「失敗は評価に値する」脱ハンコが進むもDX事業が好調、シヤチハタ社長の哲学

東京ウォーカー(全国版)

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見積書や稟議書、契約書など、大切な書類の意思表示として使われるハンコ。これほどハンコが使われる国は、日本のほかにないという。だがコロナ禍をきっかけに「脱ハンコ」の波が押し寄せた。同時に注目を集めたのが、シヤチハタ株式会社(名古屋市)が提供する電子印鑑だ。オンライン上で電子文書に押印できるクラウドサービス。電子印鑑の開発を始めたのは1994年のことという。ハンコの代名詞でもあるシヤチハタは、DX時代にどのように事業を展開するのか。同社代表取締役社長・舟橋正剛さんに話を聞いた。

シヤチハタ株式会社代表取締役社長の舟橋正剛さん【撮影=藤巻祐介】


創業者の技術とスピリットで生まれたロングセラー品

――シヤチハタ株式会社について、あらためて教えてください。
【舟橋正剛】1925年の創業当時に販売していたのはスタンプ台です。それまでハンコを押す際は、インキを垂らした布などにゴム印を付けてから押すというのが一般的でした。創業者は置き薬の仕事をしていて、薬の袋にハンコを押すときに、ベタついて非常に不便に感じていたようです。もっと便利にできないかと考えて誕生したのが、ふたを開けていても乾かず、押した印影はすぐ乾くというコンセプトの「万年スタンプ台」でした。

【舟橋正剛】1965年には、日本の高度経済成長を背景に、ハンコをスタンプ台に付ける動作も効率化しようと、スタンプ台がいらない浸透印を開発しました。それが企業や一般家庭でも使われるようになり、「ハンコ」イコール「シヤチハタ」というイメージがつき、ブランドとして確立されました。2025年には創業100周年を迎えます。

――創業の方のアイデアと開発力がすごいですね。
【舟橋正剛】現在は技術革新やデジタル分野での開発も進んでいますが、主力はまだまだアナログ商品。売り上げ全体の6割ほどを占めており、創業者たちの技術とスピリットがなければ成立しなかったことです。100年近く経っても「食べさせてもらっている」という意識はありますね。

歩調を合わせて、DXのハードルを下げる

――老舗文具メーカーであるシヤチハタが、主に電子印鑑、電子決裁という形でDX事業に参入したきっかけは?
【舟橋正剛】1995年に「Windows95」が発売される少し前、承認の場が紙の上からパソコンへと変わっていくであろうという危機感から、電子印鑑の開発を始めました。当時、アスキー・ネットワーク・テクノロジーさんに協力してもらいながら、コツコツと人を育てていき、基本的には内製化を目指してやってきました。OSやデバイスが変われば対応して、クラウドの需要が高まり、売り方もサブスクリプションになって……という感じで、お客さんの声を聞きながら、世の中の状況に合わせて少しずつ変化してきました。

舟橋社長は大学卒業後にアメリカへ留学してMBAを取得。帰国後、株式会社電通を経て1997年にシヤチハタ工業株式会社(現シヤチハタ株式会社)に入社した【撮影=藤巻祐介】


――ずいぶん早い段階で開発を始められたのですね。
【舟橋正剛】経営者として危機感を感じるタイミングは、少しだけ早いかもしれません。でも、少し早くて世の中にフィットせずにうまくいかなかった商品もたくさんあります。たとえば「QRコード」が出たときには、それを使ってコミュニケーションできるツールをいち早く出したのですが、全く反応がありませんでした。ダメだと思っていたら、結局あとでじわじわと浸透していきました。電子印鑑に関しては、1億〜1億5千万ぐらいの売り上げが20年以上続いて、コストもかかるので、ずっと赤字の状態でした。それでも捨てきれず「いつか必ず」という思いで進化をさせてきました。

――DX事業への参入は大変だったのでは?
参入当時、私はまだシヤチハタに入社していませんでしたが、ITとは程遠いところにいる会社なので、大変だったとは思いますね。ただ、承認の場が変わるという危機感が大きく、ここで行動を起こさなければ失うものが多いと感じ、一歩踏み出したのでしょう。

――DX事業の要である「Shachihata Cloud」について教えてください。
【舟橋正剛】日本のオフィスは、資料が非常に多いですよね。「Shachihata Cloud」は、主に報告書や稟議書などの社内申請や承認手続きをデジタル化することで、業務を円滑にするというのがコンセプトです。デジタル化するにあたって、仕事のプロセスが複雑になっては意味がありません。押印していたのが、パソコンのクリックに変わっただけ。我々は「BPS」と呼んでいて、「ビジネスプロセスそのまんま」であることがサービスの特徴のひとつです。

【舟橋正剛】ITの専門家からは「だから日本はデジタル化が進まない」と言われることもあります。でも、プロセスが複雑になると、多くのお客様は後ずさりをすると思います。また、現在は1印影あたり月110円(税込)から利用でき、社員数が多い企業でも、それほど負担に感じない価格設定かと考えています。DXのハードルが低いということは一番大切だと思っています。

――各業界の大手企業でも導入が進んでいますね。
【舟橋正剛】たしかに大手企業に使っていただき、それが継続されるのはたいへんうれしく感じています。しかし、日本の9割以上は中小零細企業です。IT企業が、社員数10人、20人の企業に手を差し伸べながら、歩調を合わせてサービスを提供するのは難しいと思います。中小零細企業では、シヤチハタのアナログ商品をいまでも使っていただいているというベースがあり、そういった企業が、DXが必要だとお感じになるのであれば、我々が一緒にやるべきだと考えています。我々はIT企業と戦っても勝てないので、違う土俵で戦わないといけないのです。

「Shachihata Cloud」は導入数95万件、利用数月間430万回を突破。継続率は97%【撮影=藤巻祐介】


【舟橋正剛】実際に「Shachihata Cloud」を使っていただいたお客様から、勤怠管理や名刺管理、チャット、スケジューラーなどがあればいいといった声をいただきました。今ではそれぞれのアプリケーションも安価にそろえており、お客様ごとに異なるサービスを提供しています。おかげさまで継続率は97%です。

【舟橋正剛】非常に皮肉なことに、コロナ禍で電子印鑑が伸びました。しかし、無料トライアル期間であっても登録だけされて、使わなかったお客様もいらっしゃいました。DXの推進が重要視されていますが、「本当にDXの必要があるのかわからない」「何から始めていいのか、さっぱりわからない」という会社は非常に多いようです。そこで、最近は士業の方と組んで、IT導入補助金の申請からお手伝いをさせていただく場合もあります。

【舟橋正剛】コロナ禍で「脱ハンコ」は広がりましたが、この市場はまだまだ黎明期で、今後どうなっていくのか見えないところを、進んでいるという感覚がありますね。

――先ほど「内製化」というお話がありましたが、DX事業関連の開発体制について教えてください。
【舟橋正剛】コロナ禍をきっかけに、DX事業の規模は約10倍になりつつあります。できるだけ内製化を目指していますが、社内で完結が難しい場合もあります。そこで、外部の方にお願いをしたり、たまたま別の仕事でジョイントした会社の方に、ある分野の主力となって進めてもらったりしています。外部とはいっても、同じグループという感覚で、協力をしながら開発を進めています。

大学卒業後はアメリカで英語漬けの生活

――ここからは舟橋社長のキャリアについて教えてください。
【舟橋正剛】ファミリー企業ですので、いつかは「シヤチハタに来い」と言われるのだと思っていましたが、本当に何も言われないで育ったんです。大学卒業後は、英語が日本語と同じぐらい喋れるようになりたいと思い、アメリカの大学院に進学しました。ニュージャージーとロサンゼルスにはシヤチハタの事業所がありますが、日本人が多い。そこで、英語で話さざるを得ないような場所を選びました。見事に日本人がひとりもいなくて、最初の1年はすごく苦労しましたね。でも、現地にたくさん友達ができて、結局、日本へ一度も帰ることなく、アメリカで4年間生活しました。

――英語はその期間で上達されたのですか?
【舟橋正剛】最初は何もわからなくて、授業が終わると、先生のところに行って「今日も全然わからなかったから、課題を教えてくれ」みたいなことの連続でした。今でもよく覚えているのが、アメリカへ行ってから1年ほど経ったある日のことです。朝、ルームメイトが喋っているひと言ひと言が頭に入ってきました。「なぜか今日は耳がいいぞ」という日があった。そこからいろいろと理解ができて、おもしろくなっていきましたね。

4年間一度も帰国しなかった舟橋社長。「日本に帰るお金があるならと、安い車を買ってあちこち行っていました」と振り返る【撮影=藤巻祐介】

――大学院を卒業されたあとは?
【舟橋正剛】卒業したときも、シヤチハタに来いという話はありませんでした。そのまま東京に戻り、何社か受けたなかで、電通さんへ入社しました。セールスプロモーション局というところで、当時は東芝さんのテレビとビデオを担当していて、国内外の販促や広告戦略を3年ほど行っていました。その後、1998年の長野オリンピックの開会式と閉会式を担当する部署に転部して1年を過ごします。あと数カ月で現場というときに、当時の社長だった父から連絡がありました。ちょうどアスクルさんがサービスを始めたころで、文具業界の流通が大きく変わりつつあるときで、「将来、シヤチハタに入ると考えているんだったら、今のタイミングでそれを体感しない手はないよ」と。父はそういうことをあまり言わない人だったので、よっぽどのことだと感じて、すぐに辞めて名古屋に帰りました。

――シヤチハタに入社後は、どのような仕事をしていましたか?
【舟橋正剛】経営企画やマーケティング、開発など、ひと通り経験しました。31歳で入社して、早く社長を変われと言われていたのですが、住む場所も仕事も変わって、入社後1年ぐらいで結婚もして、いろいろなことが重なったので、社長どころではないと断っていました。41歳のときに「なんとかできるのでは」という感じになり、社長に就任しました。

怒るよりも「ありがたい」と思うほうが幸せ

――舟橋社長が仕事において大切にしていることを教えてください。
【舟橋正剛】「些細なことでも感謝ができる気持ちが、いつもあるべき」「人の話を本当に素直な心で聞ける」「どういう状態であっても必ず謙虚でいる」。この3つがしっかりできていれば、人とのコミュニケーションも仕事も、ほぼうまくいくのではないかと思っています。つくづく思うのは、短い人生なので、ちょっとしたことで怒ったり、不満を言ったりするよりも、ありがたいと思っていたほうが、明らかに幸せだということです。仕事もプライベートもあまり隔たりがないので、子どもたちにもよく同じようなことを話しています。

「仕事もプライベートもスイッチを変えてない」と話す舟橋社長【撮影=藤巻祐介】


――いずれはご子息に継いでほしいとお考えですか?
【舟橋正剛】彼は僕と一緒に働きたいと、小学生のころからずっと言っていて、それは今も変わらないですね。会社と社員のためにも、本人の意思と資質は必要ですが、うまくいけば継いでもらいたいという気持ちはあります。

――どうすれば一緒に働きたいと思われるのか、きっと世の父親全員が気になるのでは。
【舟橋正剛】妻からは「あなたはずるいわね」と言われるのですが、たとえば妻が子どもたちに怒ったり、喧嘩をしたりしているとき、子どもたちは興奮している状態なので、聞く耳を持てませんよね。一旦落ち着いてから話す、というスタンスでいます。また、息子も娘も友達みたいな感覚で接していますね。息子は東京の大学に通っていて、私が東京に行ったときはよく飲みに行きますし、息子の大学の友達が一緒のときもあります。

――リーダーとして大切にしていることはありますか?
【舟橋正剛】まずは話を聞くというのが第一です。全部がトップダウンになってしまうのはダメですが、仕事に誇りが持てるように、近い将来の具体的な指針を与えられるかどうかは意識しています。特に、当社は「この先、この会社は本当に大丈夫なのか」といった不安もあるでしょう。自分たちがやってきたアナログのBtoBのビジネスは今後、今の半分になると思っています。しかしながら、半分になってもやっていけるような事業の柱を3本も4本も立てていこうと考えています。

――創業以来守り続けてきた変わらないものや考え方がありましたら教えてください。
【舟橋正剛】危機感を持って変革を続けなければ、そこで成長は止まります。だから「失敗は評価に値する」ということを言い続けています。同じような失敗やケアレスミスではなく、何かにチャレンジして、失敗して、次に生かせることがあるのなら、それは失敗ではありません。それを体現してくれる社員がどれだけいるのかと問われると、なかなか難しいのが現状ですが、社員は皆がんばっていると感じています。

――国民性として「失敗したくない」という意識は大きいですよね。
【舟橋正剛】ただ、最近感じているのは、20代から30代前半ぐらいまでの人たちの前向きな志は非常に強いということです。上司を見て、保守的なままでは何も変われない、現場は何も改善されないと思うと、辞めてしまう人が多いのは、ほかの会社も同じではないでしょうか。

【舟橋正剛】今の若い世代は、自分の理想と違っていたら、2、3回は方向修正するのは当たり前。僕らの世代とは全く違います。違いを理解したうえで、彼らの意見を汲み上げていかないと、若手を抜擢したり、モチベーションアップをさせたりするのは、非常に難しいですね。

アナログもデジタルも「できることは、まだまだたくさんある」

――次に御社のビジョンを教えてください。
【舟橋正剛】「社会が望む『便利』『楽しさ』『安心・安全』を世界へ」を企業理念として掲げています。当面はデジタルでもアナログでも、何らかの「しるし」で、その価値をお届けしていくことを事業の核としています。最近は工業用途や産業用途も多く、たとえば、作業が終わったばかりの、油でベタベタしたところにしるしを付けたいが、普通のインキでは転着しないし、大手インキメーカーではロットが小さくて相手にしてもらえないから何とかしてくれ、と相談いただくことは多いですね。アナログでもデジタルでも、できることは、まだまだたくさんあります。

「ユーザーの想いに応える『しるしの価値』を提供し、新たな市場を創る」をビジョンに掲げる同社。アナログでもデジタルでも“しるしの価値”を提供し続けることを目指している【撮影=藤巻祐介】


――手応えはいかがですか?
【舟橋正剛】先ほど申し上げたように、BtoBが減少していくのは間違いありません。BtoBは新商品や新たなサービスなどを、引き続きご提案しつつ、最近は個人用途や、ビジネスのなかでもホビーユースの要素がある商品などが増えています。現在発売しているのは、親御さんが子どものために、記念として使うようなもの、便利に使えるものの市場も大きいと感じています。

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【舟橋正剛】デジタルサービスに関しては、今後、事業規模を何百億円まで拡大させようといった目標は掲げていません。今は10億円ぐらいまで増えましたが、30億、50億ぐらいのビジネスがずっと続くように、継続してサービスを提供したいと考えています。

――最後に、舟橋社長の今後の野望を教えてください。
【舟橋正剛】我々メーカーというのは、ひと昔前までは、ユーザーのみなさんが具体的にどうやって使っているのか、どう感じているのかを知りませんでした。メーカーとしてこのレベルの品質、機能があれば受け入れられるという、メーカーのエゴ的な感覚で商品を出してきた部分もありました。

【舟橋正剛】でも今はSNSやオフィシャルサイト、EC、クラウドファンディングなど、世の中の反応を見ることができるツールがたくさんあります。ユーザーの需要を感じられるようになったので、BtoBでもBtoCでもダイレクトにコミュニケーションをとり、打率が高いサービスを出していきたいと思っています。

この記事のひときわ #やくにたつ
・強みを活かせる「土俵」で戦う
・柱となる事業が複数あれば、世の中の状況が変わっても対応できる
・「感謝する気持ち」「素直な心」「謙虚さ」を持ち続ける
・次につながる失敗はどんどんする

取材=浅野祐介、撮影=藤巻祐介

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