「世界のヨコサワ」から「世界一のヨコサワ」へ。プロポーカープレーヤー横澤真人が世界のトップを目指す理由
東京ウォーカー(全国版)
世界一のポーカーユーチューバー
13万7464ドル。日本円(現在のレート)で約1800万円。これは、2022年12月から2023年1月にかけて、アメリカのロサンゼルスとロサンゼルスで1カ月を過ごしたプロポーカープレーヤー、「世界のヨコサワ」こと横澤真人さんがカジノで手にした金額だ。
横澤さんは昨年、世界的に権威あるポーカーの賞「Global Poker Awards」で、日本人として初めて「ベストパーソナリティ賞」を受賞した。運営しているYouTubeチャンネル「世界のヨコサワ」のチャンネル登録者数が65万人を超え(当時。現在は約75万人)、世界一チャンネル登録者数が多いポーカーユーチューバーとして、ポーカー文化の発展に貢献したことが評価されてのことだ。
すでに世界一の称号を得ている横澤さんだが、今、新たな野望を抱く。
「実力で世界トップになりたいっていう気持ちはありますね」
実は数年前まで、「世界トップになれると思わないし、なる意味もない」と考えていたという。どういう心境の変化があって、頂点を狙うようになったのか?そもそもなぜ、プロポーカープレーヤーを目指したのか?
1カ月で1800万円を稼ぐ男は、10代のころからギャンブルのような人生を歩んできた。
「なんの対策もしていなかった」立教大学に合格
1992年、横浜で生まれた横澤さんは、少年時代からパソコンで遊ぶのが好きだった。
「小学校に入学するころからパソコンに触っていて、小学校6年生になると自分のホームページを作っていました。僕が特別というわけじゃなくて、ホームページを作るとかブログを持つみたいなことが一般化し始めた世代だったんですよ」
小学校の高学年から中学生にかけてオンラインゲームにはまり、深夜3時、4時までプレーしたせいで朝に起きられず、遅刻して学校に行くという不規則な生活になった。当然、親からは厳しく怒られたが、やめられなかった。
高校生になっても遅刻癖は抜けなかったが、オンラインゲームからは自然と離れた。軽音部でバンドを組んだり、応援団の活動のほうが楽しかったからだ。高3になると応援団長を務め、夏まで忙しく過ごした。
受験勉強を始めたのは、9月。数カ月で結果を出すために、横澤さんは考えた。
「大学受験の合否は確率の問題で、運がよければ受かると思っていました。その確率を高めるために、8校ぐらい受験しましたね。当時からギャンブラーの思考だったと思います(笑)」
実際、「なんの対策もしていなかった」という立教大学に合格し、2011年の春、大学生となった。
ひと月に20万円稼ぐパチプロ学生に
大学生活は、すぐに飽きた。
「同級生は大学で羽を伸ばすっていう感じで、サークルに入って、飲み会して盛り上がっている人ばかりだったんですよ。そういう青春は高校生のときにしてたから、あんま変わんねえじゃんと思いました。それに、勉強に対する好奇心があって、大学に行ったらすごくおもしろい勉強ができるかもしれないと期待してたけどそうでもなかったから、すごくガッカリしましたね」
大学ではなく、パチンコに通うようになるまでに時間はかからなかった。多いときは、ひと月に160時間を過ごした。1日8時間打ったとして、1カ月のうち20日間、パチンコ屋にいた計算になる。そのうちに攻略法を編み出し、月に20万円ほど稼いだ。
勝利の方程式を研究しているときは、没頭した。「こう打てば勝てる」とわかってからは刺激が薄れ、惰性でパチンコに足を運ぶようになった。
パチプロのような生活をしながら、18歳のときに会社を作った。何か熱い想いがあってのことではない。相変わらず朝が苦手で、大学の必修授業に出席するのを早々にあきらめたことから、「自分は普通の仕事には就けない」と悟った。それで、「会社に行かないなら、自分でやるしかない。やるなら早いほうがいい」と考えたのだ。
パチンコに飽きていたこともあり、会社を登記すると次第に「どうやったらお金が稼げるようになるか」を考えるのが楽しくなった。積極的にビジネス交流会や起業セミナーに参加して、ビジネスの種を探した。
19歳のある日、ふと思いついた。
「おれ、パソコンが得意だったな。Webのビジネスならできるかも」
西新宿のタワマンでひとり暮らし
手っ取り早くひとりで始めようと、商品の比較サイトを作り、アフェリエイト広告で稼ぐことにした。サイト上で企業の商品やサービスを紹介し、ユーザーがその商品を購入したら報酬が支払われるのがアフェリエイト広告だ。
横澤さんいわく「比較サイトをやれば誰でもうまくいく時代」だったそうで、横澤さんもサイトの運用を始めてすぐに「これは稼げる!人手を増やせばもっといける!」とオフィスを借り、暇そうな大学生に声をかけた。
会社は、数カ月で急成長。上場企業を含め取引先が十数社におよび、あっという間に月商2000万円に達した。アルバイトも10人を超え、オフィスを拡張。このときまだ19歳だった横澤さんは、西新宿のタワーマンションに部屋を借りて、初めてのひとり暮らしを始めた。
急速に膨らんだバラ色の風船は、悪意の一刺しで弾け飛んだ。横澤さんも社員もみな10代だったため、「しっかりした経歴のある人を代表に置いたほうが、社会的な信用を得られる」という税理士の助言を聞き入れ、紹介されたNという人物を迎え入れたのが運の尽き。
その税理士とNは取引先に「横澤は調子に乗っている。会社も傾いていてもうダメだ」なとどよくない噂を吹き込み、自分たちが通じている別の会社へ契約を切り替えることを促した。ほかにも限りなく黒に近いグレーな手法によって、会社の資産に手を付けられていた。
当時、確かに調子に乗っていた横澤さんにとっては寝耳に水で、何かおかしいと思ったときには手がつけられない状況に陥っていた。なすすべなく、4000万円の借金を抱えて倒産した。
「今振り返れば、ウシジマくん(『闇金ウシジマくん』)に出てきそうなストーリーですよね。すべてが挽回できないスピードとタイミングで進められていて、一撃必殺で倒産しました」
一番の魅力は「教科書がないこと」
19歳でタワマン生活を満喫していたと思ったら、信頼していた大人に騙され、20歳で4000万円の借金。はたから見ればどん底に叩き落されたような状況だが、横澤さんは絶望していなかった。誰かを不幸にしたわけではなく、「自分の失敗だから、自分で稼いで返せばいい」と思っていたこともある。何より、出会ったばかりのポーカーに心を奪われていた。
会社が倒産する3、4カ月前、ひとりの従業員にポーカーに誘われた。プレーを始めてしばらくしたとき、脳天を雷に打たれたかのように「おれはこのゲームをやらなきゃいけないかも」と感じたそうだ。それからは、時間があればポーカーをするようになった。仲間内でやるだけではなく、ポーカーができるアミューズメントカジノにも通い詰めた。やればやるほど、夢中になった。ポーカーを始めて2カ月後には、「プロになる」と宣言した。
このときすでに水面下で税理士とNの策謀が始まっていたが、それにまったく気づかなかった理由の一端は、ポーカーにあるかもしれない。何がそこまで心を捉えたのだろうか?
「ポーカーには教科書がなかったのが、一番の理由ですね。ゲーム、受験勉強、パチンコ、ビジネス、ぜんぶ参考書や参考事例が溢れているじゃないですか。でも当時、ポーカーはマイナーだったので、素人がセオリーを学ぶ方法がなかったんです。それが、手つかずの未開の地のように感じたんですよね。自分で攻略法を考え出さなきゃいけないのがすごく魅力的だったし、アミューズメントカジノでほかのプレーヤーを見て、差を埋める自信がありました」
その自信の源は、論理的思考力だった。
「ポーカーは確率のゲームです。100%の確率で勝つよりも、60%で勝利を積み上げていくゲームなんですよ。でも、負けることを恐れて、毎回勝たなきゃいけないと思う人がほとんど。僕はパチンコをやっているときから、負けるときはなるべく小さくして、勝つときに大きくすればトータルでは勝つという感覚で目の前の勝負に一喜一憂しないで勝負できる。それが強みだと感じました」
ポーカーの魅力に取りつかれた横澤さんは、会社が倒産したとき、こう感じたそうだ。
「ポーカーに導かれてんのかな」
急成長を促した師匠との答え合わせ
すでに大学も中退していた横澤さんは、会社を失って得た膨大な時間をポーカーに投じた。毎日、朝起きてから夜遅くまでポーカーをした。相手がいないときは、動画を観たり、数少ない本を読んだりして研究した。
「人生で一番ポーカーをしていたのが、この時期ですね。1カ月に300時間ぐらいポーカーをしていたと思います。ポーカー屋さんを1日で3軒はしごしたこともありますよ」
お金を賭ける海外のカジノは、21歳から出入りできる。横澤さんは2013年12月、21歳の誕生日を迎えて3日後に韓国で行われたポーカーの国際大会「ワールドポーカーツアー(WPT)」に参戦。世界三大タイトルのひとつと呼ばれ、世界中で開催されているこの大会でいきなり日本人として初めての優勝を飾り、賞金10万ドル(現在のレートで約1360万円)を手にした。
実は、この快挙の裏側に横澤さんが「師匠」と呼ぶ人の存在があったことは知られていない。
WPTは数日間にわたって行われる。横澤さんが会場に行ったとき、ひとりの日本人を目にした。プロを目指してポーカー漬けの日々を送るなかで、「この人はもしかしたら日本で一番強いかも」と思っていたプロのプレーヤー、余語葦織さんだ。カナダのトップ大学のひとつ、クイーンズ大学で数学を専攻していたという異色のキャリアの持ち主で、ツイッターなどで余語さんの投稿を見て、論理的思考力を突き詰めている人だと感じていたという。
その場にいた別の日本人を通して余語さんに紹介された横澤さんは「めっちゃ尊敬してます!」と挨拶をした。それから大会が終わるまで、顔を合わせるたびに質問攻めにした。
「勝ち方を研究するなかで持論はたくさんあったんですけど、周りがアマチュアなんで確認する相手がいなかったんですよ。余語さんは、僕はこう思うんですけどどう思います?って質問すると、『若いのにわかってんじゃねえか』っておもしろがってくれて、いろいろ教えてくれました。普通だったら敵に塩を送るようなものだから、そういう人は滅多にいないんですよ。今思えば韓国で3、4日間一緒に過ごして、余語さんと答え合わせをしながら大会中に急成長できたのが勝因ですね。人間性と知識の深さを尊敬していますし、今でも師匠だと思っています」
稼げるフィールドを選ぶ
プロとして初出場の大会で初優勝した横澤さんはその後、世界のカジノを巡り歩いた。各地で好成績を収め、大金を稼ぎながら、自ら考案した勝つための方法論を磨き上げた。
一方で、「このゲームで世界トップになれると思わないし、なる意味もない」と感じていた。ポーカーにはレートがある。例えばラスベガスのカジノでいうと、一番低いレートは1ゲームの参加費3ドルで、アマチュアが集う。参加費5ドルになると、少しプロが混ざる。参加費10ドルの「5-10(ファイブ・テン)」と呼ばれるレベルになるとプレーヤーの6、7割がプロになり、さらにその上、参加費20ドルの「10-20(テン・トゥエンティ)」はプロが9割を占める。
当時、横澤さんの主戦場は「ファイブ・テン」で、だいたいひと月に2万ドル(約272万円)を稼ぎ、「それで充分」と考えていた。
「テン・トゥエンティで賞金が倍になったとしても、そこで勝てるようになるまでの間は絶対に負けるんで、そんなことする必要ないよなって。わざわざプロばかりいるところにいかなくても、勝てるところで勝負すればいいと思っていました」
ポーカーでメシを食うために、稼げるフィールドを選ぶ。あえてリスクを冒さない。プロとして論理的に考えれば、当然の結論だ。
しかし、プロになって3、4年も経つとポーカーを始めたときの胸の昂りは消え去っていた。パチプロ時代と同じように、勝てるゲームを続けることに「飽きた」のだ。そのころ、新たなビジネスに目を向けるようになった。それは、Webビジネスを始めたのと同じ流れだった。
二度目の起業と倒産
2018年、25歳のときに二度目の起業をした。そのころ、ポーカープレーヤーの間で話題になり始めていたブロックチェーンに興味を持った横澤さんは、自ら情報を仕入れるようになった。
日本でその話をしていたら、知人に「そんなに詳しいんだったら、仕事でやらない?お前みたいなプロフェッショナルが必要なんだ」と誘われた。求められるがままにあちこちでブロックチェーンの話をしているうちにどんどん話が大きくなり、会社を立ち上げることになった。
ブロックチェーンに関わるクライアントから依頼を請けてWebサイトやアプリを作る受託開発の会社を設立した横澤さんは、ポーカーよりもブロックチェーンに時間を使うようになっていった。
このときにまた、騙された。メインプロダクトの開発を2億円で依頼してきたアメリカの企業が、ほとんど支払いをしないまま、ある日突然、煙のように消えてしまったのだ。借金をしながらプロダクトの開発に資金をつぎ込んでいた横澤さんの会社は、またも一撃必殺で倒産した。起業してからわずか1年半のことだった。
巨額の借金を背負うことになった横澤さんは、再びポーカーの世界に足を向ける。きっかけは、YouTube。起業の前年、ポーカー仲間のひとりだったひろきさんと話をしているときに、「俺たちがポーカーしているところってYouTubeに向いてそうだよね」と盛り上がった。
その場の「軽いノリ」で作られたYouTubeチャンネル「世界のヨコサワ」で最初にアップされた動画が、『全財産10万円?カジノで倍にしないと海外から帰れま10!!』。2017年8月に公開されたこの動画は、思いもよらない反響を呼んだ。
「僕の予想は視聴者の8割が知り合いだと思っていたんですけど、8割、9割が僕のことをまったく知らない人たちだったんですよ。『このチャンネルおもしろい』とか『早く次の動画が観たい』とコメントをくれて、そんなに求めてくれるんだってビックリしたことをおぼえています」
転機となった世界ポーカー選手権
ここから一気に動画が人気になって……という展開にはならない。横澤さんはまだ会社の経営をしていたし、動画の制作を担っていたひろきさんには会社員としての本業があったため、趣味的に始めた「世界のヨコサワ」チャンネルは放置された。
それは、チャンネルの更新頻度が物語る。ふたつ目の企画が公開されたのは2017年12月で、三つ目の企画はその1年後。しかも、「10%の確率でタダになる家電を買い続けて当たるまで帰れまてん!!!!」という、ポーカーとはなんの関係もない内容だった。この動画によってYouTubeに注力することになるのだから、人生何が起きるかわからない。
「PayPayのキャンペーン期間中に、ヨドバシカメラで僕が買い物しまくるという企画だったんですけど、動画がプチバズりしたんすよね。恐らく再生数がばーって伸びたのを見たひろきのプロデューサー魂に火がついて、これは今のうちに動画をどんどん出して勢いに乗せたほうがいいかもって思ったんでしょうね」
2019年に入ると更新頻度は少ないものの、定期的に動画が公開されるようになった。実はこの時、横澤さんは倒産前後のごたごたの真っただ中にあった。
大きく潮目が変わったのは、同年5月28日から7月16日までラスベガスで開催された世界最大のポーカーイベント「世界ポーカー選手権」(World Series Of Poker/WSOP)。
8000人を超える人が参加したこの大会のメインイベントでなんと相棒のひろきさんが日本人史上最高の25位に入り、賞金およそ3500万円を獲得したのである。横澤さんは、これを機にYouTubeに本腰を入れることにしたひろきさんと腹を割って話し合った。
「僕らってなんのためにYouTubeやってるんだっけっていう話をしました。最初は再生数を稼いでチャンネル登録者数を増やすことが目的だったんです。でも、このころからポーカーをやってみたいっていう視聴者がすごく増えていて、ポーカーの魅力をもっと多くの人に伝えたい、ポーカーを楽しんでほしいという気持ちが強くなったんですよね」
膨れ上がっていた借金
自分たちのため、から、視聴者のために。気持ちが切り替わると、ポーカーとの向き合い方も変わった。その年の秋ごろから、ふたりは初心者でも安心してポーカーを楽しめる場所を作ろうと、その道を模索するようになった。
年が明けて間もなく新型コロナウイルスのパンデミックで海外に渡航できなくなると、ふたりはその動きを加速。2021年2月、「ポーカーを日本の文化にする」ことを掲げて「株式会社POKER ROOM」を創業すると、6月には満を持して渋谷に「ROOTS SHIBUYA」をオープンした。
海外のカジノに精通したふたりが徹底的にデザインに凝った本格的なポーカールームで、ひろきさんが獲得したWSOPの賞金と銀行からの融資を合わせ、1億円をかけたという。え、横澤さんは投資してないの?と疑問に思う方もいるだろう。YouTubeでも2019年の年収が1410万円と明かしており、コロナ禍で稼げなくなったとしても、ある程度のお金が残っているはずでは?
実はこのとき、横澤さんは2度目の倒産の際に膨れ上がった2億円の借金で首が回らなくなっていた。YouTubeでは多額の現金を賭けて勝った、負けたと賑やかに報告していた横澤さんだが、2021年1月、ネット上での告発と炎上を機に自身のチャンネルで多重債務を認めて謝罪。翌月には、相談している弁護士から自己破産を勧められる動画も公開した。
このとき、同席していた相棒のひろきさんは「ここで自己破産して精算して、でもちゃんとお世話になった人には償って、そのうえでみんなに応援してもらってるんだから、俺たちの使命であるポーカーを広めるってことはやっていこうよ」と声をかけた。これに納得した横澤さんは、身辺をキレイにして、心も入れ替えて「世界のヨコサワ」の活動を続けることを決意した。
ユーチューブを始めて変わった意識
この話には、後日談がある。弁護士、税務署、裁判所などとの約半年間にわたる協議を経て、自己破産が成立。過去数年の収入の調査を受けた結果、告発の際に話題になった詐欺には関わっていないこと、違法な収入を得ていないことが認められて、免責された。
自己破産手続きをしている最中の海外渡航は禁止されているのだが、ポーカーをしないと生計を立てられないと裁判所に申し立てをしたところ、海外渡航も解禁された。図らずも、「プロポーカープレーヤー」が職業として認められたことになる。
ところで、チャンネル登録者数75万人を超えるユーチューバーとしての収益は?
「それだけで食っていけるほど稼げません。広告案件を受けていないのと、アップする動画が少なすぎるから。恐らく、ほかに同じぐらいチャンネル登録者がいるユーチューバーのなかでも最低レベルだと思います。収入の割合でいうと3割以下で、稼ぎはポーカーのほうが明らかにでかいですね」
横澤さんにとって、YouTubeは「ポーカーの楽しさを広めるためのもの」。あくまで本業は、プロポーカープレーヤーだ。ただ、YouTubeチャンネルがあることで、仕事への意識が変わった。
「YouTubeを始めてから、高いレートで打つ必要性に駆られました。視聴者のことを考えたら、そっちのほうがおもしろいから。もちろん、僕が強いほうが視聴者もより盛り上がるので、勝つためにすごく勉強をしました」
よく、アスリートの世界ではレベルの高い環境に身を置いたほうが成長すると聞く。それはギャンブラーの世界でも共通しているようだ。
世界のトップを目指す理由
2022年の後半から今年2月にかけての半年間は、毎月平均5万ドルを手にした。冒頭に記したようにひと月の最高収益は約1800万円と、かつてないペースで勝ち続けている。
「前よりも今のほうが絶対に強いし、もっと強くなれます」と自信を見せる横澤さんは今、ポーカー界の頂点を見据えている。
「昔は世界のトップクラスと戦うことなんて考えてなかったんですけど、今は視聴者から世界のトップクラスと戦って勝つことが求められているので、そこに向かって進んでいます。まだ勝てなそうな強いプレーヤーも何人かいますが、日本にポーカーを広めるために、世界のトップになりたいっていう気持ちはありますね」
「ポーカーに導かれてんのかな」と感じた20歳のとき。その直感はきっと、間違っていなかった。近い将来、「世界のヨコサワ」チャンネルは名前を変えているかもしれない。「世界一のヨコサワ」に。
取材・文・撮影=川内イオ
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