激変する音楽業界でユニバーサル ミュージックが目指す未来。“人を愛し、音楽を愛し、感動を届ける”信念の意味とは

東京ウォーカー(全国版)

世界60以上の国と地域で展開する世界最大の音楽会社、ユニバーサル ミュージック グループ。その日本法人の社長として、2014年に46歳という若さで抜擢された藤倉尚さん。EMIとの大規模な合併を終えたばかりの会社を統率しながら、コロナ禍やストリーミングサービスなど音楽業界の変革期に立ち向かい、近年ではBTSを筆頭に藤井 風やAdoなど若手の海外進出をアーティストと並走する形でサポート。社長になってから改革した契約社員の正社員化や、アーティストのデビューの仕方など、次々と新たな息吹を吹き込み就任以来9年連続で業績を回復させた手腕は、業界の内外からも注目されている。

そんな、アーティストとともに現場で活躍してきた経験を活かしながら、音楽シーンの未来を切り開いてきた、気鋭の経営者のリーダー像に迫る。

ユニバーサル ミュージック合同会社 社長 兼 最高経営責任者 藤倉尚さん【撮影=樋口涼】


社長交代で訪れた、ユニバーサル ミュージックの転機。46歳で社長に就いた藤倉尚の改革への挑戦

ーー2014年に、46歳のタイミングで社長に抜擢されましたが、就任当初はどういう心境でしたか?
【藤倉尚】来日していた当時のグローバルNo.2の人物から「来年から社長できる?準備できてる?」って、言われたんです。普通、次期社長に抜擢される人はCOOなどの肩書きがあるんですよね。だけど、私の場合はそういう役職ではなく、邦楽担当でアーティストと一緒にヒットを出す係のトップでしたから、当然、準備なんてできているわけないじゃないですか(苦笑)。すると彼から、「準備できてないんだったら別の人がトップになるかもしれないけど、それでも大丈夫かな?もうちょっと日本にいるから、しばらく考えて」と言われたんです。

【藤倉尚】歴代のユニバーサル ミュージックの社長は、英語がとても流暢で洋楽のトップをやっていた人が就任していたので、私にそのポストが巡ってきたということは、邦楽を強くしてほしいというメッセージなのかなと自分で解釈しました。それで、もし知らない人が来て社長に就くくらいならば、自分がやろうと2日、3日で気持ちの整理をしました。

ーー予兆的なものも全く感じなかったんですか?
【藤倉尚】そのころ会社の業績があまりよくなかったので、もしかしたら何かしらの変化はあるかもしれないとは感じていましたが、まさか社長交代とか、まさか私がそこに指名されるとは本当に想像もしていなかったですね。それに、英語が流暢じゃなかったので、選択肢としても最初から外れていると思っていました。

【写真】46歳だった邦楽担当の自分が社長に指名されるとは、寝耳に水だったと語る藤倉さん【撮影=樋口涼】


ーー当時を振り返ってみて、決断の後押しになったことはありました?
【藤倉尚】先々代の石坂(敬一)社長が以前におっしゃっていた、「役員になるには実力が必要かもしれないけど、社長になるには運もないといけない。優秀だからなれるもんじゃない」という言葉を思い出したことが後押しになりました。会社の業績が悪いことはわかっていましたし、いろいろ新しいことを求められるんだろうと予測できたので、引き受けるからには自分目線で見えていたことを、どんどんやっていこうと決心しました。

【藤倉尚】でも、当時は40代の社長が少なかったんですよ。みなさん60代でしたから。そんな感じだったので、「駄目だったら40代でクビじゃん」と友人たちから言われましたね。「おめでとう」っていう言葉じゃなくて(笑)。

ーー合併後に社長就任。かなり大変な時期での社長就任ですよね。
【藤倉尚】2012年の10月にユニバーサル ミュージックとEMIの株式が一緒になり、2013年にこの大きな二つの会社が合併したんですね。私が社長に就任したのは、合併からまだ2年も経っていない時期で、それぞれの組織で自社のやり方が正しいと言っていたんです。私は、完全に一致させるのは難しいと考えました。銀行の合併とか会社合併に関する本を何冊も読みましたが、たいてい「100年経っても無理」と書いてありましたから。

ーー一方で、文化を完全に一致させないことのメリットもありますよね。
【藤倉尚】そうなんです。「EMIのやり方が正しいんだ」「ユニバーサルのやり方が正しいんだ」と、決済システム、メールのやり方、アーティストのサインの仕方、会議の仕方とか、すべてそれぞれの方法でやっていましたが、でも、きっとユニバーサルでもEMIでもない、正しい答えがあるはずなんですよ。それに、私たちの信じた音楽、アーティストの作品をもっと聴いてもらうこと、それが最終的な目的地であり着地点なので、どっちがダメという話ではないんです。

ーー目指している部分は一緒ですものね。
【藤倉尚】ストリーミングの時代を迎え、次への方法を一緒に考えていくうちに、EMIだのユニバーサルだのっていう軋轢はなくなった、そう感じています。

ーー2018年には契約社員の正社員化を実現されましたが、これはどういった意図のもと行った改革になりますか?
【藤倉尚】アーティストと社員は「互いに何を幸せと思うかな?」という考えがきっかけとしてありました。CD全盛時代は、アーティストに付いている担当者は契約社員制度だったので、ヒットすればたくさん報酬が貰えるし、3年経ってダメだったら契約満了となるような場合も多かったんです。ところがストリーミングという選択肢が増えるとヒットするタイミングが1年ということもあれば3年ということもある。そうなると、アーティストにはそのアーティストのことをより理解してくれる優秀な人が継続的に付いたほうがいいのではないかと考えたんです。

アーティストのことを理解している人がずっと寄り添うことが大切と考え、契約社員の正社員化を実行した【撮影=樋口涼】


【藤倉尚】契約社員から正社員への制度変更について、アーティスト側の反応としては、喜んでくれた人と、「以前の制度でいいんじゃない?」っていう人の両方がいました。後者は、アーティストはユニバーサル ミュージックと個々に契約して、プロアスリートのように常に結果が求められる状況でハラハラ奮闘している視点からですね。社員側からは、スーパーヒットを生み出したA&R(※)に報酬を出す際に「たくさんボーナスをもらうより、10年契約に変えてもらえませんか?」という声もありましたが、60歳まで保証されたなかで全力でやりたいという優秀な社員がいることを肌で感じました。当時、社員が他社に引き抜かれることも起き始めていて、そういう点も含めて、本社の株主と会話し、日本の会社の考え方や日本の労働法みたいな世界も鑑みて改革に踏み切ったんです。
※A&R=アーティスト・アンド・レパートリーの略称。所属アーティストの育成や楽曲提供、宣伝戦略の管理をしたり、新人アーティストの発掘を請け負う仕事

ーー確かに、アメリカとは考え方が大きく違いますね。
【藤倉尚】そうなんです。レイオフされたら24時間以内にPCがシャットダウンして「ご退出ください」っていう文化の国と、日本とはやっぱり違いますから。ただ、2018年から2023年まで上昇カーブを描いた業績を見る限り、緊張感と継続的な信頼とのバランスについては、ある程度うまくいっていると実感しています。

ーーアメリカ本社とのやり取りはかなり時間をかけられたのですか?
【藤倉尚】たっぷりかけました。2017年の頭ぐらいから話を始め、1年はみっちり会話しました。株主は「安定的に右肩上がりで成長してほしい」と願っているはずですし、それを実現できる形として出した答えが、日本では契約社員の正社員化だったんです。

【藤倉尚】実は2017年までは、全社員のうち66%が1年契約の契約社員で、60歳までの雇用契約は34%でした。ここを一気に変えたわけです。もちろん、成果を出せない場合の降格や減俸といったルールは作りました。頑張ってもらわなければいけないですし、もし、制度としてうまくいっていなければ責任を取るのは私ですが、社員のみなさんにもそのときの気持ちを忘れないでもらえたらと思います。そして、この先10年、20年と、このシステムが浸透していったときにどうなるか、そこもいずれ考えていかなければと思います。

進退を背負って改革を断行した藤倉さん。頭の中では将来の制度についても描き始めている【撮影=樋口涼】


ーー権利と義務、自由と責任という話ですね。
【藤倉尚】そう!いいこと言いますね。権利と義務という話を、以前、私も社員にしました。「やった!社長ありがとうございます!」じゃなくて、会社を成長させていくという大きなミッションを、私とともに社員のみなさんも背負っています。そこは以前とは大きく変わりました。

ーー数字を拝見すると、藤倉さんが社長に就任されてから9年連続で売り上げが伸び、過去最高売り上げも更新されました。秘訣はきっと教えてもらえなそうですが(笑)、どういう点がうまく作用したとご自身では分析されていますか?
【藤倉尚】秘訣があればそれをずっとやっていればいいので楽なんですが、秘訣はないんですよね(苦笑)。でも、これは結果論かもしれませんが、いいアーティストといい楽曲に恵まれたからだと思っています。そもそも、ストリーミングビジネスが始まったことによって、当初はCDが売れなくなると推測されていました。ただ、いくぶんかは食い合った部分はあるかもしれないですが、CDビジネスも持続できていて、ストリーミングも伸びている。これが大きかったし、BTSの『Dynamite』や『Butter』など、世界でヒットが出てきたことも重なってきましたから。A&Rをはじめ、社員全員が一丸となって出した結果です。いい新人と契約できたり、契約アーティストたちといい作品を制作できたり、移籍してきたアーティストにヒットが生まれたりということが、毎年くり返し起きていたことが大きかったと思います。

【藤倉尚】もちろん油断はしていません。この流れを止めちゃいけないと思うし、継続し続けないと。いい作品をアーティストと一緒に生み出し続け、いいアーティストを探し続けること、これがすべてです。もちろん、ものすごいスーパースターになって安定的にヒットを出し続ける人たちもいますが、10年前のトップアーティストと、今の時代のトップアーティストはやっぱり違います。業績がよかったりヒットに恵まれたりするとどうしても、基本を怠ってしまったり、今の環境に満足してしまうので、初心を忘れず、基本をしっかりとやり続けることが大切だと考えています。

アーティストと対等な関係性を築く新時代のアーティスト育成戦略

ーー社長就任前は、アーティストも担当されていたそうですが、藤倉さんが個人的に大切にしていたことがあれば教えてください。
【藤倉尚】私が、現場のヘッドをやっていたころは“妄想3原則”という目標があって、「東京ドーム」「紅白歌合戦」「100万枚」を、そのアーティストが達成しているところを妄想できることを判断基準にしていました。たとえば、back numberは当初、横浜のライブハウスで20人くらいのお客さん規模でしたが、仲間と「いけるよな?いけるよね?」って、東京ドーム公演を成功させる姿が妄想できたんですよね。GReeeeNもメンバーが歯科医で、顔出しではライブはできないし紅白にも出場できないんですが、担当者がデモテープを聴いたときに「これ世の中の多くの人が聴きたいよな?」って思えたんです。

担当した本人が、アーティストに対して興奮できるか、成功した姿が妄想できるが重要と語る藤倉さん【撮影=樋口涼】


【藤倉尚】以前は、業界的な慣習として、影響力のある方とのコネクションや推しで、アーティストをデビューさせることもありました。もちろんオーディションもありましたが、私は「アーティストの人生を引き受けるにあたってすごく失礼な話だな」と感じていたんです。どこか自分ごとになれないところがあったんですよね。なかには立派な大学を出て、アーティスト以外で職業に就けるかもしれないのに、あえてその中でアーティストを選択するという人もいます。そんな決意に対して、慣例的な対応で「本当にいいのだろうか?」と思っていました。アーティストとサインをするということは、私たちが「このアーティストは絶対に世の中を喜ばすことができる」という確信を持てるからなんです。そんな想いがあったので、影響力のある人からの「売れそうだからやってくれ」という慣習はもうやめようと決めました。

ーーなるほど、まずは自分がアーティストの持っているもの、才能を信じきることが大切なわけですね。
【藤倉尚】藤井 風やAdo、imaseに、最初に出会ったうちの現場の担当者たちも「わっ!」と興奮したと思うんですよ。でもそのときは、彼ら、アーティストは、普段は普通の高校生だったり一般の人であって、まだスターではないわけです。そのときに「わっ!」っていう感情が湧いて、ワクワクできないとサインしちゃダメなんです。誰かに頼まれたからといった理由ではいけないんだと考えました。

ーー担当者がまず共感できない限り、推していくことはできませんよね。
【藤倉尚】そうなんですよ。ヒットを出せなかったら、会社や他人のせいにできますからね。「私はいいとは言っていませんが、『やれ』と言われたから全力でやりました」という逃げ道ができてしまいますから。アーティストとサインする意味があらためて浸透するようになってからは、ヒット曲が出る確率は上がっています。

ーー社長となった今も、アーティストへの視点は当時と変わらないですか?
【藤倉尚】ユニバーサル ミュージックは、1890年代にエミール・ベルリナーが、蓄音機の会社であるベルリーナ・グラモフォンを作ったことに起因する125年続く会社です。125年前から新しい才能を探して届けることを繰り返してきたので、それを愚直にやり続けています。だから、現場のころも社長になってからも、ほぼ何も変わっていないですね。音楽会社という強みと誇りを持っていますから。洋楽だったり、クラシックだったり、ジャズだったり、全世界のあらゆる音楽を私たちが発信しているという自負があります。この話は全社員にも伝えていて、みんなも納得してくれています。

蓄音機の会社であったベルリーナ・グラモフォンがルーツのユニバーサル ミュージック。125年以上経った現在も新しい才能を発掘するその姿勢は変わらない【撮影=樋口涼】


【藤倉尚】変わった点を挙げるとすれば、アーティストに選ばれる会社でいたいとより強く思っていることでしょうか。私が入社したころのレコード会社とアーティストとの関係は、「じゃあ契約してあげる」という感じの、ちょっと上から目線な印象でした。でも今はそうじゃなく、アーティストとミュージックカンパニーは全く対等なんです。ですからメジャーカンパニーとして全力で協力しています。たとえば、日本でデジタルヒットを出したとして「海外でもヒットが出したいです」とか「もっと聴いてほしいからタイアップをつけてほしい」といった相談もそうです。アーティストだけでできる部分もあれば、できない部分もある。もっとテレビやフェスに出演したり、すでに自分たちでやれているアーティストでも我々と一緒にやりたいと思ってくれたりしますし、私たちが一緒にやりたいと思っている人には「何を望んでいますか?」と会話をします。

【藤倉尚】それから、先ほどの“妄想3原則”は私が就任してから進化しています(笑)。私が社長になってから“超(越)える”というワードを追加しました。ストリーミングが始まり、コロナ禍の前後に、BTSなど優れたアーティストたちが飛びぬけて素晴らしい成果を出したときに、この“超える”というワードが生まれました。現在では、国境を越える、世代を超える、時代を越える、予想を超えるという4つの「超える」を新しいヒットの基準にしようと社員に伝えています。

ーー自分でも発信できる時代ですし、アーティストのデビューの仕方もかなり変わってきていますよね。変化として感じるところはありますか?
【藤倉尚】ひしひしと感じています。今は、ヒットの基準となるチャートが細分化されています。たとえばCDチャートやストリーミングチャートとか。それから、音楽の流行も世代別に分かれる傾向にあるんです。だから、10代から60代まで聴いてもらえるアーティストを育てるのはとても難しい。私は現場を担当していたころから、メジャーレーベルである以上アーティストをスターに育てて、どの世代の人にも聴いてもらい歌ってもらいたいと考えていました。そして社長になってからは「海外でヒットするアーティストを育てることは実現可能か?」「ユーミンやback numberのように世代を超えてヒットを出せるアーティストを育てることができるか?」という部分を目指しています。

コロナ禍の制約を超えた新たな転機と、“心の栄養”となった音楽の力

ーー音楽業界は、コロナ禍の影響をかなり大きく受けたと思います。ライブやコンサートの開催が困難な状態になりましたよね。そうした状況下で新しく取り組んだことはありましたか?
【藤倉尚】人と接触しちゃいけない、外に出ちゃいけないっていう状態でしたから、おっしゃるとおり、ライブはできないし、レコーディングスタジオのような密になるところには人が集まれないので、当然レコーディングもできないし、作品も出せない。さらにいえば、CDを製造する人も工場に行けない状況になっていたかもしれません。ただ、そういうなかでもアーティストにも、お客さんにも、世の中の人たちにも、音楽を届けることを止めないようにしようと思いました。そのために、アーティストがレコーディングスタジオに入らなくても制作できるようにしたんです。コンサートやライブができなくなったことで、アーティストには時間が生まれます。当然、落ち込むアーティストもいましたが、「自分に今、何ができるんだ?曲を作ろう!詞を書こう!」と、何か自分も世の中の力になりたいと思ってくれた人たちが多かったんです。その結果として、コロナの時期は当初の計画よりも作品のリリースが増えました。

大打撃を受けたコロナ禍において、音楽を届けることを諦めなかったことで、結果的に新しい音楽の楽しみ方が誕生した【撮影=樋口涼】


ーーなるほど、制作に充てる時間が取れたということですね。
【藤倉尚】後にオンラインでの取材対応が始まりましたが、一時はさまざまなメディアを通してプロモーションをするような時間もきれいサッパリなくなりましたから。彼らは、作品を作ることに向き合い、私たちも新しい才能とアーティストを探すことは止めませんでした。それまでは主にライブハウスに観に行ったり、オーディションをしていましたが、YouTubeやSNSの中で新しい才能を探すようになりました。コロナ前から行っていた部分はありますが、アーティストの探し方もコロナ禍でガラッと変わっていきました。

【藤倉尚】負の部分はたくさんありましたが、デジタルやオンラインの世界が一気に身近な存在になりましたよね。Zoomでミーティングをするようになり、ビリー・アイリッシュのように宅録でデジタルレコーディングをするようになりました。それから、オンラインライブを開催して、オンラインでの販売や宣伝手法も生み出せました。世の中が落ち着いてきて対面で会えるようになっても、ライブもオンラインも両方でできるようになったという面では進化できたのではないでしょうか。会場に足を運べなくても好きなアーティストのライブをオンラインで楽しめますし、アーティストはリアルで国境を越えることなく世界中のミュージシャンといろいろな方法でレコーディングができるようになりました。振り返ればチャンスも広がったと思います。

ーー見方を変えれば、コロナが世の中を強引に進化させた側面もありますよね。
【藤倉尚】競合他社もミュージックカンパニーとして、音楽を届けることを止めないようにと取り組んでいたと思いますが、私たちは、作ることも、探すことも、届けることも、強く推し進めました。その結果、国内アーティストの楽曲を急速に海外に届けられるようになったと思います。世界中の人が家に閉じこもっていたので、コロナで一気にその需要が高まったと感じています。BTSもそのど真ん中にいましたし。

【藤倉尚】当時、「音楽が不要不急だ」と言われました。「衣食住に比べたら、そんなに急ぐ必要のあるものではない」という趣旨ですが、「本当にそうだったかな?」と、ずっと疑問に思っています。やはり家の中にいて、本を読んだり、映画とか映像を観ることによって心が満たされたり、音楽で心が癒やされたりということがあったと思います。だから、「不要不急」と頭ごなしに言われるのは本当に心外だなと思いましたね。それに私たちは、病院という最前線で頑張ってくださっている医療従事者の方々に、『Smart BGM(R)』という形で音楽をお届けしました。こうした音楽の力によって、医療従事者の方々や患者さんから「力づけられた」というお言葉を直接聞いています。ですから、音楽は不要不急なものではなく、力になれるものだと確信しています。

医療従事者の方々を励ますことにも利用された、ユニバーサルミュージックが提供する『Smart BGM』


ーーやっぱり音楽の力は大きい、エンターテインメントの力をあらためて感じる体験でもありましたね。
【藤倉尚】Netflixなどもすごく加入者が増えて、韓国のドラマも大ヒットしましたよね。だからやっぱりね、エンタメが不要不急っていうのは、ちょっと違いますよね。“心の栄養”は見えないものですけど、生きていくうえでとても必要なものだと私は考えています。

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