誕生のきっかけは“フランス帰りのお客さん”!神戸銘菓「ゴーフル」ヒットの理由と95年の歴史に迫る

東京ウォーカー(全国版)

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香ばしい薄い生地に、舌触りのいいクリームをサンドした神戸銘菓「ゴーフル」。小さな頃から親しんできたという方も多いのではないだろうか。筆者もその1人で、盆や正月には必ずと言っていいほど親戚からゴーフルが贈られ、子供の頃から大好きだった。兄弟でストロベリー味の争奪戦をした思い出もある特別なおやつで、今もあの缶を見るだけで懐かしい気持ちになる。そんなゴーフルが、なんと今年で95周年だという。

記念すべきアニバーサリーイヤーを迎えたということで、今回はゴーフルを製造販売する神戸風月堂 広報担当の松本さんに取材を実施。改めて知りたい商品誕生のきっかけやその歴史と共に、ロングセラーを誇るゴーフルの人気の秘密に迫った。

世代を超えて親しまれ続ける「ゴーフル」


喫茶店のサンドイッチ式アイスクリームが話題に

1897(明治30)年に創業した神戸風月堂。東京で洋菓子作りの修行を積んだ吉川市三氏が開業し、当時はシュークリームやカステラ、マロングラッセ、栗饅頭、最中など、和洋菓子を幅広く取り扱っていたという。

初期の「神戸風月堂本店」(昭和5年頃)

現在の店舗。レンガ調の外観が印象的


1918(大正7)年には、神戸の地サイダーや、ウエハースでアイスを挟む「サンドイッチ式アイスクリーム」を取り扱い、夏季限定で喫茶店をスタートさせた。当時、本格的な喫茶店は珍しい存在だったという。「日本の実業家であり、川崎造船所(現在の川崎重工業)の社長だった松方幸次郎さんが馬車で訪れ、アイスクリームを楽しんだという逸話も残っています」と松本さん。神戸のハイカラな人々の間で話題になったのが想像できそうだ。

当時話題となった「サンドイッチ式アイスクリーム」


フランス土産がきっかけに!しかし発売当初は苦戦?

1926(大正15)年頃、フランス帰りのお客さんにより持ち込まれたお菓子によって転機が訪れる。そのお菓子を「日本でも作ってみては?」と勧められたことから、職人が日本人の嗜好に合うようにと試作研究を繰り返し、誕生したのが「ゴーフル」だった。

1955(昭和30)年頃の商品のしおり


湿度の高い日本でも軽やかに食べられるようにと、生地はサクッと薄く焼き上げられた。神戸の昔ながらの手土産「大瓦せんべい」と同じく、2枚の鉄板で生地を挟み、裏と表を返しながら火に当て焼き上げる「挟み焼き製法」で、当時は1枚ずつ手焼きしていたというから驚きだ。ちなみに、この挟み焼きは全自動化された今も変わらず受け継がれている。

約1年の開発期間を経て1927(昭和2)年に正式に商品を発売するも、当時は職人による手作業だったため、1日約800枚という少量しか生産できなかったそう。さらに、これまでにない新しいお菓子であったため、神戸の街に浸透するのに時間がかかったという。

戦後の復興を支えた、ゴーフルの焼き機。熱源は炭火から電気に


戦争を乗り越え、看板商品としての道へ

ゴーフルは当時のお菓子としては高価であったことから、贈答品として少しずつ親しまれるようになった。しかしその頃、第二次世界大戦が始まる。

戦後の神戸元町商店街の様子。ここから復興を遂げた


統制経済により材料調達がままならず、全商品製造停止という厳しい状況に陥った神戸風月堂。1945(昭和20)年に終戦を迎えると、翌年には店を建て直し、再びお菓子作りを始めた。2代目・吉川進氏は再興のため、代表商品を1つに絞り、それを全力で売り出すことに。

「2代目が入店してすぐの頃、当時新製品だったゴーフルの口当たりと香りの良さに衝撃を受けたそうです。その時胸に刻まれた『これは従来のお菓子とは一線を画し、必ずお客様から深く愛される新しいお菓子となる!』という思いは戦後も変わらず、ゴーフルが選ばれました」

そうしてゴーフルは、戦後に神戸風月堂の看板商品として再出発を遂げた。

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