち合わせ場所でもあったし、青春の一部でしたね。花びら構造、ユニークな建築物だなと思っていました。自分にとって、パーソナルな意味でも思い入れのあるビルです。
平井「こだわりが感じられるし、至らないところはまだまだありますが、ソニーのエレキの商品で言えば、デザイン、使い勝手、たたずまい、機能だけでなく感性に訴えかける商品、細かいところにもこだわることが大事だと思っています。ソニービルのこだわりは、他のビルとは違うたたずまい、一目でソニービルだとわかるデザインだと思っています」
倉方「このソニービルは銀座、日本の一等地にあります。たとえば、会社のトップとして判断されたとき、ここはソニーの商品を積極的に売っている場所でもない、この場所を持っていなくてもいいじゃないか、それこそ売ってしまったらいいんじゃないか、といった判断ではなくて、ソニーが積極的にコントロールし、主導権を持っていくという決断をしたのはなぜですか?」
平井「さまざまな議論がありましたが、やはりこの50年、銀座の街でいろいろな方にソニーを体験してもらい、大変お世話になった。比較的早めの段階で、この地で新しいビルを建てていこうということになりました。売却や別の地に移転して、という意見もありましたが、いやいや、『やはり銀座で、この街と一緒に発展、発信していくんだ』と。じゃあどんなふうにやるんだ、となって、ビルを建て替えるだけなら誰でもできる。いやいやいや、そうじゃなくて、そこはソニーらしいやり方でやるんだ、と議論して、あるスタッフから『思い切ってフラット化したらどうですか?』というアイデアが出まして、そこから話が盛り上がり、実際に今回のような7年越しのプランになりました」
芦原「この建物が壊れるというのは大変心苦しいなと思っていて。数寄屋橋のこの角にビルが残るのも銀座の一つの歴史かなと思ってはいたんですが、新しいソニービルに対するお考えを聞くと、期待しちゃいますよね。というわけで、新しいソニー、銀座の新しい魅力に期待したいなと思っています。これは、父もそうだと思っています」
平井「ありがとうございます。そこへうまく話がつながるのですが……芦原先生のデザインに対するリスペクトとソニービルへの愛着と、通っていただいたお客様、このビルを思い出の一部にしてくれている方もいらっしゃると思うので、ルーバーを裁断して、このビルを解体した後に、数量限定ですが、ご希望の方に販売させていただきます。ペーパーウェイトになるのか?というところもあるんですが(笑)、ソニービルの一部を一生持っていただけるということで、どういう風にしたらいいかと考えて一番いいだろうと目を付けたのがこのルーバーです。詳細は追ってご案内いたしますが、収益はすべてセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンとソニー『子どものための災害時緊急・復興ファンド』へ寄付させていただきます(※ソニービルの外観を特徴づけていた外壁のルーバー。エッフェル塔を彷彿とさせる断面を持つこのルーバーを、解体後にチャリティ販売することが決定。販売方法を検討中で、予約受付の準備中とのこと)。そういった意味では、寄付のプラスにしていただくのと同時に、ソニービルの一部を一生お持ちいただけるので、ご興味のある方はぜひ」
倉方「どこまでいってもSONYは『Be creative,be original』ですね(笑)
平井「自慢ではないですが、これは私のアイディアです(笑)。(デザインを)フラットにするとかは他のクリエイティブなスタッフが考えましたが、ここで社長として何か貢献しないといけないなと(笑)、頭を絞った結果、ソニービルの一部をお客様に分けよう!と考えました。最初はきょとんとされましたが、アイデアとしてこういったルーバーが出てきましたので(笑)」
倉方「買います!(笑)」
平井「ありがとうございます(笑)。技術は常に進化するものですが、それが『WOW!』かどうかはユーザーが決めるもの。それはソニービルも同じです。足を運んでくださるユーザーの方の声、パークもそうですし、ビルも、ご要望をもらえればとおもうので、ぜひお願いします」
ソニーが発表した「銀座ソニーパークプロジェクト」に伴い、現在のソニービルは2017年3月31日をもって営業が一旦終了、翌4月1日(土)からビルの解体が始まり、建て替えに向けた工事がスタートする。2018年夏から2020年秋の間は「銀座ソニーパーク」として地上部分を公園として整備し、その後、2022年までに新しいソニービルが開業する予定となっている。
そんななか開催されている「It's a Sony展」は、創業70年を迎えたソニー、ソニービルが歩んだ50年の歴史および今後の進化を歴代のソニー商品とともに振り返られるカウントダウンイベントだ。
11月12日から2017年2月12日(日)の期間は「前半」として、歴代のソニー商品(日本初のトランジスタラジオ『TR-55』、初代ウォークマン(R)『TPS-L2』、エンターテインメントロボット『AIBO』など)や当時の広告、ソニーグループのエンターテインメントコンテンツ(80-90年代を中心としたソニーミュージック所属アーティストのビデオクリップなど)など計約730点が一挙に展示され、ピエール瀧さんやみうらじゅんさんなど各界の著名人の思い出のソニー商品も目にすることができる。
2017年2月17日(金)から2017年3月31日(金)の期間は「後半」として、2018年夏から2020年秋までオープン予定の、街に開かれたオープンスペース「銀座ソニーパーク」のコンセプトをいち早く体験できるフロア構成や展示を予定。さらには、国内外のクリエイターによるインスタレーションやライブイベントも予定されている。
ソニーの歴史、そして未来を、この機会に体験してみてほしい。面白いですよ。【ウォーカープラス編集部/浅野祐介】
浅野祐介