大手広告代理店コピーライターから漫画家へ。30代で専業漫画家になったうえはらけいたさんが語る「軸を得る」まで

東京ウォーカー(全国版)

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以前は、漫画家になるといえば漫画雑誌を発行している出版社に作品を持ち込んだり、賞に応募したりするのが通例。もちろん現在でもこれらの方法は漫画家になるための王道手段ではあるが、SNSが発達した現在は別の形で漫画家としての活動の場を増やしているケースが多い。広告代理店に就職した青年がコピーライターとして成長していく姿を描いた「ゾワワの神様」を連載中のうえはらけいたさんもそのひとりだ。

うえはらさんは広告代理店大手の博報堂でコピーライターとして勤めたあと、退職して美術大学に編入。漫画を本格的に描き始めたのは美大卒業後で、その後WebメディアやSNSを通じて作品を発表し、漫画家として独立したのは31歳のこと。特異な経歴を持ち、新時代の漫画家として活躍するうえはらさんに、なぜ漫画家という道を選んだのか話を聞いた。

ゾワワの神様 第1話「ぼく」02 【画像提供=うえはらけいた】

ゾワワの神様 第1話「ぼく」03 【画像提供=うえはらけいた】


「自分は絵を描く仕事をすべきだ」と思いつつ、流されてしまった過去

――大学卒業して、新卒で博報堂に入社されましたね。博報堂退職後、多摩美術大学に編入されていますが、高校生のころに美大に行こうとは考えていなかったのでしょうか?
【うえはらけいた】子どものころから絵を描くのは好きだったんですが、高校では描かなくしまっていて。担任の先生に美大に行きたいという話は相談したのですが、それがすごく遅くて3年生の秋とかだったんですね。それまで何をしていたんだって自分でも思うんですが、当然担任の先生からも「いまさら無理でしょ」と言われてしまいました。浪人をするという選択肢もあったんでしょうが、これまで何もしてこなかったという負い目もあって「さすがに無理か」とあっさり諦めてしまいました。

ゾワワの神様 第1話「ぼく」04 【画像提供=うえはらけいた】

ゾワワの神様 第1話「ぼく」05 【画像提供=うえはらけいた】

――それで文系の大学に進学されましたね。博報堂を志望されたのはどうしてでしょうか?
【うえはらけいた】美大進学を諦めた未練はずっと持っていて、それでメーカーではないモノ作りに憧れがありました。なので、就活のときに広告会社だったらコピーライター、テレビ会社だったら番組制作というように、文系的にモノ作りに関われる会社を受けていました。でも、微妙に“大手病”でもあったので商社やコンサルタント会社にも就活はしましたね……自分でもびっくりするくらい軸がない(笑)。テレビっ子ではあったので一番行きたかったのは広告かテレビ関係。そのなかで、運良く内定をもらえたのが博報堂だけで、これまた運良くコピーライターとして配属してもらえました。

――「ゾワワの神様」の主人公は広告代理店でコピーライターとして働く青年が主人公です。うえはらさんご自身がモデルになっているんでしょうか?
【うえはらけいた】脚色している部分もありますが、半分は自分の経験が盛り込まれています。

――「ゾワワの神様」では、毎話個性的な先輩とエピソードが出てきましたが、働いていた約5年は濃いものでしたか?
【うえはらけいた】それは間違いないです。会社を辞めてから人生の密度が薄くなって困っているんですけど(笑)、やっぱり特殊な人が多いのかもしれません。広告業界全体がそうなのかもしれませんが、みんな絶対ひとつは趣味なり特技なりがあって、漫画の中みたいな会社だなって思っていました。キャラが立っていて。先輩だけではなく、同期もすごい人が多かったですね。対して、僕は仕事で実績も出せていなかったですし、常に引け目を感じていました。

――約5年働いたのち退職して、美大に編入されました。コピーライターとして働いているうちに、デザイナーに興味が出てきたということでしょうか?
【うえはらけいた】表向きはそうです。

――というと実際は?
【うえはらさん】どこかで自分は絵を描く仕事をするべきだって思っていたんです。もうずっと小学校くらいから思っていました。そのころはよく絵を描いていて、中学も美術部でした。でも、自分でもなんでかわからないんですが、ちょっとしたボタンのかけ違いで高校くらいからぱたっと絵を描くのを辞めてしまいました。それでも、どこかでまた絵を描くんだろうという気持ちがあったんです。なのに、自分で決断せず、周りに流されていった結果、絵を描かない職に就いて、ふと「このまま決断しなかったらこのまま一生絵を描かずに人生が終わるんだ」って思ったんですね。なので、美大に行ったあとに絶対にデザイナーになろうと決めていたわけではなかったんですが、自分をリセットする意味でも美大に通うというのが、自分のなかで大事なプロセスでした。でも、これを会社の上司や同僚に言うのはちょっと気まずいですよね…上司からしたら「育ててやったのに、いまさらリセットしたいってなんだ」ってなってしまいます。角を立てないという意味でも「広告をやっていてデザイナーに興味が出てきたので、デザインの勉強をします」と言って退職をしました。これも嘘ではないんです。高校のころは美大やアート業界の事情はわからなくって、担任の先生の一言で辞めてしまいましたが、就職して周りにいるデザイナーたちから、美大にはどうやって入るのか、学内でどういったことを勉強するのかというのを具体的に知ることができました。

――周囲からは反対されなかったんですか?
【うえはらけいた】ありました、それはもう。話した相手は「え」「なんで」という感じでしたし。まず会社のデザイナーたちに相談したんです。美大を出て広告代理店でデザイナーとして働いているというのは僕にとって理想の経歴でしたから。でも、彼らは「美大に行っても意味ないよ」って言うんですよね。今となると彼らがそう言った意味もわかるんですが、それでも僕は美大に行ってよかったなと思っています。あとは友人に話したときも「会社を辞めるのはもったいない。会社に行きながらどうにかならないの?」と言われたりもしました。ただ、僕は複数のことを並行しながらやっていくというのができないタイプ。会社に通いながら夜間とか土日の学校に通ってもどっちつかずになるだろうという思いがあって、決断しました。

――退職されてすぐに多摩美術大学に編入されていますよね。美大の受験は絵の技術を磨くのが大変なイメージがあるのですが、問題なかったのでしょうか?
【うえはらけいた】会社を辞めたのが9月で、入試が12月末くらいでした。なので、その間は美術予備校に週6日で通って、デッサンの練習をしていましたね。幸運だったのは、一般入試に比べて、編入試験は科目がゆるいんです。1年生から入ろうとすると、デッサンと絵の具を使った平面構成、それから一般科目ですが、編入の場合はデッサンと、作品審査で。作品審査は作ったものをなんでもいいから持って行って説明するんですが、会社時代にデザイナーの講座があって、そのときに作った作品を持って行きました。なので、デッサンに集中できたんです。

――美大ではどんな勉強をしていたんでしょうか?
【うえはらけいた】グラフィックデザイン科の3年生に編入したので、在籍したのは2年。3年生なので実践的な授業ばかりでした。広告のグラフィックを作る授業とか、パッケージデザインの授業、新聞広告やカメラの授業をとっていましたね。課題が出て、それをこなして、作ったものに対してフィードバックがもらえるような授業ばかりでした。

――課題は大変でしたか?
【うえはらけいた】そうですね。周囲はもう1、2年生で座学も終わらせて、基礎がしっかりしていていい絵をバンバン描いている人がたくさんいるなかで、たかだか3カ月しかデッサンしていなかった自分が入っていくのはきつかったですね。博報堂時代でアイデア出しや発想については鍛えられていたので、その部分では自分に強みがありました。例えば、とてもいい絵を描けるけど「なんでこの絵を描いたの?」って聞かれると「なんとなく」とか「好きだから」くらいしか答えられないというような人もたくさんいたんですが、僕は理屈で何を作るか決めてやっていたので、その点は分がありましたね。

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